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トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄の遺志を引き継ぐ舩井勝仁と佐野浩一が、“新舩井流”をめざし、皆様に「いま、伝えたいこと」を毎週交互に語っていきます。
毎週月曜日定期更新
2009年4月10日
中村天風先生のびっくり

 4月6日のこのページで少し書きましたが、「聖書の暗号」研究家のIさんから「船井先生、先生のこれからの生き方には中村天風さんのことが大事だ、…と、聖書の暗号に出て来ていますよ」というような意味のことを言われて、久しぶりに天風先生の本などを数冊読みました。
 私は天風先生には、お目にかかったことはありません。
 しかし山中竄ウんや上原國男さんから話しを聞き、勉強するように奨められて、天風先生には親しみを持っていました。
 しかし、今回あらためて天風先生の著書や述書を読み、いろいろびっくりしました。
 少なくとも天風先生は、医師から絶対に治らないと言われた肺結核(30才ごろの発症)と癌(50才すぎに発症)を、彼自身の精神力(?)で完治させたように読めます。
 また虎と檻の中に一緒に入っていて平気だったとか、平(たいら)炭鉱ではニワトリを意識で動けなくしたような記述があります。
 ともかく常人のできないことを多くやり、それをはっきり広言されています。
 一つだけ実例をここに載せます。つぎの文章は’94年に日本経営合理化協会から出た中村天風述『心に成功の炎を』の中の147〜153ページの文章です。

 これは自慢してもいいことだから自慢するけど、昭和十七年、北海道から講演を頼まれて、いざ行こうとする三日前に、急に私、声がでなくなっちゃった。
 言論家の声のでないのは、ちょうど武道家が試合に行くときに、腕なり腰なりをくじいたか、折ったかというのと同じことだ。これが本当の声患(こえわずら)いだといわれたけれども、確かに声患いだ。
 そら、えらいもんですな。朝、いつものとおり、ベランダでコーヒーを飲んでいて、もう一杯おかわりをもらいたいと思ってね、普段なら「おい、もう一杯」とこう言えるのが、「おっ、うっ」…おかしいな。でないんですよ。
 そうしたら、うちの者が「どうなすったの?」「うっ」。それからしょうがないから、手でもって「声がでない」と書いた。それでもわからないもんだから、筆をもってきて、紙にチョイと書いた。
 講演がとにかく三日後にあるから、北海道へ行かなきゃならない。北海道じゃあ、「日本三大言論家の一人来る」という広告をだしている。大正の初期の日本の三大言論家とは、田中舎身(しゃしん)(仏教運動家)と鵜崎鷺城(うざきろじょう)(評論家)と中村天風だった。とにかくその広告を立て看板でもって、町の辻々に立てている。そこへ私が出掛けていこうとするのに、声がでなかったならば、これは司会者が大恥かくもんね。言論家が声がでねえじゃ、言論じゃありゃしない。
 すると、まさか私のほうから出向いて医者にかかるはずはないから、会の野崎さんが医者のほうから来れば別だろうというんで、私の竹馬の友に小野という耳鼻咽喉科の大家が東京神田のニコライ堂の前にいて、そこへ野崎さんが電話をかけたらしいんだよ。
「先生、急に声がでなくなっちゃったんですけれどね。遊びに来た体(てい)にして、ちょっとお出でになって診てくださらない?」といったら、向うじゃ半分ね、「ふだん、あのやろう元気で頑張っていやがるから、ざまあみやがれ、ほんとに。ほんとにひやかしてやれ」ぐらいのつもりで来たんでしょう。
 いつものとおり、「こんにちは」。まあ彼は三か月にいっぺんぐらいうちに来るんですよ。
 それで、ベランダに入ってきた。いつもだと、「ようっ、入れ」と、こう言う人間が何も言わないだろう、声がでねえんだから。むこうは声のでないの知っていやがんだけど、こっちは知ってきたとは思いやしねえ。
「どうした、元気か」
「うっ」
「おっ、声がでないのか」というから、
「うん」
「人の十人前も二十人前もふだんしゃべりやがるから、天罰だ。さあ、餅は餅屋。こういうときは、友達がいがあるんだ。さあ、口を開けてみな」といわれて、それでまた私も、ヒョイッと口を開けちゃったんだ。相手が親しい友達だから。そうしたら、ガチャッと入れやがったのは、暴れる子供ののどを調べるときの開口器。
 舌押さえの先に懐中電灯のついたやつで、最初笑いながら見てたよ。そうしたら、だんだん難しい顔しやがってね、
「こりゃだめだ」と言いやがる。そうしたら、女房と野崎さんがいて、
「何でございます?」
「癌。珍しい癌だ、こりゃあ。声のでるところのね、すぐ入院しましょう。うちの病院でよろしい。だがしかし、受け合いませんよ。九十パーセントはだめだ、こりゃあ。幸いに命を取りとめられるとしても、一生、もの言うことができないだろう。けど、医者としてはこれは黙っていられないから、すぐ入院」と。
 いかがです、あなた方。日本でも一、二を争う、よろしいか、耳鼻咽喉科の大家がそう言ったから、あなた方なら「ああ、大変」と、もう死んだような気持ちになってしまう。
 そのとき私は、ものが言えないんだから、筆で書いた。「入院はしない。北海道へ行く」。書いたら、小野、何と思いやがったか、また筆を取りやがって、「入院しなければ死ぬ」と書きやがった。それからまたすぐ筆取って、「おれは耳は聞こえる」と書いてやった。
 そうして、だれが何て言おうとね、北海道へ行ったよ。そうして、やっぱり声がでない。
 初日、ちょうど幸い、札幌の大きな宿屋、山形屋にたまたま東郷大将(大正年間より天風会員)が来てたよ。そして、東郷さんは、陸軍少将の基田という伝書鳩を日本に広めた少将を一緒に札幌の連れて来ていた。
 だから私は、この二人に、「ちょうどいいから、おれのかわりに講演してくれ。おれはこういうわけで声がでないから」と紙に書いて講演の代わりを頼んだんだよ。あの時分にはもう軍人が、まして大将が来るなんていうと、みんな喜ぶんだ。
 ところが、札幌でしょ。東京から行った学生がうんと札幌の大学にいますわ。それが、天風先生が来るというんで、とっても憧れの的(まと)にしてたらしくて、三千人以上、今井記念館に集まっちゃった。演壇のすぐ前のところまでもね、それでも入りきれない。そこで、表に拡声器だして、表にもまだ二、三千人いるってぐらいなんだ。
 それでいながら、私が出ないんだろ。そら聴衆がわきだしたよ。
「天風先生を出せえ」というと、また東郷大将が、
「いま言うたとおり、お出になってもお話がでけんのじゃ」
 そうするとまた、中には、
「顔だけ見せろ」というやつが出てきちゃう。
 控え室にいた私はね、そこまで言うのに出ていかなきゃかわいそうだと思って、出ていったよ。でも、声がでないんですから、しゃべれません。しかしね、この何干という聴衆から、とにかくこれだけの憧憬(どうけい)をうけてる以上は、たとえこの場でいま倒れて死んでも構わん、一言ぐらいは言わなきゃと思ってね、はじめてそのとき私は演壇の水を飲んだよ。
 そして、クンバハカになって、「しょくーん」と言ったら、大きな血の塊(かたまり)がパーッと飛びだしやがった。それと同時に、スラスラものが言えだしたじゃねえか。そのかわり、コンコン、コンコン血が出る。ハンケチ二枚とてぬぐい一枚がたちまち真っ赤。
 そうしたらね、足元にいる学生たちがみんなですがりついて、
「先生、もういいです。もうわかりました。やめてください」というから、
「心配するな。おまえの血が出てるんじゃない。おれの血が出てるんだ。命なくすまでここに立ってないから安心してろ。おれの体はおれが知ってる。悪いもんが出ちまえば止まるから、心配するな」
 一時間、血を吐きながらの講演。そらもう自分ながらね、勇ましいと思ったよ。もの言うたびに、ドロドロ、ドロドロ出るんだもん。
 それで、その晩は九度近い熱。それでも七日たったらね。けろっと治っちゃった。しかしそのときにもしも、最初に「これはいけねえ、即刻入院、即刻手術。けれどは助かるか、助からねえかはわからねえ」といわれたら、もう入院しない前にあなた方なら死んじまうよ。ちょうど幸い、そこに紙と筆があるから遺言書くだろう。ありもしねえ金のことを。
 しかし、ありがたいかな、私は自分の命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから、全然びくともしませんよ(転載ここまで)。


