舩井幸雄の「この人いいよ!」

このページでは、超幅広い舩井幸雄の人脈の中から、舩井幸雄がぜひ皆さまに紹介したいと思う人を、さまざまな角度からご紹介します。

横浜から世界に向けていざ、日本文化を発信!
かをりのお菓子で世界に夢を!
(舩井幸雄夫婦がもっとも尊敬する経営者)
今回紹介するのは、横浜の日本大通りの側の、異国情緒あふれる街並みにあるレストラン フランス料理&洋菓子「横浜 かをり」の代表取締役社長の板倉敬子さんです。
「かをり」は、戦後間もない昭和22年に、板倉敬子さんのお母様の板倉タケさんによって創立されました。それを敬子さんが引き継ぎ、レストランに加え、デパートでトリュフやレーズンサンドなどの洋菓子を扱ってもらえるようになり、さらに事業を拡大されてきました。
敬子さんは、小学校から高校まで横浜雙葉(ふたば)学園に学び、聖心女子大学を卒業されたという典型的なお嬢様育ちながら、いまでもはつらつと自らお店に立ち、いつも笑顔で働いていらっしゃいます。

かをり商事株式会社 代表取締役社長 板倉敬子さん

かをり商事株式会社 代表取締役社長 板倉敬子さん
その一方で敬子さんは、いまから10年前の平成13年に、舩井幸雄とも親しかった当時35才の最愛の息子さんを突然亡くすという大変つらい経験もされています。
そんな敬子さんに、いままでの経緯や、これから実現したい夢について語っていただきました。

プロフィール
●板倉 敬子(いたくら けいこ) かをり商事株式会社 代表取締役社長
横浜市中区出身。横浜雙葉学園高校、聖心女子大学文学部英語学科卒業。横浜商工会議所第一号会員。横浜商工会議所女性会会員。(財)尾崎行雄記念財団評議員。(財)日本さくらの会評議員。

TEL:045−681−4401 FAX:045−662−3764
 
―まず、「かをり」のお店が生まれた経緯をお聞かせいただけますでしょうか?
 
「かをり」現在の本店(日本のホテル発祥の地でもある。)
「かをり」現在の本店(日本のホテル発祥の地でもある。)
板倉:「かをり」は昭和22年の戦後間もない頃に、私の母・板倉タケによって創設されました。だから早いものでもう64年になりますね。
 父も祖父も日本郵船の船乗りで、それまで世界中をまわっていたのですが、戦争で多くの船が沈没してダメになってしまい、日本郵船の将来にも不安を感じていたようです。預金も封鎖になり、大変な時代でした。 
 そんな折に、母が所用があって横浜市の弘明寺まで出かけた際に、ふと「有名な弘明観音様を拝ませていただこう」と思い、お参りしたそうです。その日の帰りに、電車で横浜橋まで来ると、そこで不動産屋の広告が目に入ったそうです。それでふっと降りて、不動産屋の広告に、ある商店の物件があって、横浜橋の一角の角地が空いていたそうです。母はその時、何か分らないけどこみ上げてくるものがあって、「商売をしたい」という一念にかられて、一目散で家に帰って、祖父母や父に「商売をやりたい」と話したと言います。
 「素人に商売なんてできるわけないじゃないか」と猛反対を受けたようですが、母の一念は固くて、商売の道をあきらめなかったのです。ミシンが2台あるから洋服屋をやろうか、それともコーヒー豆があるから喫茶店をやろうか」と迷ったようですが、結局、喫茶店を始めることになりました。
 思えば、戦後間もなく、焼け野原になった横浜で、母は私に真っ当な教育を受けさせたい、と思ってくれたこともあって、母自身が商売を始めようと思い立ったようです。
 
―そうなのですか。思い切りがよく、直感を大事にされているお母様ですね。
ところで、お店の「かをり」という名前は、どなたかの名前なのでしょうか?
 
