ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測
このページは、社会分析アナリストで著述家のヤス先生こと高島康司さんによるコラムページです。
アメリカ在住経験もあることから、アメリカ文化を知り、英語を自由に使いこなせるのが強みでもあるヤス先生は、世界中の情報を積極的に収集し、バランスのとれた分析、予測をされています。
スピリチュアルなことも上手く取り入れる柔軟な感性で、ヤス先生が混迷する今後の日本、そして世界の情勢を予測していきます。
9月11日、ウクライナ軍が、ロシア軍に支配されていた北東部ハルキウ州の大部分を奪還したと発表した。ウクライナ軍はこの数か月、南部、ヘルソン州の奪還を目標としていたが、これが高度な陽動作戦(※)であったことが明らかになった。
(※)陽動作戦:敵の判断を誤らせるために、あらわに行動して敵の注意をそれに向けさせる作戦
ロシア軍はウクライナ軍のヘルソン攻勢に対応するため南部に移動しており、北東部のハリキウ州では手薄の状態になっていた。ウクライナ軍はロシア軍の不意を突き、電光石火のスピードでハリキウ州の主要拠点を占拠し、わずか数日間でハリキウ州の大部分の奪還に成功した。不意を突かれたロシア軍は、優勢なウクライナ軍に圧倒され、戦車や兵員輸送車などを残したまま急いで退却した。
ロシアが失ったものは大きい。いまロシアの主要目的のひとつは、東部、ドネツク州の占拠だが、その補給路((※)兵站(へいたん))の拠点がハルキウ州にある都市、イジュームを中心とした地域だ。ここにドネツク州攻略に必要な兵器や装備、そして物資が集積され、ドネツク州の戦闘部隊に供給される。このイジュームがウクライナ軍に占拠されたので、ロシア軍のドネツク州占拠はすでに風前の灯火だと見られている。
(※)兵站:軍事装備の調達、補給、整備、修理および人員・装備の輸送、展開、管理運用についての総合的な軍事業務
このウクライナ軍の勝利とロシア軍の敗北は、ロシア国内にも大きな影響をもたらしつつある。首都モスクワに128ある地区議会のひとつ、モノソフスキー地区の議会は、プーチン大統領の辞任を要求した。また、ウクライナに戦闘部隊を送っているチェチェンのカディロフ首長は、ロシア軍の作戦にミスがあったと案にロシア軍の首脳を批判した。このような批判は、ロシア軍の内部にもあるようだ。
一方、このような状況にもかかわらず、ロシアの態度は強硬だ。
ロシアのペスコフ大統領報道官は、ロシア政府はウクライナでの「特別軍事作戦」で全ての目標を達成すると述べた。ペスコフによれば、プーチン大統領は前線の状況について認識しているという。ウクライナ軍による反攻を受けて、ロシア国防省は後退を戦略的な部隊の再編制としてみせようとしている。
ロシア国防省は、イジュームなどの地域のロシア軍を再編成して、ドネツク方面に注力することを決定したと明らかにしていた。ペスコフは、プーチンも「再編成」について認識していると述べた。ペスコフによれば、プーチンは特別軍事作戦の全ての行動について報告を受けているほか、国防省や軍幹部と24時間体制で連絡を取っているという。
●これはロシアのミッドウェーか?
いまウクライナ政府のみならず、日本を含めた多くの西側のメディアも、強い陶酔感と高揚感の中にある。ハリキウ州で成功した奪還作戦はウクライナ戦争の今後を決める決定的な戦いになったという認識が一般的だ。ウクライナにとっては、ロシア軍の撃退に成功した初めての作戦となった。
これで勢いづいたウクライナ軍は、ロシア軍が占拠している東部のルガンスク州、および南部のヘルソン州の奪還を目指して部隊をさらに前進させている。このような状況から、ハリキウ州だけではなく他の地域でもロシア軍の敗走が始まり、ロシア軍の敗退は決まったとの見通しさえも出てくるようになっている。
この状況を見て、ウクライナ軍のハリキウ州の進撃は、ロシアにとって戦前の日本のミッドウェー海戦と似た状況になったのではないかという論評も出ている。
日本は1931年の満州事変から、1941年12月の真珠湾攻撃、そして42年5月の米軍のコレヒドール島降伏に至るまで破竹の勢いの進軍だった。ところが42年6月のミッドウェー海戦の大敗で、戦局は大きく変わった。この敗北から日本は、それこそ坂を転げ落ちるように45年の敗戦に向かって行った。今回のウクライナ軍によるハリキウ州の奪還作戦の成功は、まさにロシアにとってのミッドウェーであり、これからロシア軍の敗走が始まるという見方だ。