 このような天風先生のお話しにウソはないと思います。それにしても、常人とちがうところが多くあります。
 ともかく私は「びっくり」し、より天風ファンになり、いま、「なぜだろうか」と「びっくり」の答を知ろうと勉強中です。
 読者の皆さんも御研究ください。
                                             =以上=

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舩井 勝仁 (ふない かつひと)
株式会社船井本社 代表取締役社長
1964年大阪府生まれ。1988年(株)船井総合研究所入社。1998年同社常務取締役 同社の金融部門やIT部門の子会社である船井キャピタル(株)、(株)船井情報システムズの代表取締役に就任し、コンサルティングの周辺分野の開拓に努める。
2008年「競争や策略やだましあいのない新しい社会を築く」という父・舩井幸雄の思いに共鳴し、(株)船井本社の社長に就任。「有意の人」の集合意識で「ミロクの世」を創る勉強会「にんげんクラブ」を中心に活動を続けている。
著書に『生き方の原理を変えよう』(2010年 徳間書店)、『未来から考える新しい生き方』(2011年 海竜社)、『舩井幸雄が一番伝えたかった事』(2013年きれい・ねっと)、『チェンジ・マネー』(はせくらみゆき共著 2014年 きれい・ねっと)、『いのちの革命』(柴田久美子共著 2014年 きれい・ねっと)、『SAKIGAKE 新時代の扉を開く』(佐野浩一共著 2014年 きれい・ねっと)、『聖なる約束』(赤塚高仁共著 2014年 きれい・ねっと)、『失速する世界経済と日本を襲う円安インフレ』(朝倉慶共著 2014年11月 ビジネス社)、『智徳主義【まろUP!】で《日本経済の底上げ》は可能』(竹田和平、小川雅弘共著 2015年 ヒカルランド)、『日月神示的な生き方 大調和の「ミロクの世」を創る』(中矢伸一共著 2016年 きれい・ねっと)、『聖なる約束3 黙示を観る旅』(赤塚高仁共著 2016年 きれい・ねっと)、『お金は5次元の生き物です!』(はせくらみゆき共著 2016年 ヒカルランド)がある。
佐野 浩一(さの こういち)
株式会社本物研究所 代表取締役社長
株式会社51コラボレーションズ 代表取締役会長
公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事
ライフカラーカウンセラー認定協会 代表
1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。
著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる 自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて』(成甲書房)、船井幸雄との共著『本物の法則』(ビジネス社)、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)がある。
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