トップが語る、「いま、伝えたいこと」
「初心忘るべからず」。
誰もが一度は耳にしたことのある言葉でしょう。
新入社員に向けて、あるいは新しい仕事に取り組む人に向けて、「最初のころの純粋な気持ちを忘れないように」といった意味で使われることが多い言葉です。
ところが、この言葉を残した室町時代の能楽師・世阿弥が伝えたかったことは、実はもう少し奥深いものだったようです。
世阿弥は、父である観阿弥とともに、今日まで続く能楽の基礎を築いた人物です。今からおよそ600年前のことです。思うところあって、世阿弥の『風姿花伝』や『花鏡』に触れながら、あらためて驚かされることがありました。
そこに書かれているのは、単なる芸能の指南ではなく、もっと広義な人づくりの指南のあり方でした。「人を」どう育てるのか」「どうすれば人は成長し続けられるのか」そして、「どうすればお客様の心をつかみ、長く支持される存在になれるのか」……、現代の経営学やマーケティングにも通じる考え方が、実に見事に説かれているのです。
そして、その根底にある思想は、舩井幸雄が生涯を通して伝え続けた「舩井流」とも、不思議なほど重なっているように思います。
舩井幸雄がよく口にしていた言葉に、「変化こそ不変の原理」というものがあります。
世の中で変わらないものがあるとすれば、それはすべてが変化し続けているという事実である。だからこそ、変化を恐れず、時流を読み、自らも変わり続けることが大切なのだと教えていました。
これは、世阿弥が説いた「花」の思想にも通じます。
世阿弥は『風姿花伝』において、役者の成長を年齢ごとの段階に分け、それぞれの時期にふさわしい修業のあり方を説いています。幼いころには幼いころの花があり、若いころには若さゆえの花がある。しかし、それらは永遠に続くものではありません。若さや美しさによって一時的に人を魅了する花を、世阿弥は「時分の花」と呼びました。一方、年齢や環境の変化を超え、長年の修業によって身につけた芸の魅力を「まことの花」として重視しました。
ここが実におもしろいところです。
若いころの成功体験にしがみついていては、いつか花は散ってしまう……。しかし、変化を受け入れ、その時々の自分にふさわしい花を咲かせる努力を続ければ、人は生涯にわたって成長できる。
これは、企業経営にもそのまま当てはまります。かつて大成功した商品も、時代が変われば売れなくなる。優秀だった営業マンも、過去のやり方に固執すれば、やがて通用しなくなる……。大切なのは、過去の成功を守ることではなく、変化の中で新しい価値を生み
出し続けることなのです。
まさに「変化こそ不変の原理」ではないでしょうか。
さて、冒頭の「初心忘るべからず」に戻りましょう。
この言葉は『花鏡』に登場します。
世阿弥は、初心について三つの段階を示しています。
「是非の初心」
「時々の初心」
「老後の初心」
最初の「是非の初心」は、未熟だったころの自分を忘れないこと。次の「時々の初心」は、人生のそれぞれの段階で新たに直面する課題や未熟さを忘れないこと。そして「老後の初心」は、年齢を重ねてもなお、新たに学ぶべきことがあると心得ることです。
つまり、世阿弥のいう初心とは、単に若いころの志を忘れないことではありません。
人は何歳になっても初心者になれる。そして、初心者であり続けることが、成長し続ける条件なのだ……。私はそう受け止めています。
舩井幸雄もまた、「勉強好き」「すなお」「プラス発想」を成功者の共通条件として挙げていました。なかでも「すなお」であることを、とても大切にしていました。自分の考えに固執せず、知らないことを認め、人の意見に耳を傾ける……。新しい情報や価値観に出会ったとき、まずは受け入れて考えてみる……。それができる人ほど成長するというのです。
世阿弥の「初心」と、舩井幸雄の「すなお」。
時代は違っても、人が成長するための本質は変わらないのだと思います。
もう一つ、私が世阿弥の思想に強く共感するのは、人の個性や成長段階を大切にしている点です。『風姿花伝』では、幼少期から老年期に至るまで、それぞれの年代に応じた稽古のあり方が示されています。若い人には若い人の魅力がある。年齢を重ねた人には、その人にしか表現できない深みがある……。全員を同じ型にはめるのではなく、それぞれの持ち味を生かすことが大切なのです。
これは、舩井幸雄の「長所伸展法」に通じます。
舩井は、人の短所を直すことよりも、長所を伸ばすことを重視しました。短所を指摘され続けると、人は自信を失い、萎縮してしまいます。しかし、長所を認められ、それを伸ばす機会を与えられると、人は驚くほど成長するものです。