●進撃したウクライナ軍の実像と損失
しかしながら、このような楽観的な見方とは異なったウクライナ軍の実態が報告されている。
ロシアのジャーナリストの報道やウクライナ軍、ロシア軍両方の動きを丹念に追っているアナリストで弁護士のアレキサンダー・モーリコスなどが、貴重な情報を提供している。まずはハリキウ州に進軍したウクライナ軍はどういう部隊なのか見て見よう。
現在、ウクライナで動員可能な兵力は100万人ほどいるが、実際に稼働している兵力は30万人ほどだと見られている。ロシア軍の侵攻当初はそれぞれ4000人の兵士で構成される47旅団の18万8000人程度だったが、それから動員が進み、いまは30万人の規模になっている。
そして、数か月前からウクライナ軍は、アメリカの特殊部隊、グリーンベレーの教官を招聘し、3万人のエリート部隊の結成と訓練を始めた。訓練期間は6週間で、訓練が終了すると欧米から支援された兵器を実践で操作できるようになる。この部隊には、ポーランドが提供したソ連製のT72戦車、ならびに欧米が支援した火器や大砲、ミサイルなどが配備されている。ウクライナ軍の中では装備がもっとも充実した部隊である。
この3万人の部隊のうち、それぞれ1万5000人が南部、ヘルソン州に、そして1万人程度がハリキウ州に配備された。9月のハリキウ州の奪還は、このエリート部隊が行った。
だがこの部隊の損失だが、予想以上に大きいようだ。先に紹介した分析者のアレキサンダー・モーリコスが参照しているロシア人ジャーナリストによると、ヘルソン州では約2000人から2500人の死傷者、そしてハリキウ州でも2500人から3000人の死傷者が出たとされている。両軍のトータルでは、3万人の総兵力のうち6000人近くが犠牲になっている。
ウクライナ軍同様、ロシア軍もITを中心としたハイテク兵器を使っている。この状況は、8月29日から攻防戦の中心になっているヘルソン州でウクライナ政府の報道統制を突破して野戦病院の傷病兵にインタビューした米大手紙、「ワシントンポスト」の記事が、ヘルソン州におけるロシア軍の攻撃がどういうものなのか詳しく書いている。これを引用する。
「兵士たちは、ロシア軍を撃退するのに必要な大砲がなく、装備の整った敵との技術的なギャップが大きいと語った。このインタビューは、ウクライナ軍司令部が記者の前線訪問を禁止しているほど機密性の高い、占領地奪還への取り組みについて初めて直接語ったものである。
クラスター爆弾、リン弾、迫撃砲の長い連射の後、部隊がロシア軍支配下の村から後退した33歳のウクライナ人兵士デニスは、「彼らは私たちにすべてを使った」と述べた。「このような攻撃を5時間も生き延びられる人がいるだろうか」と彼は言った。
ロシアの無人偵察機オルランは、ウクライナの陣地を頭上1キロ以上の高さから監視していた。
負傷したウクライナ兵によると、ロシアの戦車は新しく建てられたセメントの砦から現れ、大口径の大砲で歩兵を吹き飛ばした。その後、戦車はコンクリートの壕の下にもぐりこみ、迫撃砲やロケット砲の攻撃を防いだ。
対戦車レーダーは、ロシア軍を標的としたウクライナ軍を自動的に検知し、位置を特定し、それに対抗して大砲を放つ。
ロシアのハッキングツールは、ウクライナのオペレーターのドローンをハイジャックし、敵陣の背後に無力に漂う彼らの飛行機を見たのである。」
これがヘルソン州の状況だ。圧倒的に優勢なロシア軍に対してウクライナ軍は終始守勢に回り、領土を奪還することができなかった。ウクライナ軍の死傷者の多さも納得できる。
一方ハリキウ州では、数で圧倒され、不意を突かれたロシア軍が早期に退却したため、戦闘の決着は早くついた。それでも、快進撃を続けるウクライナ軍の死傷者数はそれなりに高かった。その理由は、退却したロシア軍がミサイル、大砲、航空機などで遠距離からウクライナ軍を狙い撃ちにしたからだ。
他方、これに対し、ヘルソン州とハリキウ州におけるロシア軍の死傷者数はことのほか小さいようだ。特にハリキウ州ではそうだ。ハリキウ州にウクライナ軍が進撃したとき、ロシア軍の主力部隊はすでに南部に移動していた。そのため、戦略上の要衝であるイジュームには1000人ほどの兵士しかいなかった。数では圧倒的に少数となったロシア軍は早期に退却を決定したため、死傷者数はかなり少なかった。
●ウクライナ軍は快進撃を続けられるのか?
