中村陽子の都会にいても自給自足生活
このページは、認定NPO法人「メダカのがっこう」 理事長の
舩井幸雄は生前、中村陽子さんの活動を大変応援していました。
民間稲作研究所の稲葉先生がお亡くなりになってから8か月ほど経ちました。初めは日本の有機農業の巨星を失ったことのショックが大きかったですが、徐々にこれで何とか進めていくしかない、出来ることは何でもしようという覚悟に変わっています。
民間稲作研究所もメダカのがっこうも2001年にできました。
メダカのがっこうは農家支援の消費者として、はじめ、佐渡のトキ野生化プロジェクトを応援するため、佐渡に不耕起冬期湛水を持ち込み、佐渡トキの田んぼを守る会の農家との交流を始めました。それまで不耕起冬期湛水でお米を作れば田の草は1本も生えないという指導者の言葉を信じて進めていたのですが、佐渡の農家たちが草に困っている様子から、少しずつ、いろいろな稲作技術が必要であることがわかりました。稲葉先生の除草剤を使わない稲作を知ったのもそのころです。たくさんの感謝を5つにまとめてみます。
田の草フォーラムに協力してくださった感謝
メダカのがっこうは、農家が本当に困っているのが田の草であることが分かり、2004年から「田の草フォーラム」を始めました。これは各地域で、様々な農法で草対策に成功している農家さんたちに発表していただく情報交換会です。この田の草フォーラムの第1回目からずっと協力して研修してくださったのが、稲葉先生です。同時に自然農法センターの岩石研究員や、冬・水・田んぼを推進し、生きもの調査指導の岩渕先生などの協力もいただきました。専門的なお話は難しいこともありましたが、日本の農業の行く末を考えている情熱に惹かれ、一生懸命理解を深め必死についていき、今年第9回田の草フォーラムまで続いています。第9回は稲葉先生の追悼会になってしまいましたが、よく何もわからない私たちをここまで育てて頂いたと、深く感謝申し上げます。
田の草フォーラムでは、田の草対策は、田植え前までにその8割が決まっていることを学びました。稲葉先生の2回代かき、成苗2本植えは、その後、千葉県いすみ市の有機米給食を可能にし、次に木更津市の有機米給食も指導中です。稲葉先生亡き後も、民間稲作研究所の農家の方たちが引き続き指導に当たっているとのこと、次世代への責任を果たしていらっしゃるのだと感謝いっぱいです。
米・麦・大豆の2年3作体系を構築してくださった感謝
米、麦、大豆は、日本の主要農作物である主食の米、味噌、醤油、の原料ですが、小麦と大豆の自給率が12%や6%ということは、私たちの食の安全保障上、非常に心配なことです。このことを本気で解決してくれるのが、この米・麦・大豆の輪作体系です。これも日本中の基盤整備で暗渠(あんきょ)排水が完備された状況だからできることで、自然農法の思想とは相いれないのですが、稲葉先生は、草対策にもなりながら、日本の主要農作物の生産量を上げる非常に優れた農法だといつも力説しておられました。私も、可能な田んぼは取り入れて、特に麦と大豆の自給率を上げてほしいと思っています。
オイルプロジェクトを始めてくださった感謝
福島の原発事故により、放射能汚染されてしまった畑でヒマワリを作りながら土を浄化し、その種にはセシウムが入らないことから、搾った油を売って農業を続けられるようにしようという考えは素晴らしいです。放射能汚染しても土を背負って逃げられない農家の絶望を希望に変えるというたくましい精神を稲葉先生に感じます。
その他に、春りん蔵というF1種のヒマワリを、毎年、姿、高さ、早生か晩生かで区別して種取りをしながら、F9まで種取りするという活動に参加させていただいた思い出は忘れられません。品種登録まで行く予定だというお話でしたが、これがまだ達成できていないのが残念です。
また、菜種の栽培では、途中で異株抜きという初めての経験をさせていただいたことが感謝です。
ブータンを有機農業の国にする働きに感謝