板倉:いいえ、そうではありません。「かをり」というお店の名前は、父が名づけたのですが、父は大変文学を愛していて、芸術的なことも好きで、戦後、亡くなるまで筑前琵琶や和歌などを趣味にしている人でした。それで、国文学者の本居宣長の有名な歌、

 「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花」

の、「匂う」という言葉からヒントを得て、「かをり」と名づけました。

 この歌の解釈はいろいろありますが、父は、
「日本の象徴は何かと尋ねられたなら、朝日の中に輝いて、かぐわしい匂いをあたり一面に放っている山桜の花に象徴される」

 と解釈したようです。また、フランス料理は「匂い」を大事にしますよね。香水の本場がフランスで、それにちなんで、「かをり」とつけたんだと思います。それに父は桜の花が好きでした。
―そうなのですか。ところで板倉社長は、いまではバリバリと2代目社長として敏腕を発揮されていますが、もともとは経営に携わるつもりはなかったと伺いましたが?
板倉:ええ、本当に全然なかったのですよ!本当にまさか自分が経営に携わることになるとは思ってもみませんでした。私は、小学校から高校まで横浜雙葉学園で学び、それから聖心女子大学に進学し、ずっと女性に囲まれた中で過ごしてきました。
―典型的なお嬢様のコースですよね。
板倉:そんなことはないのですが、静かな生活を送りたいとずっと思っていましたから、商売は私には到底できないと思っていました。卒業したらお嫁さんになる、としか考えていませんでしたし。私の実家ももともとはそういう生活だったのですけどね、戦後、母が中心となって商売を始めてから変わってしまいました。
 私は大学を卒業してから4年後に結婚し、二人の子どもを授かり、子育てに励んでおりました。そんな昭和45年頃、現在の「かをり」の店舗となる、日本大通りの向こう側、大桟橋通りのところに店舗が移りました。当時は殺風景なところで、「こんなところで商売が成り立つのかしら」と思っていたら、案の定、レストランは閑古鳥という状態が3年くらい続きました。それで、両親を助けたい一心で、経営に関わるようになったのです。
かをり店内の様子。
かをり店内の様子。
 商売をやり始めたら、まっしぐら、という感じですね。「この道をやると決めたからには、やらなきゃ」というような信念を持ってやってきました。だから、お金儲けとかそういうのは二の次だったと思います。

 そして昭和50年に、贈り物になるような洋菓子を私が創り始めたのです。それは後にデパートにも置いてもらえるようになりました。
 お店がレストランだけだったら、ここのお店に来ていただけるお客様だけですよね。ケータリングサービスなども考えたり、いろいろ試行錯誤をして……、もっと大勢の方に「かをり」の味を知ってほしいと思いました。
 それで私は洋菓子に興味を持つようになったのです。それまで、レストランではデザート菓子はやっていましたが、デパートに出すような贈り物になるようなお菓子まではやっていませんでした。
―そうなんですか。それでは、かをりの定番の有名なレーズンサンドなども板倉社長が考えて始められたものなのでしょうか?
板倉:はい。まず昭和50年に、チョコレート菓子のトリュフの商品化に取りかかりました。でもトリュフだけではデパートには置いてくれないだろうということで、小川軒さんが出しているようなレーズンサンドを作ったら、西武デパートさんがそれらを置いてくれると言ってくれ、一年がかりで試行錯誤して、レーズンサンドを完成させました。
 デパートにかをりのお菓子を置いてもらえると、より多くの皆さまにそれを召し上がっていただけるようになります。それでデパートに憧れていたのです。
 父と母が戦後すぐに「かをり」を始め、かをりの土台が作られ、昭和50年がターニングポイントになりました。それからブランデーケーキを創りました。
 そして平成3年に「桜ゼリー」をふとしたことがきっかけで、創ることができました。
レーズンサンド、幸運のたまご、ブランデーケーキなど
レーズンサンド、幸運のたまご、ブランデーケーキなど
レーズンサンド、幸運のたまご、ブランデーケーキなど
桜ゼリーが生まれたフシギな経緯
―「ふとしたきっかけ」とは、どのようなものだったのでしょうか?
桜ゼリー
桜ゼリー
板倉:はい。平成3年3月17日に……、この日はちょうど息子の大学(東大)の卒業式があった日で、それで正確に日付を覚えているのですが、この卒業式の日の朝、私は「そうだ、これから桜ゼリーを作ろう!」と思ったんです。それで「桜ゼリー」を創ることになり、いまでは「かをり」の定番商品の一つになっています。
 というのもその日の朝に、(部屋に龍に乗った神様を置いてあり、龍神様はお水が好きだというので、毎日その神様の前にお鍋にお水を入れて置いていたのですが、)その龍に乗った神様の前に置いてあるお水がなんと黄金(こがね)色になったのですよ!
 私以外でも息子や娘も黄金色になったお水を見ています。息子は、「僕の卒業を祝ってお水が黄金色になったんだ」と言っていました。でもこのようなことは、これまでにいろんなマスコミの取材で話しましたけど、『にんげんクラブ』の会報誌(2009年7月号の「輝く仕事人」)以外はどこも載せてくれませんでした。
―そうだったんですか。にんげんクラブはスピリチュアル的なこともかなりOKですからね(笑)。
板倉:本当の話で、本当にお水が黄金色に輝いたんですよ。ちょうど息子の卒業式の当日だったから、日付まで覚えているのです。私にとってはとても大切なことなので、取り上げていただけてうれしかったです。
 それで私は、「これはきっと、桜ゼリーがヒットして、世界に羽ばたくということを暗示しているんだわ」と思いましたら、本当にそのとおりになりました。そしてそのことがわかってからは、お水は普通に戻りました。だからそういうことってあるんですよね〜。

