トップが語る、「いま、伝えたいこと」
実は、手塚治虫先生は、ぼくの母校の大先輩です。
昭和16年4月、旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)に入学されましたが、同年12月に太平洋戦争が勃発し、昭和20年3月に1年前倒しで半強制的に卒業(上級生の58期の卒業に便乗)させられ、終戦を迎えたと記録に残っています。まさに、手塚先生の高校時代は、戦争と共に謳歌した青春時代といえます。
高校時代、その「手塚くん」を教えたという美術の先生がいらっしゃったのです。当然のことながらずいぶんお年を召されていましたが、まだ教鞭をとられていました。お若いころに指導されたのでしょう。授業では、よく「手塚くんは〜だった」「手塚くんはこんなところが素晴らしかった」と懐かしげにお話されていたのがとても印象的でした。
手塚先生は、大阪帝国大学附属医学専門部在学中の昭和21年(1946年)1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。昭和22年(1947年)、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新寶島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブーム(*江戸時代に登場した浮世絵がたくさん入った子ども向けの本が、大正時代あたりから漫画本となり、名前のとおり表紙が赤っぽかったことから名づけられた)を引き起こしました。そして、昭和25年(1950年)より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけることになられました。
実は、この酒井七馬先生とも接点があるのです。いま、ぼくは大阪で「一般社団法人塩崎おとぎ紙芝居博物館」の代表理事を務めています。創始者である伯父の塩崎源一郎は、戦後の焼け野原の中、心を暗くしている子どもたちに明かりを灯そうと立ち上がり、日本における「街頭紙芝居」の唯一の絵元として活躍した人です。絵元とは、紙芝居を企画し、画家に絵を描いてもらい、できた紙芝居を貸し出す仕事で、塩崎の下には、手塚治虫先生と長編漫画「新寶島」を共作した酒井七馬(さかいしちま)先生や、関西を中心に活躍した小寺鳩甫(おでらきゅうほ)先生ら多くの才能豊かな画家が集まってきたのです。塩崎夫婦が亡くなったあと、子どももいなかったので、紆余曲折を経て、甥のぼくが後を継ぐことになりました。つながりって、本当に面白いですね。
さて、横道に逸れましたが、そんなこんなで手塚先生の漫画はよく読みました。
手塚先生の作品を振り返ってみますと、そこには単なる空想ではなく、人間と社会の行方を真剣に見つめた“未来予測”が数多く込められています。医学生でもあり、戦争体験者でもあったわけで、その背景が、科学技術への期待と同時に深い警戒心を育て、独特の未来観を形づくったのだと思います。だから、『ブラック・ジャック』のような作品が描けたのでしょうね。
手塚治虫先生は、こうした未来を描くことで、何を伝えたかったのでしょうか?
まず、すでに現実化したことを考えてみます。代表的なのはロボットと人工知能の存在です。『鉄腕アトム』では、人間と同じように感情をもつロボットが社会の一員として働きます。現在、家庭用ロボットや介護ロボット、AIアシスタントは当たり前になりつつあり、人と機械の境界は確実に“曖昧”になりました。監視カメラ網や顔認証、データによる行動予測など、『メトロポリス』や『火の鳥 未来編』に近い管理社会の姿も現れています。環境破壊や都市の巨大化、格差の拡大も、手塚先生が描いた不安そのものです。「科学は人を幸せにするはずなのに、なぜ苦しみが増えるのか」という矛盾を早くから見抜かれていたように思います。
次に、実現の可能性が高まっていることに触れてみます。遺伝子操作やクローン技術は『ブラック・ジャック』や『火の鳥』で繰り返し問われたテーマです。人間の寿命延長、臓器の人工化、脳と機械の接続などは、もはやSFではなく研究の最前線にあります。また、人とロボットの権利問題、AIが判断する社会、宇宙移住といった課題も、手塚作品が投げかけた問いと重なります。でも、手塚先生は技術そのものより「それを使う人間の心」を問題にしました。便利さの先にある倫理を考えなければ、進歩は暴走するという警告です。
一方で、まだ実現しそうにないことも描いています。アトムのように完全な感情と良心を備えたロボット、死と再生を超える『火の鳥』的な生命観、種を越えた真の共生社会などです。これらは技術よりも、人間の精神的成熟に関わる領域です。果たして実現できるか、その可能性があるのかも、現段階ではわかりません。でも、手塚先生は「未来は機械ではなく、人間の想像力がつくる」と考えていたように思えます。
手塚先生の根底にあった道徳観は、終始一貫しているように思います。生命はすべて対等であり、強者が弱者を支配する世界は間違っているという思想です。まだ読んでいないのですが、そのことは『ブッダ』『アドルフに告ぐ』に強く表現されていると、ネットの書評で知りました。差別と暴力の連鎖がいかに人を壊すかを描いていると……。善と悪を単純に分けず、どんな人間にも弱さと背景があることを示す視点は、現代の分断社会への重要なヒントだと思います。
そして、そして……、手塚先生がとくに強く訴えているのが、核への姿勢だと思うのです。戦時中に空襲を経験した手塚先生は、核兵器を「人類が手にしてはならない火」と考えていました。『鉄腕アトム 地上最大のロボット』や『火の鳥 未来編』では、核戦争後の荒廃や、人間が自ら滅びに向かう愚かさが繰り返し描かれています。おそらく、手塚先生の目には、核は単なる兵器ではなく、科学が倫理を失った象徴だと映っていたのだと想像します。だからこそ、アトムは“戦うための兵器”ではなく“心をもつ子ども”として誕生したのではないかと感じています。
ぼくたちが手塚治虫ワールドから学ぶべきことは、限りなくあると思います。
第一に、技術を目的化しない姿勢……、つまり人間らしさとの共存です。便利さや効率だけを追えば、人間らしさが削られるという手塚先生の警告は、SNSやAI時代にそのまま当てはまります。
第二に、弱い立場の視点に立つ想像力です。手塚先生の物語では、ロボット、動物、異星人など“少数者”が常に主役でした。常に弱いもの、少数のものに立場に立って描かれていたように感じています。
第三に、絶望の中でも希望を手放さないことです。どんな暗い未来を描いても、手塚作品の最後には小さな光が残ります。その一筋の「光」を残すことが、未来への手掛かりであり、希望であることを描いてこられたのでしょう。
このように考えてみますと、手塚治虫先生が最も伝えたかったことは、「未来はまだ決まっていない」というメッセージだと思えてなりません。科学が進むほど、人間は試される……。だからこそ、やさしさと想像力を育てなければならない……。アトムが涙を流し、ブラック・ジャックが命に迷い、火の鳥が人類を見つめ続けたように、ぼくたちもまた問い続ける存在でありたいと強く思います。
描かれた未来の数々は、「予言」ではなく、「鏡」だったのではないでしょうか? そこに映るのは、技術ではなく“ぼくたち自身の心”です。核もAIもロボットも、使い方次第で希望にも絶望にもなります。だからこそ、物語を読み継ぎ、対話し、考え続けることが、手塚治虫先生から受け取る最大の遺産なのだと思います。
これからも、折りに触れて、作品を読み続けていこうと思います。
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舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。 2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けた。(※「にんげんクラブ」の活動は2024年3月末に終了) 著書に『生き方の原理を変えよう』 |
佐野 浩一(さの こういち) 株式会社本物研究所 代表取締役会長公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事 ライフカラーカウンセラー認定協会 代表 1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。 著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』 |











株式会社船井本社 代表取締役社長



















