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舩井幸雄のいま知らせたいこと

このページでは、舩井幸雄が(2014年1月19日の舩井幸雄の他界後は舩井勝仁が)いま一番皆様に知ってほしい情報をタイムリーにお伝えしていきます。
毎週月曜日定期更新
2014年5月12日
お金で買えないもの (※舩井勝仁執筆)

 ゴールデン・ウィークは、皆さんどのようにお過ごしでしたか。私は、父の葬儀よりしばらくとっていなかった休みを3日ほど取ることができました。
 家族と一緒に食事に出かけたり、子どもたちとゴルフに行ったりそれなりの楽しい『時間』を過ごしました。家族のために考えていた予定は、概ね実行できたかも知れませんが、自分自身が内心自分に課していたタスク(自室の整理整頓)は、あまり実行できませんでした。我々が日常的に働いていることは、ある意味で『時間を食べている』といっていいでしょう。『時間』を食べ物に例えるならば、忙しい人でも、目の前に美味しい食べ物があれば、どんどん食べてしまうでしょう。私がこの休みに、身の回りの整理整頓などができなかったのは、その食べ物が味覚をそそる美味しい食べ物ではなかったのでしょう。
 美味しい食べ物としての『時間』を見つける方法は、その人の人生そのものでしょうが、ここで話したいのは、食べる方法です。
 『時間』を食べますと(身体に時間という食べ物を入れる)、何かを身体の外に吐き出さなければ、その食べ物が入る余地(空間)がありません。「ごみ」を捨てるように、そして新しい食べ物が入る場所を造らないといけません。即ち、日常的に『時間』を食べて働くこと(情報を蓄えること)は、エネルギーを溜めて燃焼させているのです。エントロピー(熱量)が増加してしまいます。そこでこのエントロピーを外に捨てなければなりません。放熱しないと、身体がどんどん温まって病気になり、生物は死んでしまいます。エントロピーを捨てること、それは本来の『時間』の使い方であり、自分の『時間』で自分の自由になる『時間』をどのように使うかです。
 そのような意味では、余暇の使い方は、単なる暇つぶしでなく、自分のための善用ではないでしょうか。

 『時は金なり』という言葉がありますが、4月末に新刊『チェンジマネー』(きれい・ねっと)を出したばかりということもありまして、お金と時間の関係についても考えてみました。お金は時間のように、記憶によって蓄積されるものではありません。 本来、お金は今ある可能性や価値を、劣化しないお札や硬貨に代えて、それを将来に担保する装置でしょう。お金は、時間を止めて、その価値や可能性が持続的であることを認める装置です。
 しかし、その持続性や普遍性は危うい約束事や予測の上に成り立っています。今の価値が将来も変わらずに続く可能性は保障できません。時間はお金に換算できない側面があります。例えば、子ども達には、今大人になる準備のために学校に行っていますが、成長するためには時間が必要です。お金をかければ子どもの成長を物質的に豊かにできるかもしれませんが、成長にかかる時間を短縮することはできません。そして時間を紡ぎ出す記憶をお金に換算することもできません。

 社会で生きていくための信頼を、お金で買えない理由がここにあります。
 時間がお金に換算される経済優先の社会ではなく、人々の確かな信頼を土台にした『生きた時間』が流れる社会を取り戻したいものです。
 こうして書き進めていくと、まず自分自身が忙しさにかまけていないで、子どもと、もう少し信頼関係を育むしっかりとした時間の流れを意識したいところです。
 夫婦の関係においても、それぞれの立場と時間の積み重ねを認め合えたなら、支えあう適切な距離感が出てくる気がします。お互い欠点の塊であるという自覚が最も大事です。 私は妻に対して、時々その距離感を踏み外してしまいます。日々反省ですが、努力しています。

 休みの後半は、箱根に足を伸ばし、「ポーラ美術館」に行きました。ここは箱根に来ると訪れたくなる私のお気に入りの場所です。別荘地の中に静かにたたずむガラス張りの美術館で、外から見るとまるで森の中に埋まっているように見えます。地下の2フロアにメインの展示室がありますが、建築に工夫がなされているので、あたたかい光が差し込み、モダンで洗練された空間の美術館です。
 やや高い入場料のせいか、いつもあまり混んでおらず、クロード・モネ「睡蓮の池」、藤田嗣治「自画像」などすばらしい展示をゆっくりと自分のペースでみることができます。
 ちょうど「モディリアーニ」の企画展をやっていました。モディリアーニといえば、ひたすら貧困と闘い夭折のあと、没後に認められた不遇のヨーロッパの作家というイメージです。憂いと哀しみの間をさまよっているような画風が印象に残っていましたが、今回キースリングやピカソなど著名な画家たちにどのような影響を与えたか、時間をかけて鑑賞できたのが収穫でした。「なぜ、モディリアーニは生前、ほとんど画商には認められなかったのか?」ということが長年の疑問でしたが、プライドの高いモディリアーニは、今でいう「ツンデレ」だったのだと思います。ニヒルなイケメンの容姿に反して、その不器用な生き方に純粋なものを感じ、好感を抱きました。モディリアーニは、自分は何者か、どこにいくのか、その果てない苦悩を胸に秘めて、自画像を描き、愛する人を描きました。

 「文学は、物言わぬ神の意志に言葉を与えることだ」と言ったのは、父も好きだった作家の芹沢光治良ですが、気に入った芸術作品に出合うと、はっとした新鮮な感動のあとに、必ずその作品に向き合う時間がたっぷりと必要になります。味わうというより、その作品の内包する力に、おののき、打ちのめされる時間といった感じでしょうか。まさに「畏れ」です。普段は、自分の事業に利益をだし、安定させることに心血を注いでいる日々ですが、意識してすぐれた芸術作品の「畏れ」に向き合い、その中に息づく「生」をみつめることが私にとって、新たな自分を見出す時間だと実感しています。

 父・舩井幸雄は、どんなものでも、「自然」で「調和」のあるものをよしとしていました。しかし、私が傍らで見ていた父は、直感力、直観力に優れていましたので、決して好き嫌いだけで決めるのではなく、たとえば前衛的なエッジの効いた芸術でも「あぁ、これは作り手の志がまっすぐ伝わってくるものだ」という作品に関しては、とてもフラットに評価していました。父は、すべてのものを包み込む発想をもっていました。その目線はいつも温かく、やわらかだったなぁと懐かしく思い出されます。
 作り手の志や情熱に素直に敬意を払い、その奥にあるものを温かく見守る……芸術だけではなく、組織におけるマネージメントから、パートナーとの関係、子育てまですべてにおいていえることだと思います。その質を上げるためには、どんなことにも関心をもって勉強を怠らないこと、やわらかなこころをいつも保つこと……父の教え「すなお・勉強好き・プラス発想」が、また新たな形で心に刻まれた束の間の休日でした。
                                            =以上=

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2014.05.12:【いま 一番知らせたいこと 、言いたいこと】お金で買えないもの (※舩井勝仁執筆)
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