 私の息子は、舩井幸雄先生を大変尊敬していて、大ファンで、「僕は結婚する時には船井先生に仲人をしてもらいたい」と言っていたくらいです。それくらい船井先生を慕い、憧れていたんですね。
 
『にんげんクラブ』会報誌2009年7月号。「輝く仕事人」に板倉社長のインタビュー記事が載っています。
『にんげんクラブ』会報誌2009年7月号。「輝く仕事人」に板倉社長のインタビュー記事が載っています。
―船井から時々は聞きます。すばらしい人だったらしいですね。ところで今回のインタビューも、舩井幸雄から直接、「(板倉さんは)特別の方だから、ぜひ取材に行って紹介してね」と強く言われて、伺わせていただいたのですよ。
板倉:そうですか。それはうれしいですね。きっと息子が天国から船井先生にメッセージを送って、それが船井先生の心に入って、そう言っていただけたのかもしれませんね。
―そうなのかもしれませんね。失礼ですが、息子さんはいつ頃、何が原因で亡くなられたのでしょうか
板倉:平成13年の3月28日に35才で亡くなりました。ちょうどその前日の3月27日に息子と私の二人でオペラを観に行きましてね、いただいたオペラのチケットだったんですが、演目は「椿姫」だったでしょうか。それが二人で行った最初で最後のオペラになりましたね。その翌日に、心臓発作を起こして……。
―それまではとくに闘病していらっしゃったとかではなく、突然だったのでしょうか?
板倉:そういうことはありませんでしたが、疲れていたとは思います。亡くなった後に息子の手帳を見たら、船井先生の講演会の予定とかが書いてあったから、亡くなる少し前まで、船井先生のお話をよく聴いていたのだと思います。
フシギな瀬戸内寂聴さんとのご縁に癒される
板倉:あれからもう10年がたちました。でもいろいろ不思議なことってありますね。別に私はオカルト趣味でも何でもないのですが…。平成15年に時事通信社のある大きな会合の定例会があって、作家の瀬戸内寂聴さんが講師としていらっしゃいました。その時、私なんかきっと端くれなのに、大きな会場のメインテーブルに坐らせてもらったんですよ。確か1500人くらい集まっていました。
 その日、食事会があってその後、瀬戸内寂聴さんの講演会があったのですが、瀬戸内さんも私たちと同じテーブルでお食事を召し上がったんですね。その時、お料理を一口食べると、なぜか私の顔を穴の空くほどご覧になるのですよ。それでまた私が顔を上げると、私の顔を見るんですよ。目と目が合うのです。
 で、その食事の後に瀬戸内さんが壇上にお上がりになって1時間半の講演が始まったのですが、その時、82歳とかおっしゃっていたかな。で、すごくニコニコなさっていて、「私はいつもお食事は残さずいただくのですが、今日は胸がいっぱいで、いただけませんでした」という言葉から講演が始まりました。それで最後に「あの世はある」とおっしゃって、何か笑わせるようなこともおっしゃって、終わったのです。びっくりしたのはそれからです。
 寂聴さんが私に「あなたには、息子さんがついていますね」とおっしゃったのです。だって初対面なんですよ。私は瀬戸内さんのことは知っていましたが、でも私の息子が死んだことなど、瀬戸内さんはご存知なかったと思います。瀬戸内さんが皆の前で「あなたには、息子さんがついています」なんておっしゃるから、みんなびっくりするじゃないですか。
 その時瀬戸内さんは、私には、2つ(守護霊が)ついている、と言われたのですが、私の中に入っているから、私のことを守ってくれている、ということでした。
 その時は息子の三回忌の後でしたから、まだ心は悲しんでいますよね。でも「息子がついてくれている」と聞いて、だんだん元気が出てきました。これはフシギでしたよ。
―そうですか。瀬戸内寂聴さんに何かが見えた、ということなのでしょうか。
「かをり」外観。
板倉:分りませんが、見えたんでしょうね。瀬戸内さんが私の息子のことを知っているわけがないのですから。
 それがあって、その後、平成18年だったかな、夏だったですね。このかをりのレストランのレジのところのテーブルで、手紙を書いていたことがあるのですよ。ちょうど息子のことを、ある人に向けて手紙に書いていて、「平成13年3月28日に息子が亡くなって……」とそこまで書くと急に気配を感じて、ハッと後ろを見ると、なんと、瀬戸内さんが後ろに立っているではないですか!出版社の方たち5人くらいと一緒に。「えー」と思ってビックリして。瀬戸内さんは「吸い込まれて入ってきた」とおっしゃるんです。もちろん、私がいるお店だとは知らなかったと思います。