田坂先生の関係で突然始まったブータンへの協力、2020年までに有機農業の国にすると宣言したブータン、行ってみたらさしたる政策もなく予算もなく、稲葉先生がすべて考えて指導し、最後は田んぼづくりに必要なストーンクラッシャーという石を砕く大型重機を調達して輸送する費用までクラウドファンディングで集めてしまったというお話です。なんて勝手な国!なんて人がいい稲葉先生!というのが私の印象でした。
でも、稲葉先生がお金を集め始めた時、私は一生懸命協力しました。だって私が大切にしている教え「自未得土、先渡他」(自分はまだ悟りの境地に達していなくても、他の人を先に渡すために働く)を地で行っている行為だと思ったからです。日本を有機農業の国にしたくて頑張っているのにその道未だ遠くても、ブータンを先に有機農業の国にするために全力を尽くすという生き方に感動しました。
子どもたちの給食を有機にする活動をけん引してくれて感謝
いすみ市の有機米給食を実現に導いたのは、稲葉先生の有機稲作技術でした。その後、全国で湧き上がっている有機給食への運動、この時、絶対に必要なのが、有機米の増産計画です。たとえば、世田谷区が全部有機米給食にするには年間500トンが必要、その生産には、何軒の農家がどれくらい作ればいいかまでを計算し、準備に入ってくれるのです。有機給食運動は、自治体がその方針を出してから、有機農産物の生産が追いつくまでのタイムラグをできるだけ短くすることが重要です。この点、稲葉先生を失ったことは大きな痛手です。
ここ数年、種子法廃止、種苗法改正の中で、栃木県の農家や政治家の方たちの種子への意識を高めたり、理想的な条例案を考えたのに、中身が違う条例になってしまったり、常に心労が絶えなかったと思います。また民間稲作の農場の仕事もあり、身体も心も休む暇なく、寝る間もないほど働いて働いて、もう生身の身体ではやりきれないと分かって、あの世に行かれたような気がします。
残された私たちも、すごい激動期で、現状をひっくり返さない限り、次世代には残せない世の中になっています。安らかにお休みくださいと言いたいところですが、あの世からの応援を少しでいいのでお願いします。頼りにならない後輩で申し訳ありません。
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首のタオルにシュレーゲル青ガエルが
いるので、とてもうれしそうな顔を
してい ます。
1953年東京生まれ。武蔵野市在住。母、夫の3人家族。3人の子どもはすべて独立、孫は3人。
長男の不登校を機に1994年「登校拒否の子供たちの進路を考える研究会」の事務局長。母の病気を機に1996年から海のミネラル研究会主宰、随時、講演会主催。2001年、瑞穂(みずほ)の国の自然再生を可能にする、“薬を使わず生きものに配慮した田んぼ=草も虫も人もみんなが元氣に生きられる田んぼ”に魅せられて「NPO法人 メダカのがっこう」設立。理事長に就任。2007年神田神保町に、食から日本人の心身を立て直すため、原料から無農薬・無添加で、肉、卵、乳製品、砂糖を使わないお米中心のお食事が食べられる「お米ダイニング」というメダカのがっこうのショールームを開く。自給自足くらぶ実践編で、米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、オイル」を手造りし、「都会に居ても自給自足生活」の二重生活を提案。神田神保町のお米ダイニングでは毎週水曜と土曜に自給自足くらぶの教室を開催。生きる力アップを提供。2014年、NPO法人メダカのがっこうが東京都の認定NPO法人に承認される。「いのちを大切にする農家と手を結んで、生きる環境と食糧に困らない日本を子や孫に残せるような先祖になる」というのが目標である。尊敬する人は、風の谷のナウシカ。怒りで真っ赤になったオームの目が、一つの命を群れに返すことで怒りが消え、大地との絆を取り戻すシーンを胸に秘め、焦らず迷わずに1つ1つの命が生きていける環境を取り戻していく覚悟である。
★認定NPO法人メダカのがっこうHP: http://npomedaka.net/