今回のウクライナ軍のハリキウ州奪還は誰も予想していなかった快進撃だ。ウクライナ軍はわずか数日のうちに、4000平方キロという東京都の約2倍の領土の奪還に成功した。これは間違いなくウクライナ軍の大成果である。ウクライナが高揚するのもよく分かる。また、これからロシア軍の敗走が始まるとする西側メディアの楽観的な見方も、分からないではない。むしろ当然かもしれない。
しかしながら、アレキサンダー・モーリコスや他の軍事アナリストなどは、冷静に見るとウクライナ軍の快進撃とロシア軍の敗走がこれからも続き、ウクライナが領土の大半を奪還できるかどうかは、疑問だとしている。
ウクライナ軍は米グリーンベレーが訓練した3万人のエリート部隊を動員し、そのうち2割に当たる約6000名の死傷者が出ている。ウクライナからの情報によると、ハリキウ州奪還作戦を行う前、大統領の顧問はこのエリート部隊を失うことを恐れ、最後の決戦まで温存すべきだと主張したようだ。だがゼレンスキー大統領はこの意見に反対し、最精鋭部隊の前線投入を決めた。
このように見ると、ウクライナは切り札となるエリート部隊の約2割を失ってしまったことになる。この状況で、ロシアが併合を主張しているルガンスク、ドネツク、サボリージャ、ヘルソンの4州、さらにロシアが2014年に併合したクリミアの奪還に成功するのだろうかという疑問が出てくる。
ロシアの目的はこの4州の併合なので、ハリキウ州はロシアの目的には入っていない。早期に退却したのは、それも理由にあると見られている。だが、ロシアの主目的の4州の奪還となると、ロシアは激しく反撃することだろう。今回のような快進撃をウクライナ軍は他の地域で続けられるのだろうか?
また、欧米の武器支援の問題もある。アメリカを始めとしたNATO諸国の武器支援はそろそろ限界に達しつつある。「ハイマース」などのハイテク兵器の在庫が切れ始めているのだ。また、世界的な半導体不足がいまだに続いているので兵器を増産することも難しくなっている。
さらに、ウクライナ経済の問題もある。この戦争でウクライナのGDPは−45%から−50%まで下落する見込みだ。財政は逼迫しており、NATO諸国の支援があっても戦費調達には間に合わない状況だ。一方ウクライナ政府は、来年度は50億ドルの債務を30億ドルまで圧縮するとしている。こうした状況で、戦費調達ができるのかどうかも問題だ。
●ミッドウェーではなくウクライナのバルジの戦い
こうした状況を踏まえて軍事情報の分析者の間では、ウクライナ軍のハリキウ州の快進撃は、ロシアの敗退が決まるミッドウェーではなく、ウクライナのバルジの戦いではないかという見方も出ている。
ちなみにバルジの戦いとは、第二次世界大戦の西部戦線で1944年12月から1945年1月に、ベルギー南東部のアルデンヌ高地で行われたドイツ軍とアメリカ軍を主体とする連合軍との戦闘のことだ。
1944年12月当時、ドイツはノルマンディーから上陸した連合軍に追い詰められ、守勢に転じていた。連合軍がフランス各地を解放し、すでにドイツに迫っていた。そのようなときヒットラーは、手持ちの最精鋭部隊をすべて動員して連合軍に奇襲攻撃を行い、一気に戦況の逆転を図ろうとした。
しかし、最初は奇襲が成功し連合軍が守勢になったものの、ドイツ軍は連合軍にやられ、最終的には唯一の虎の子であった最精鋭部隊をすべて失う結果になってしまった。この奇襲作戦の失敗が、ドイツの敗北を早めたと考えられている。
これがバルジの戦いである。要するにいまのウクライナ軍によるハルキウ州の快進撃は、ドイツの敗退を早めたバルジの戦いと似た状況になるのではないかという見方だ。つまり、虎の子の最精鋭エリート部隊に大きな損失を出したウクライナ軍は、これから始まるロシア軍の反転攻勢に耐えられず、敗北を早めてしまうのではないかということだ。この見方を支持する分析者は、ウクライナが有利な状況にあるいまこそ、ロシアとの和平交渉の好機だとして、これをできるだけ早く開始することを提案している。
戦況は日々目まぐるしく変化している。この記事は9月14日に書いているが、今後、数日で大きな変化があるかもしれない。ウクライナ軍のハルキウ州快進撃が、ロシアのミッドウエイになるのか、ウクライナのバルジの戦いになるのか注目だ。
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社会分析アナリスト、著述家、コンサルタント。
異言語コミュニケーションのセミナーを主宰。ビジネス書、ならびに語学書を多数発表。実践的英語力が身につく書籍として好評を得ている。現在ブログ「ヤスの備忘録 歴史と予知、哲学のあいだ」を運営。さまざまなシンクタンクの予測情報のみならず、予言などのイレギュラーな方法などにも注目し、社会変動のタイムスケジュールを解析。その分析力は他に類を見ない。
著書は、『「支配−被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる』(2011年1月 ヒカルランド刊)、『コルマンインデックス後 私たちの運命を決める 近未来サイクル』(2012年2月 徳間書店刊)、『日本、残された方向と選択』(2013年3月 ヴォイス刊)他多数。
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★ヤスの英語: http://www.yasunoeigo.com/