 坐る席が空いていなかったから、お客様が瀬戸内さんと分ったからか、席を譲ってくださって。だから私はその時思わず、「いま息子のことを手紙で書いたちょうどその時に瀬戸内さん達が入って来られて、とてもびっくりしました」と、お伝えしました。
 その後、瀬戸内さんからは、「"日にち薬"といって、日にちがたっていくと、悲しみも和らいでくる」というような、いいお話をいただきました。
―それは不思議ですね。瀬戸内さんと何かご縁があるのでしょうか。もともと板倉社長は瀬戸内さんのファンでいらっしゃったんでしょうか?
板倉:そうですね。ファンで時々いろんな講話を聴いたり、ご本も時折読んでいました。とてもすばらしい方だと思っていました。
―そうですか、息子さんもお好きだったのでしょうか?
板倉:そういうことは聞いたことなかったですね。船井先生のことは聞いていましたが(笑)、瀬戸内さんのことは聞いたことなかったですね。ただ私は、瀬戸内さんという方が、出家なさって、詳しいことは実は分らないのですが、でもいつもニコニコしていらっしゃって、愛くるしい感じの方だなぁとは思っていました。
 息子が亡くなった後、瀬戸内さんだったからその講演会に行こうかなという気にもなったんです。
 平成19年に息子の七回忌を迎えました。それまでどうしても嫌で、納骨せずに(お骨を)傍においてあったんです。でもそのとき、お坊さんも「納骨しましょう」ということで、納骨をすることになったんですよ。
 そのことをある人への手紙で、「瀬戸内さんのおかげで、元気をいただけて、今度3月17日に納骨をすることになりました」と書いていたら、ちょうど、お店に瀬戸内さんが入って来られて……。
―そうですか……。無事納骨されてよかったですね。いい息子さんだったのでしょうね。
板倉:ええ、とっても。親の私が言うのもなんですが、本当にとてもいい息子でした。性格もとても良くて……。だから船井先生と私のご縁は、息子が結んでくれたと私は信じています。そういうことってあるんでしょうね。
―そうなんですね。息子さんにも、ゆくゆくは"かをり"のお店を継いでもらう、とかのご希望はあったのでしょうか?
板倉:そうですね〜、息子自身は、神社の宮司さんのような職業にも興味があったようですね。神社に行くとやっぱりなんか心が洗われて落ち着くじゃないですか。息子もどちらかといえば、そういうタイプだったかもしれません。きっと船井先生がおっしゃっているような目に見えない世界などにも興味を持っていたと思います。いつもいろんな本を読んでいて、読書量とかすごかったですよ。仏典とか聖書とか、哲学的な本がいっぱいありましたね。あと、音楽がとても好きで、自分で音楽を聴く装置を作ったり、自分で何でもやっていました。クラシックの音楽がいっぱいありましたね。
―そうなのですか。優秀で素晴らしい息子さんを若くしてお亡くしになったつらさは本当に計り知れないと思います。本当におつらかったでしょう。
ところで、板倉社長が経営をする上で、大事にされていることはどんなことでしょうか?
板倉:そうですね、私はお金というのは、がんばった後からついてくるものだと思っています。だからお金を儲けようとか、そういう気持ちはあまりなくて、ただ夢中で、お客様が喜んでくださることを大事に思っています。いまは社長だから経理もみなければいけません。でもお客様がかをりのレストランに来てお食事をしてくださり、「おいしかった」と思ってくださり、満足して帰ってくださることが喜びでした。
 そして、やはり両親が始めた商売だから、しっかりと守っていかなければいけない、始めたからにはやらなければならない、と真面目なところはあると思います。
 私の卒業した雙葉学園高校の校訓に、「徳においては純真に、義務においては堅実に」というのがあるのですが、それが私の中でもモットーになっています。
 やっぱり雙葉での一貫教育が身についていると思います。やっぱり、困難があってもなんとか乗り越えて来られたのは、そのおかげだと思っています。
かをりの贈り物用の洋菓子。
 かをりの贈り物用の洋菓子。
経営にも「直感」を大事にしている
板倉:商品のアイディアが浮かぶ時も、私の場合、ねじりハチマキで必死になって商品を創り出すのではなくて、ふと、思いつくんです。直感です。
 だから、以前、舩井幸雄先生主宰の「直感力研究会」というお勉強会があったと思うのですが、「なるほど」と思いました。