私は、人財育成の本質とは、まさにここにあると思います。
企業において、上司の役割は、部下を自分と同じ人間に育てることではありません。その人だけが持っている「花」を見つけ、それが咲くように手助けすることです。しかも、花が咲く時期は人によって違います。
早く咲く花もあれば、時間をかけて咲く花もある……。
若いころに目立たなかった人が、経験を積むことで大きな力を発揮することもあります。人を育てる側には、目先の結果だけで判断しない姿勢が求められるのです。
世阿弥の言葉で、もう一つ有名なのが、「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
です。一般には「大切なことは秘密にしておくべきだ」という意味で理解されることがあります。
しかし、世阿弥の真意は、それだけではありません。
観客が予想していなかったものを見せるからこそ、驚きや感動が生まれる……。逆に、何もかも最初からわかってしまえば、驚きはなくなり、魅力も薄れてしまう……。つまり、観客の心を動かすためには、意外性が重要なのです。
私はこれを読んで、現代のマーケティングにおける「サプライズ」の考え方を思い浮かべました。お客様が期待していた以上の価値を提供すること。思いもよらなかった提案をすること。さらには、予想を超える体験を届けること。そうした驚きが、感動を生み、口コミを生み、次の来店や購入につながっていきます。
ただし、単に奇抜なことをすればよいわけではありません。
そこには、十分に磨き上げられた実力と、お客様を喜ばせたいという思いが必要です。
世阿弥は、芸そのものの魅力と、それをどのように観客に届けるかという工夫の両方を大切にしました。
これもまた、舩井流の経営に通じるものがあります。
舩井幸雄は、新しいもの、世の中がまだ知らないもの、人々を驚かせるものが大好きでした。ただ珍しいだけではなく、そこに本質的な価値があると判断すれば、積極的に世の中に紹介しようとしました。人が驚き、感動するところに、新しい時流が生まれる。
そんな考え方があったのではないでしょうか。
観阿弥・世阿弥の親子が生きた時代、能は観客の支持を得なければ存続できない芸能でもありました。とりわけ観阿弥は、当時の人々に親しまれていた芸能の要素を取り入れ、観客を楽しませることに長けていたといわれます。世阿弥は、そうした父の芸を受け継ぎながら、さらに理論として磨き上げていきました。『風姿花伝』には、観客の好みや場の状況を見極めることの重要性が説かれています。どれほど優れた芸であっても、観客が求めるものとかけ離れていては、十分な評価を得られません。
一方で、観客の好みに迎合するだけでも、芸の本質は失われてしまいます。このバランス感覚こそ、現代の経営者に求められるものではないでしょうか。
マーケティングとは、単に売れる商品を探すことではありません。お客様が何を求めているのかを理解し、その期待を超える価値を提供し続けることです。しかも、人間は同じものに慣れてしまう生き物です。昨日の感動が、今日も同じ感動になるとは限りません。
だからこそ、常に工夫し、新しい発見や喜びを届ける必要があります。
舩井幸雄の「時流適応」という考え方も、まさにここに通じます。
時代が変われば、人々の価値観も変わる……。その変化を敏感に感じ取り、自らの強みを生かしながら、新しい価値を生み出していく……。変えてはいけない本質を守るために、変えるべきものは大胆に変えていく……。これが、長く支持される企業の条件なのだと思います。
さて、私たちはいま、AIによって社会が大きく変わろうとしている時代を生きています。知識を持っているだけでは、必ずしも価値にならない時代です。文章を書くことも、資料をつくることも、情報を分析することも、AIが驚くほどの速さでこなしてくれます。
では、これからの時代、人間には何が求められるのでしょうか。私は、その答えの一つが、世阿弥のいう「まことの花」にあると思います。
長い時間をかけて磨き上げた人間性。
経験から生まれる判断力。
相手の気持ちを感じ取る感性。
そして、人を喜ばせたい、世の中をよくしたいという思い。
これらは、単に知識を蓄積するだけでは身につきません。日々の実践と経験、そして人との関わりの中で育まれていくものです。舩井幸雄が大切にした「人間性を高める」「人財度を高める」という考え方も、これからますます重要になるでしょう。
