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このページでは、舩井幸雄が(2014年1月19日の舩井幸雄の他界後は舩井勝仁が)いま一番皆様に知ってほしい情報をタイムリーにお伝えしていきます。
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2011年11月24日
人材づくりは「自由」「大志」そして「正しい哲学」

 「すべては必然、必要だ」と考えれば、「それらをベストにする」のが、個人にとっても、人間集団にとっても大きな努力目標と言えると思います。
 そういう意味で、第2次世界大戦で日本が敗れたことも「必然、必要だった」のでしょう。占領軍のやったことで、日本人や日本にとりまして、もっとも不幸だったと思えるのは、旧制高校を廃止したこと、大麻栽培を禁止したこと、そして官僚制度を残したことのように思います。
 旧制高校のことは7月14日のこのブログの私の発信文に書きました。
 大麻については、上手に活用すれば万能の植物なのです。それは中山康直著『麻ことのはなし』(2001年10月 評言社刊)を1冊読むだけで分ります。
 アメリカにとりましては、今後(戦後)、「有能な日本人を末永く創らせないために旧制高校を廃止した」と思いますし、「石油産業に影響を与えかねない日本人の『精神的バックボーンの麻栽培の廃止』だったと勘ぐることができます。
 また「優れた人材が育たない土壌での、キャリア制官僚制度は、属国支配のベストの制度となる」とまで考えたか否かは分りませんが、旧制高校出がいなくなった最近の日本の政治家や官僚の生態を見ていますと、ミクロには見事な占領政策だったと、マッカーサー将軍以下の占領当局者をほめてやりたくさえなります。
 私個人としましては、日本が戦争に敗れたおかげで、大学を卒業でき、会社を創業したり、経営のことい詳しくなれたり、該博な知識も得られたのが自分でもはっきり分りますので、現状で満足しなければならないのでしょうが、最近はつくづく「人材づくりこそが、すべての基本だな」と思うようになりました。
 7月14日のこのページで、旧制高校のことを少しは述べましたが、人材は「人として正しい生き方=哲学」をしっかりと持ち、そして「自由」な環境で「大志」を持てば自ずと生まれるようです。
 きょうは、それについて一つの楽しい話しを紹介します。これは学士会から2011年10月に発刊された『U7』誌の中に「紅もゆる丘の花」という題名で、東京音楽大准教授の下道郁子さんが書かれた文章の一部です。よい文章です。


作詞者 澤村胡夷(こい)(1884−1930)
 作詞者の澤村胡夷 本名澤村専太郎は、明治17年滋賀県に生まれました。彦根中学校を卒業後、明治36年9月に第三高等学校一部乙(文科)に入学します。中学校時代から少年詩人として知られ、三高時代には河井酔茗(すいめい)が詩欄を担当した文芸雑誌『文庫』派の詩人として活躍しました。三高文芸部発行の『嶽水会雑誌』にも14編の詩を投稿しています。三高入学後は寄宿舎に入らず、寺院を転々としながら下宿していたので、寮歌は作っていません。しかし「林下のたむろ」、「紅もゆる丘の上」「覚醒の歌」、「水上部歌」(明治39年、41年、42年の三曲)等の三高歌を残しています。

                         (中略)

 胡夷は「台湾警察歌」の作詞者としても知られています。昭和3年に総督警務局が警察歌を公募した際、視学講習会講師として偶然訪台していた胡夷に審査と作詞が依頼されました。この「台湾警察歌」は台湾の自然を情緒的に歌っており、「紅もゆる」に通ずる作風です。その後昭和4年に体調を崩し、翌5年に亡くなりました。

謎の作曲者k.y
 「紅もゆる丘の上」の作曲者は謎のままです。作詞作曲者は長らく、澤村胡夷と考えられていました。昭和9年発行の『寮歌集』に「沢村胡夷 作歌 作曲」と記されていたからです。しかし昭和38年に兄上が澤村胡夷と同期であった同窓生によって原歌譜が披露され、作詩作曲者名が記される箇所にはk.y.のイニシャルのみの記載であったことが判明しました。これが契機となり「作曲者k.y.は誰なのか」という調査、研究が卒業生により熱心に行われ、三高同窓会『会報』誌上での論争が始まりました。最新の研究では、当時京都師範で教鞭をとっていた声明研究家で、水上部歌の作曲者である「吉田恒三」説が浮上していますが、この問題は未だ決着がついていないようです。