―そうですか。やっぱり、経営などは、突き詰めていくと直感力を磨くことがとても大切になってくるのですね。
板倉:そうですね。私の母もおそらく潜在意識では(商売をやりたいと)思っていたと思うのです。まあ「観音様から(お店を)授かった」と母は信じていたのですが、私たちも、「観音様からいただいた商売だから、一生懸命やるのだ」という気持ちなのです。
 母は不動産の看板を見て、電車を降りて、それでまわりの皆の反対を押し切ってお店を始めてしまったのだから、大胆ですよね。まさに直感だったと思います。
 だからやっぱり、直感というのはどこから出てくるのかというと、潜在意識で思っているから出てくるのだと思います。きっと天から情報というのはたえず注がれているのではないでしょうか。
―なるほど。ところで話は変わりますが、戦後、日本は欧米の文化に憧れ、それらを必死で取り入れ、追いつけ追い越せと一生懸命やってきたと思います。まさに「かをり」はその筆頭の一つでもあるでしょう。その甲斐あって、西洋文化はしっかりと日本に浸透したと思います。それがひと段落し、今年の3月11日には、あの大震災も起こりました。
まさにいま、日本は進む方向性を改めて見直す時期が来ているのではないかと思います。舩井幸雄は「これからの世界の中心になるのは日本だ」とだいぶ前から言い続けています。 
板倉社長は、そのあたりについては、どのようにお考えでしょうか? これから世の中はどのように進んでいくと思われますでしょうか?
板倉:正直、全然分りません(笑)。ただ私は、夢はどんなものを持ってもいいと思っています。
 だいぶ前になりますが、NHKの大河ドラマで毛利元就をやっていました。その中で、幼少の毛利元就が、「一国一城の主になるには、やはり日本一……、天下取りになるくらいの大きな希望を持たなければできない」というようなことを言っていました。
 それと同じようなことで昔、母が言った言葉が、「横浜一になろうと思うなら、日本一になるように思うことが大事」です。その母の言葉とドラマのセリフが重なったのです。それで感銘を受けたことを憶えています。
 その時、私はお菓子で、(まだ東京にも羽ばたいてないのですが、)「これからは世界に羽ばたかなきゃ」と思ってしまいました(笑)。そういう夢を持っていますね。
―頼もしい素敵な夢ですね。
桜ゼリーを通して、日本の心を世界に伝える
板倉:APEC(アジア太平洋経済協力会議)が去年(2010年)11月に横浜市で行なわれたとき、かをりのお菓子をなんとかそのお土産にしていただこうと思ったのですが、何かいろいろ緊迫感があって、お土産にはしていただけなかったのです。ただAPECの閣僚会議のコーヒーブレイクの時にかをりのお菓子6種類くらい、レーズンサンドと幸運のたまごとブランデーケーキなどを使っていただくことができました。すごく喜んでいただけて、とてもうれしかったです。
桜ゼリーとかをりのケーキセット。
桜ゼリーとかをりのケーキセット。
 また、2008年の北海道洞爺湖サミットの時は、真夏の暑い時期で、G8に桜ゼリーや宝石ゼリー(ヴィーナスの誕生)やサブレなどをお土産として提供することができました。宝石ゼリーは、光り輝く宝石をモチーフにした、天然素材を使った8種類の異なった味のゼリーです。
 アメリカ、イタリア、フランスなどいろんな国々です。別に売り込んだわけではないのですが、自然の流れでこうなりました。ありがたかったです。
―よかったですね。きっとかをりのお菓子は世界中から信頼されているのでしょうね。
板倉:分りませんが、ありがたいですね。でも、そんなに儲かっているわけではないのですけどね(笑)。
―かをりのお店は西洋のお菓子や文化がベースにあると思うのですが、一番フランスの影響が強いのでしょうか?
板倉:そうですね。以前取材に来ていただいた英国人の記者に言われたことで、とても印象に残っていることがあります。それは、その記者の方が、かをりのレーズンサンドや桜ゼリーなどのお菓子を召し上がった後、「あなたのご両親は、フランス料理を通じて、フランス文化というものを日本の方々に伝えた。だから今度はあなたは、桜は日本の国花であり、日本の心だから、この桜ゼリーを通じて、日本の心を世界の方々に伝えるといい」と言ってくださったのです。それで、とてもいいことをおっしゃるなぁと感激しました。
―そうですか。それは素敵ですね。今年は震災などもあり、いま、政治も経済もいろいろな面が停滞していますよね。板倉社長は今後、日本はどのような方向に進んでいくと思われますか?