私は、これからの人財育成には、三つの視点が必要だと考えています。
一つ目は、その人の長所を見つけ、伸ばすこと。
二つ目は、何歳になっても初心を忘れず、学び続ける人を育てること。
三つ目は、相手の期待を超える喜びや感動を生み出せる人を育てること。
この三つがそろえば、変化の激しい時代にも通用する人財が育つのではないでしょうか。そして、これは人財育成だけの話ではありません。私たち経営者自身にも、そのまま当てはまることです。
過去の成功に安住していないか。
自分の考えに固執していないか。
お客様に新しい感動を届けているか。
何より、自分自身が成長し続けているか。
600年前の世阿弥は、そんな問いを現代の私たちに投げかけているように思います。
「初心忘るべからず」。
この言葉を、単なる戒めではなく、変化し続けるための積極的な教えとして受け止めたいものです。
変化するからこそ、成長できる。
成長するからこそ、新しい花が咲く。
そして、その花によって、人を喜ばせ、世の中に貢献できる。
舩井幸雄が伝えた「変化こそ不変の原理」と、世阿弥が追い求めた「まことの花」。
600年という時を超えて、二つの思想が重なって見えてきます。私たちもまた、時代の変化を楽しみながら、自分だけの花を咲かせ続けたいものです。
感謝
2026.10.05:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】冷静に有事を考える (※舩井勝仁執筆)
舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。 2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けた。(※「にんげんクラブ」の活動は2024年3月末に終了) 著書に『生き方の原理を変えよう』 |
佐野 浩一(さの こういち) 株式会社本物研究所 代表取締役会長ライフカラーカウンセラー認定協会 代表 公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事 あたみ・パンダの森ほいくえん 学園長 株式会社ヴォイス 代表取締役会長 他 1964年8月5日、大阪生まれ。大阪府立北野高等学校、関西学院大学法学部政治学科卒業。 大学卒業後13年間、私立中高一貫教育校の英語科教員として従事。2001年4月、株式会社船井総合研究所に入社。舩井幸雄より「人づくり法」の直伝を受け、企業幹部向け研修「人財塾」として体系化、その主幹を務め、経営者向け、社内研修向けに150回以上の講演、研修を実施した。2003年4月、株式会社本物研究所を創設し、代表取締役社長(現在会長)に就任。商品の「本物」、技術の「本物」、生き方、人づくりの「本物」を研究、開発し、広く啓もう、普及活動を行う。また、2008年にライフカラーカウンセラー認定協会を、2012 年5月には株式会社51 Dreams’Companyを、2015年9月に株式会社51コラボレーションズを設立。(2023年本物研究所と合併)さらに、2015年1月、舩井幸雄の思想、哲学を世に広めるために、公益財団法人舩井幸雄記念館を設立し、代表理事となる。2021年2月には、株式会社51メディカルを創業。そして、2022年11月、小規模保育事業B型として、「あたみ・パンダの森ほいくえん」を設立。学園長に就任。 2026年6月にヴォイスグループ5社を経営統合し、代表取締役会長に就任。現在に至る。 著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく 幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた 船井幸雄のすべて』(成甲書房)、『本物の法則』(ビジネス社)※船井幸雄との共著、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)、『SAKIGAKE 新時代の扉を開く』(きれい・ねっと)※舩井勝仁との共著、『幸せになる働き方の法則』(創藝社)、『舩井幸雄の魂が今語りかけてきたこと』(ヒカルランド)※矢山利彦氏、舩井勝仁氏との共著がある。 講演は、年間講演、研修多数。会社経営、学校経営、幹部育成、健康、食育、カウンセリング、話し方など、幅広いテーマで多数の講演を行っている。 |










株式会社船井本社 代表取締役社長



















