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トップが語る、「いま、伝えたいこと」

このページでは、舩井幸雄が(2014年1月19日の舩井幸雄の他界後は舩井勝仁が)いま一番皆様に知ってほしい情報をタイムリーにお伝えしていきます。
毎週月曜日定期更新
2013年5月6日
結婚50年
   荒井義雄さんからのFAX(※クリックすると
   拡大して見られます。)

 私と家内は昭和38年4月に結婚しました。満50年です。
 私は病気で、出られないからというので、4月のある日、家族が集って、「両親の金婚式を祝う会」を開いてくれました。
 これでいろいろなことを思い出したのです。
 私は健康でした。大きな病気は2006年3月まで記憶にありません。
 この年の3月、佐賀市内で講演会があり、そこで話している途中にセキがとまらなくなり、友人の矢山利彦さんのクリニックに駆けこんだことがあります。
 翌日も長崎市内で講演会があり、よりセキがはげしく、ホテルで休みました。
 この日から病気がよくならないのです。
 この2年前の2004年5月、長野県川上村まで車で行き、帰途、八ヶ岳のふもとの溝(みぞ)にはまりこみ、カラダをひねり、右肩と右手が変になりました。
 川上村はレタスで有名ですが、わが家の愛犬ゴンの出生地です。
 2006年3月からいままで、私は半病人として生きてきました。
 結婚50年、その後半の、ようやく家内と楽しもうと思った矢先の数年間の半病人はさすがにこたえましたが、家内の努力もあり、何とかそれなりに生きてきました。
 しかしすっかり家内にはアタマの上がらない人間になってしまいました。家内の世話がなかったら、とっくに生きておられなかったと思います。
 50年と言いますと、結婚したころは貧乏のどん底でした。
 若い家内を何とか幸せにしようとがんばったのですが、空回りばかり、お金の面、仕事の面で充たされぬ日々を送っていました。
 生きる希望は若いかわいい(?)家内だけだったかもしれません。
 とはいえ、私なりに夜討ち朝駆けよく働いたと思います。私の母など、家族と同居する家で何とかやってこられたのは、健康だったからでしょう。
 このような私が独立したのは、昭和44年(1969年)です。
 「フナイ経営研究所」という個人経営で旗上げしたのですが、翌昭和45年(1970年)株式会社にしています。
 この会社が(株)船井総合研究所(当時の社名は(株)日本マーケティングセンター)で、同社の発足日は、1970年3月6日です。
 いま、大きく一流(?)になった同社を見ますと、若かったから、健康だったから、家内と2人で協力できたから、苦労があまり苦にならなかったのだな……と思います。
 その後は、子育て、世間との付きあいなどは家内まかせ、私はもっぱら仕事、仕事で過ごしてきました。
 こうしていま50周年と言われて、やはり気になるのは、夫婦というカップルの持つフシギさです。
 もし来年、少しでも私の体調がよくなれば、1年遅れの家内と2人だけの金婚式を祝ってみたいと思っています。
 ともかく、ここまでで言いたかったのは、われわれ夫婦は、今年4月で結婚50年を迎えた。おおむね健康で元気だったが、私の不徳の致すところ、ここ数年は私は半病人です。……それを家内に助けてもらって何とか生きているということです。
 それ以外は私は働いて稼いだが、家庭のこと、家計のことなどは100%以上家内まかせだった……そういう夫婦だったと言いたいことです。
 環境を考えますと、そういうことが許されたか許してくれた家内にやはり感謝の念のたえない50年でした。
 もちろん50年は永いですから、いろんなことがありました。子供や家族がいましたから、そんなにきれいごとだけで来たわけではありません。
 とはいえ、いまの家内とでなくては、過ごせなかった深い縁のあった人生だと思います。
 ともかく、いま何だかだと思い、お互いに話しながら、信頼している2人を見出すのは私のおのろけかも分りませんね。
 最近、私も80才を過ぎ、家内も70才をこえて、いい爺さん、婆さんになりつつありますが、時々、家内を見ながら「これでよかった?……」と「許してくれよ」と感謝の手を合わせる日々です。
 特に、ここ数年の私の病気中の家内の苦労を思うにつけ、あまり口や顔に出さない家内だけに特にその姿に両手を合わせたくなります。
 本稿をあえて4月でなく5月にブログに載せることにしたのも、それ故ですが、80才を過ぎてから、「いつ死んでもいい」「いいカッコはしたくない」と思うようになりました。
 なお、どういうわけか、この私のことについての情報が案外外へ流れます。
 これはついいま直前に来たFAXをそのままコピーします(右上画像。以下はその内容)。

船井先生
 一月末に熱海にお伺ひしまして久し振りに会長にお会ひ出来て嬉しかったです。口腔の痛みにその後は具合は如何ですか。FAXもつい会長の負担になるのではないかと御遠慮申しあげておりました。
 桜の花も散り、新緑が目ざめてきました。
 二月のザ・フナイには転倒された様子が書かれていましたが、回復された事と思います。高齢にはつきものの、不自由ですが、できるだけ御縁のないのが良いようです。
 いよいよ会長の使命が待っています。
 会長の御近況、お報せ頂けば、有難く存じます。
 御健康、心よりお祈り申しあげます。
                                    敬具
                                       四月
                            荒井(FAX転載ここまで)


 これは荒井塾でがんばってくださっている荒井義雄さんからのものです。
 一日に10−20枚このようなFAXがとびこんで来ます。
 ほとんどはお互いに返事不要の約束をしていますので、気になりませんが、生命と病苦は別にして、こんなに気楽に生きられるのは50年の家内との生活のおかげだと思っています。
 ではまた。
 さいごに家内よ、ありがとう。感謝しています。
                                           =以上=

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公益財団法人舩井幸雄記念館 代表理事
ライフカラーカウンセラー認定協会 代表
1964年大阪府生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業後、英語教師として13年間、兵庫県の私立中高一貫校に奉職。2001年、(株)船井本社の前身である(株)船井事務所に入社し、(株)船井総合研究所に出向。舩井幸雄の直轄プロジェクトチームである会長特命室に配属。舩井幸雄がルール化した「人づくり法」の直伝を受け、人づくり研修「人財塾」として体系化し、その主幹を務め、各業界で活躍する人財を輩出した。 2003年4月、(株)本物研究所を設立、代表取締役社長に就任。商品、技術、生き方、人財育成における「本物」を研究開発し、広く啓蒙・普及活動を行う。また、2008年にはライフカラーカウンセラー認定協会を立ち上げ、2012年、(株)51 Dreams' Companyを設立し、学生向けに「人財塾」を再構成し、「幸学館カレッジ」を開校。館長をつとめる。2013年9月に(株)船井メディアの取締役社長CEOに就任した。 講演者としては、経営、人材育成、マーケティング、幸せ論、子育て、メンタルなど、多岐にわたる分野をカバーする。
著書に、『あなたにとって一番の幸せに気づく幸感力』(ごま書房新社)、『ズバリ船井流 人を育てる 自分を育てる』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)、『私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて』(成甲書房)、船井幸雄との共著『本物の法則』(ビジネス社)、『あなたの悩みを解決する魔法の杖』(総合法令出版)、『幸感力で「スイッチオン!」』(新日本文芸協会)がある。 -->
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