板倉:やはり、難しいことは分りません。銀行の方なども「今後の経済は不透明だ」なんておっしゃっていますし。だから専門家でも分らないことが多い時代だとは思っています。だけどやはり、私たちは絶対に生かされているのだと思います。科学では割り切れないことが多いと思うのですよね。もしかしたら、観音様の掌の上で動かされているのかもしれませんし。そのように、マホメットでも仏教でもキリスト教でも何でもいい、なんて言うと叱られてしまうかもしれませんが、なんかそれらの上に大きな存在があって、行く道はそれぞれ違っても、最後にたどり着くところはみんな同じで、何か大きなものに動かされているのではないかと思っています。
 やっぱりこれまで実際に不思議なことが起こったから余計にそう思います。
心というのはやはり必ず通じるのではないでしょうか。瀬戸内さんの時もそうでしたし。
―分りました。板倉社長が感じていらっしゃるご自身の使命などを教えてください。
板倉:あんまり難しいことは考えていないのですが、やはり私の両親や祖父母をとても大切に思っています。祖父は「これからは世界を広く見なければいけない」と思って、丁稚奉公で夜中にランプの光で押入れにもぐって、英語を勉強して、日本郵船に入った人です。「おじいちゃん、偉かったな」と私はずっと思っていましたし、そういう祖父母や両親を私はとても尊敬しています。それと息子も天国に行って、みんなが見守っていてくれているだろうから、私の使命としては、やっぱり会社をやめるわけにはいかないのです。
 この「かをり」というお店を存続させていくということが、私の使命だと思っています。
 本心では、会社経営というのは、なるべくやりたくなかったことなのですが、やることになったのは、私の使命だと思っています。また、夢は大きく持った方がいいと思っています。世界に向けて「かをり」を発信して行きたいと思っています。
―それでは、「かをり」を世界に向けて発信していくことがご自身の使命だと思っていらっしゃるのですね。
板倉:そうですね。世界の方々にかをりのお菓子を召し上がっていただきたいと思っています。だからAPECや洞爺湖サミットのG8の皆さんに召し上がっていただけて、大きな感激でした。
―そうですか。海外にかをりの支店を作るということなどもお考えなのでしょうか?
板倉:いえ、まだそこまでは考えていないのですが、方向性としては。夢を持っていたら、必ず実現していくと信じておりますし。
―いろいろ分りました。さいごに、経営で心がけていらっしゃることとか、大事にしていることは何でしょうか?
板倉:最近は、デパートの売上げも低迷していますし、地震の影響などもあり、世の中はいわゆる不景気と言われていますよね。だから、あまり好きではないのですが、ある程度は利益を追求しないと、社員の者にお給料も払わなければなりませんからね。
 だからやっぱり、ムダのないようにしたいと心がけています。節約するところは節約して、物を大事にして、「モッタイナイ」という言葉を世界的に有名にした、アフリカのケニア出身のワンガリ・マータイさんにも実際にお会いして、かをりのチョコレートをあげたりもして(笑)。一緒に植樹などをしたこともあります(新聞にそれが載って、私が大きく写っていて、恥ずかしかったです(笑))。
宝石ゼリー(ヴィーナスの誕生)8種類の異なった味が楽しめます。
宝石ゼリー(ヴィーナスの誕生)8種類の異なった味が楽しめます。
 だからムダはなるべく省いて、そして「心を通じる」ということをいつも社員には言っていますね。だってお料理だってそうです。同じ素材を使って同じような手間ひまをかけたとしても、心がこもっているのとこもっていないのとでは、味が全然違ってくるものなのです。だから、心をこめてお菓子を詰めないといけないと言っています。心は通じると私は思っていますね。
―そうですよね。そのような心がかをりのお菓子やお店の雰囲気にとてもよく表れていると感じます。変な質問ですが、板倉社長がお考えの日本人の良さとは一言でいえばどんなものでしょうか?
板倉:日本人は素晴らしいと思います。何かあっても静かですよね、皆。そして3月11日の大震災で感じたことは、やはり「絆」ですね。日本人は情が深くて人も良いと思います。
―そうですよね。板倉社長、今日は興味深いお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。