歌集の発行と歌詞の変遷
 原歌譜から判明したのは謎の作曲者だけではありませんでした。歌詞、メロディーともに、現行の「紅もゆる」とは違っていました。その差があまりに大きいため、歌集の巻頭に原歌譜を別刷りで添付するのが慣例となりました。それにしても何故このような違いが起るのでしょうか。
 三高の歌集は明治44年以来、約20刷以上発行されています。歌集刊行以前は、歌を作ると歌詞と曲譜を一枚の紙に刷って関係者や希望者に配布したので散逸しやすく、歌集編纂時にはそのほとんどが失われていたと考えられます。「紅もゆる」はこの明治44年版の時点で、既に原歌譜とは大きく変わっています。
 例えば第一節3行目は「都の花に嘯(うそぶ)けば」ですが、原歌譜では「都の春に嘯けば」となっています。「紅もゆる」の歌詞は、第二節「緑の夏の芝露に」、第三節「千載秋の水清く」、第四節「日の影暗き冬の波」(明治44年版の表記)と第四節までで四季を歌っていますから、原歌譜の「春」が作詞者の本意であったことが推測できます。この他にも、第一節の「紅もゆる」→「紅萌ゆる」、第五節の「嘯く水や」→「嘯き見ずや」、第六節の「三歳の春」と「三歳の秋」の句の順番が逆転している等が、顕著な変化です。
 歌詞の変化や解釈については卒業生により熱心に検討されてきました。例えば冒頭の「紅もゆる」は真っ赤な花が燃えるように咲いている様子を歌っているので、草木が芽を出す意の「萌える」は不適切であるといった結論がでました。ところで「紅にもえる」のは、何の花なのでしょうか。万葉集や杜甫の詩から論じられ、桃、山躑躅(つつじ)、山桜などがあがっています。また昭和23年の生物の試験に「紅もゆる」の第一節を示して「植物学的に説明せよ」との出題があったそうです。正解は不明ですが、柔軟な発想や思考力が求められた設問で、三高の教養教育の一端が伺われます。

メロディーの変遷と数字譜
  一方、メロディーの変遷は、歌詞のように「正統」を検討するのはなかなか困難です。例えば、原歌譜と明治44年版では既に数ヵ所の音型が異なり、原歌譜は筝曲調、明治44年版は唱歌調と言える変化です。その後も大正4年版、大正10年版、昭和9年版(現行)と、わずかですが変化しています。譜面上の最も大きな変化は、それまで長調だった譜が昭和9年版では短調になったこと、そして昭和27年に五線譜に記し直されたことです。
 「紅もゆる」に限らず「嗚呼玉杯」など寮歌全般に言えることですが、数字譜で記した明治から大正までの寮歌は、現在歌われているメロディーと異なるものが多くあります。これは数字譜が備忘譜のようなもので、実際は譜面に頼らず先輩から後輩へと口伝で教授されたからです。その時の気分、声の調子等、おそらく様々な理由で変容しながら歌い継がれたと考えられます。元来、文字譜で記した東洋の音楽文化には、五線譜を高度に発展させた西洋の芸術音楽のような「忠実に再現する」という伝統はありませんでした。寮歌のような俗歌となればなおさらです。三高の大正9年卒業生は、当時の寮の風潮では自分の歌う歌詞が歌集に登載されると「勝った、勝った」と言って喜んだ、と回想しています。

                         (中略)

歌い継がれる「紅もゆる」
 「紅もゆる」は、100年の時を経ながら歌詞やメロディーが変化してきました。この変遷を辿ると、その時々に学生達が歌に新たな生命を与えてきたと感じます。またこの変遷を巡り熱く論争する同窓会誌の記事からは、卒業生の方々の想いや努力に支えられて、「紅もゆる」が歌い継がれているということが伝わってきます。「入寮すると『第三高等学校自由寮、寮歌、紅もゆる』と太鼓がなり、赤旗が力一杯ふられ、手拍子の中、大合唱が始まる」という場面は、第三高等学校が京都大学に統合廃校となった今、歴史の一頁となってしまいました。しかし歌われる場や状況が変わっても、人々に新たな生命を吹き込まれながら、「紅もゆる」の歌の精神は歌い継がれていくことでしょう(転載ここまで)。


 この下道さんの文章を読んでいると、旧制高校について、現象面からの実態が分ります。
 それは、自由であり、各自の高校生にそれなりに「志」があったことを示しています。
 それにまず旧制高校では「正しい人としての生き方=哲学」を、まず勉強したはずですから、人材ができる基礎が、10代後半に身についたのだと思えます。このようなシステムをこれからぜひ日本の学制に取り入れたいものです。
 私の従兄(父の姉の息子)に、すでに故人となりましたが、数才年長の旧制三高生がいました。彼は大阪府立八尾中学校から現役入校したのです。
 「幸雄君よ、君も、絶対に三高に入れよ。よい学校だ。なぜ生きてきたかに気がつき、目がさめるぞ」と、当時小学の上級生だった私に、彼の中学時代との行動や考え方のちがいを折にふれて話してくれました。特に「人の生き方」の話しが多かったように思います。この時に聞いた話は、いまも参考になっています。
 しかし敗戦とともに旧制高校は廃止になり、私は、もう一年早く生まれていれば、旧制中学4年から、さいごの旧制高校生になれるチャンスがあったのですが、それも生まれた時と新学制のために、見果てぬ夢になりました。
 だから、より、気になるのかも知れません。
                                            =以上=

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