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トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄が(2014年1月19日の舩井幸雄の他界後は舩井勝仁が)いま一番皆様に知ってほしい情報をタイムリーにお伝えしていきます。
毎週月曜日定期更新
2006年9月19日
60年前と比べたら、よい世の中になった

 日本経済新聞の「私の履歴書」は、多くの人に読まれています。私も何十年来愛読してきました。
 ところで今年8月の「私の履歴書」は、遠州茶道宗家の小堀宗慶さんでした。戦争中の軍隊生活やソ連に抑留されての苦労などを読んだ多くの人から、「本当にあんなことがあったのですか?」とか「たしかにひどい時代だったね」という感想を私も聞きました。
 終戦時中学生だった私には、「小堀さんの書いてられることは、すべて事実だ」と言えます。昭和10年(1935年)代の日本は、いまの常識から考えるとまったく無茶苦茶な時代でした。一番ひどかったのは、発言などの自由がほとんど無かったのです。また昭和20年(1945年)の敗戦とその後、数年間の日本も、本当にすさまじい時代でした。日本は占領下だったのです。
 この時代、一般庶民の一人として生きた私には、あの当時のことは、いまの若い人(60才以下の人たち)には、言っても理解してもらえないと思います。
 私は1945年(昭和20年)9月2日、東京湾の米戦艦ミズリー号上での降伏調印式のことと、この時に日本代表で調印した重光葵外相の歌「願くは、御国の末の栄え行き吾名さげすむ人の多きを」を、不思議にはっきり覚えているのです。
 戦争に敗けて日本人は自由にものが言えるようになりました。
 しかし敗戦という現実は想像以上のものでした。無条件降伏とはどのようなことかを、随所で経験させられました。
 その辺のことを知りながら小堀宗慶さんの「私の履歴書」をもう一度、読みなおしてほしいのです。
 私の愛読する月刊誌『ぺるそーな』の8月号に高橋正二さん(元南方軍・大本営参謀 いま93才)の「戦争の研究」という文章があります。
 その中につぎのような文章があります。いずれも事実です。これが敗戦の実態です。

占領と軍紀
 有末中将はじめ、数ある難問中、最も頭を痛めたのは進駐軍兵士による治安撹乱、特に日本婦人に対する暴行、強姦問題であった。毎日の如く、時には一日数件の訴えがあり、われわれも全く口惜しさで胸が一杯であった。有末は米第八軍参謀バイアス少将、司令官アイケルパーガー中将にしばしば訴え出られた。同司令官は「若い学生がジャングルから飛び出して広々とした校庭に出たようなもの、暫く我慢してくれ、われわれの方でも十分気をつけるから」との返答。被占領地の常だろうが、敗戦の悲惨さが又々身に浸みる。
(参考)昭和28年2月27日第15回参議院本会議で、婦人議員を代表して社会党(当時)藤原道子議員の質問演説――
「アメリカ当局には軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれが出来ないならば、日本の女性をこれ以上に蹂躙(じゅうりん)することなく、この際本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によって性の解決をされるように切に要望したいのであります」(満場大拍手)
 私が某所の講演会で「当時の社会党は偉かった」と申したところ、最前列に居られた園田天光光女史から「あれは社会党の代表意見ではなく、われわれ婦人議員相談の結果、社会党の藤原議員に代表として発言して貰ったのですよ」と訂正のご意見(抜粋ここまで)。


 もう一つ紹介します。

本間雅晴中将を御案内
 マッカーサー元帥が厚木飛行場に8月30日着陸するや、対敵情報担当官エリオット・ソープ准将に「平和に対する罪」を犯したとされる重大犯罪人(と彼等が称する)の逮捕を命じている。毎日の如く「○○を○○日○○時迄にGHQに連行せよ」と戦犯容疑者を指名してくる。当時のGHQは横浜税関、われわれの県庁から歩いて6、7分の距離。
 いよいよ本間雅晴中将の連行指令があり、こういう方々を連行案内するのも私の任務の一つであった。いやはや何とも辛い仕事である。私は将軍の左側を成るべくゆっくり時間をかけてご案内。その短い時間種々お話を交わして戴いたが、将軍は平常と少しも変わらず淡々としたご様子(しかし内心如何ばかりであったことか)。
 いよいよGHQの門前で出迎えのMPに引継ぐ。「ご苦労でした」と将軍からお声をかけられた時、私はグッと胸に迫りくるものを堪えてただ深々と頭を垂れるのみ。MPに連行されてゆく将軍の姿が扉の中に消えるのを見送る私。これが将軍との永のお別れであった。
(参考一)昭和21年2月7日、弁護団証人最終日、証人台に立った富士子令夫人は毅然として、夫雅晴中将のため縷々(るる)弁論、その最後にこういって結んだ。
 「わたしに娘が一人ございます。いつかこの娘が、わたしの夫のような男性と邂(めぐ)り合い結婚することを心から望んでいます」
 旧敵国の憎悪に満ちた法廷が、中将の命ばかりかその名誉まで奪い去ろうとする中で、令夫人は夫への信頼と尊敬と愛情の真心を堂々と宣言したのである。中将に与えられた最高のそして最後の栄誉であった。百%反日的法廷も、新聞記者も粛として声無し。翌8日、対日感情の極度に悪いマニラにあって、各新聞は一斉に令夫人への好意に満ちた記事を大きく載せたのである。    
(参考二)2月11日宣告。それは絞殺刑ではなく銃殺刑であった。4月3日早朝マニラ郊外ロスパニョスの刑場において銃殺刑が執行された。紀元節の日に宣告、そして4年前、パターン第二次攻撃を開始した同じ4月3日に処刑されたのである。これこそ報復裁判と言わずして何ぞや(抜粋ここまで)。


 毎年8月と9月にはこのようなことを思い出すのですが、考えてみればいまは60年前と比べたら、「よい世の中」になりました。
 戦争は悲劇です。どんなことがあっても戦争を避ける努力が大切です・・・と私は言いたいのです。
                                                 =以上=
       

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