(インビュアー:藤原かおり)

編集部注:瀬戸内寂聴さんには、目に見えないものが見えるといった特別な霊能力はないそうです。ただ、瀬戸内さんの説法などでは、目に見えない魂などについても、感覚として「きっと……なのでしょう」などと、お話されることはよくあるそうです。
舩井幸雄よりのコメント
私は板倉敬子さんも、「かをり」も大好きなのです。経営の原則を忠実に実行されています。それに、「かをり」の製品がおいしく暖かいのです。私も家内も大ファンです。親しかった御子息のこともありますし、もっとも大事にしたい会社の一つです。お店もすばらしい。ぜひ一度行ってください。必ず心に残ります。
舩井幸雄よりのコメント
★フランス料理&洋菓子 横浜 かをりHP:http://www.kawori.co.jp/home/index.html
バックナンバー
15/11 療術師 柳原 能婦子さん
13/04 麟誠鍼療院 院長、株式会社 鳳凰堂 代表取締役社長 土田 裕三さん
11/09 かをり商事株式会社 代表取締役社長 板倉敬子さん
10/11 作家 加治将一さん
10/04 コズミックアカデミー 代表 天野 聖子さん
09/12 NOVO CLINIC(ノボ クリニック) 院長 龍見 昇さん
09/06 陸上自衛隊 小平学校 人事教育部長/1等陸佐 池田 整治さん
09/02 (有)作芸人磨心(サウンドマシン)事務所 代表取締役、NPO全国元気まちづくり機構 理事長 野尻博さん
08/11 「聖書の暗号」研究家。作家 伊達巌さん
08/07 小学校教師 岩堀美雪さん
08/06 博士(人間科学)・感性カウンセラー 志岐幸子さん
08/04 日本弥栄の会 代表 中矢 伸一さん
08/02 「構想日本」パブリシティ担当ディレクター、「日本家庭生活研究協会」常務理事 西田 陽光さん
08/01 DLコミュニケーションズ 尾辻 かおるさん
07/12 (株)オリエンタル 代表取締役尾崎 友俐さん
07/11 国際医療福祉大学 医療経営管理学科教授・学科長 高橋 泰さん
07/10 薬剤師 荒井 義雄さん (株)テクノエーオーアジア 代表・工学博士 増川 いづみさん
07/09 丹田研究所 所長 佐々木 了雲さん
07/08 (株)アマガサ 創業者・天笠悦藏社長
07/07 (株)コンプラウト 社長 佐藤じゅん子さん
07/06 洋菓子界のカリスマ・今田美奈子さん
07/04 伯天製薬(株)代表取締役社長 豊福 政子さん
07/03 名桜大学教授、琉球大学名誉教授、農学博士比嘉 照夫さん
07/01 日本気導術学会会長 鈴木眞之さん
06/12 外科医・消化器内視鏡学会認定医 ・医学博士 土橋 重隆さん
06/11 (株)アポロ科学研究所 末廣淳郎社長
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