船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる
このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。
名前:松本 大
舩井幸雄ドットコムをご覧のみなさま、こんにちは。
-36kgのダイエットに成功したオリエンタルベジタリアン
本物研究所の松本大です。
2026年6月末発売の「岩戸開き」第25号に
私の記事が掲載されております。
(https://www.naturalspirit.co.jp/book/b677600.html)
「菜食という選択が思考の“ひも”をほどいていくとき」
と題しまして、錚々たる面々の中に私を“ぽつん”と
配置していただきました。
出版社との打合せで印象に残っていることといえば、
『菜食とスピリチュアルは結び付きにくい』と仰っていたことです。
私が菜食を始めた頃、
身体の見た目の変化も大きかったこともあり、
「何か宗教にはまってしまった」と噂されたものでした。
私自身も菜食はどこか宗教色のある行為だと
どこかで感じていたような気もします。
なので、今回はその真逆のことを仰られたので、とてもびっくりしました。
たしかに、
スピリチュアルリーダー的な方の多くは、
『菜食』にあまり言及はしません。
「一度、菜食を徹底していたけど、今はやめた」
といった感じの方が多い印象です。
それぞれの御縁は、それぞれのタイミングなので、
特に何が正解ということはないのですが、
包み隠さずに私の感覚として思っていることは、
“最初の一歩から躓いた”場合に
『菜食』から遠ざかる傾向は高いな、ということです。
『菜食』を続けようとしたり、徹底しようとしたりすることが、
まずは最初の“制限”であり、その“制限”が存在した瞬間に、
『菜食』の本質とはズレが生じてしまっていると思っています。
今回の「岩戸開き」第25号に書かせていただいた内容は、
私が体感した事実だけです。
人は、ことに頭で何かを理解しようとするものです。
でも、頭よりも自身の感性に近いのは、腹かもしれません。
過去の自分を振り返れば、
今の自分とは全くもって違ってしまったのだから、
食の持つ意味はとてつもなく大きなものだと思うのです。
違ってしまったというと、まるで
【変化】してしまったように思うかもしれませんが、
実際には、
元の自然な自分に【戻れた】感覚のように思います。
人と比べたり、点数をつけたりして、
自分の安定をはかろうと思っても、
結局は元の自然な自分が感じていたことには
一切たどり着けないままでした。
なぜ、それが気になるのか、
その点を誰かに教えられたり、叱られたりして、
気が付くこともあったかと思うけれど、
自分の中から、元の自然な自分が
『そう感じている』だけだと、なんとなくでも感じると、
それ以外にはないんだろうな、と思うわけです。
真の部分で共鳴してしまうというのは、
空や海の青さを目の前にしたときに
妙に納得してしまう柔らかな説得力というか、
有形のものにとらわれる必要がないみたいな
そんな感覚を味わわせてくれる心地好さや余白がある感じがします。
『菜食』は、
偉い誰かだとか、固定化されたメソッドだとか、
文献やら論文やら何やらと、とんでもなく多くの情報を
軽く凌駕してしまうほどの本質をめちゃくちゃシンプルに
自分自身に届けてくれるわけです。
しかも自分の内側から感じさせられてしまうので、
それを否定しようにも、自分のことだから納得せざるを得ないのです。
腑に落ちるとは、まさにこのことですね。
最近思う重要なポイントは、
『菜食』を“続けること”ではなく、
“選択肢として持てるか否か”です。
残念ながら、多くの方は
“続ける”ことをスタートにして、制限をつくり、
“選択肢から外してしまう”という横道に
反れてしまっているような気がしてなりません。
ぜひ、今回の「岩戸開き」第25号に掲載されている
『菜食』に言及した記事をご覧になってみてください。
【“ほんもの”を楽しむベジライフスタイル VEGETUS 電子版】
Vol.1
Vol.2
58周目:「自分自身の使命を感じながら」
59周目:「腑に落ちる選択の繰り返し」
60周目:「楽しみが広がること」
61周目:「『あの命、この命』」
62周目:「とある週末の夜」
63周目:「その時その時の縁」
64周目:「経験」
65周目:「プロレスの完全復活に隠された秘密」
66周目:「自身に問う」
67周目:「トワニワカク」
68周目:「だったらあげちゃえよ」
69周目:「明日また陽が昇るなら」
70周目:「逆境にくじけるな」
71周目:「あたりまえはもはや、あたりまえじゃなくて」
72周目:「love me, I love you」
73周目:「あなたがいなけりゃ、悔しさに泣くこともない」
74周目:「すくわれる」
75周目:「Whole Lotta NEW LOVE」
76周目:「有頂天」
77周目:「SIGNAL」
78周目:「plantbased underfoot」
79周目:「流行過多」
80周目:「『3 ERAS』」
81周目:「ROOTS」
82周目:「『YES YES YES』」
83周目:「『Fake my mind』」
84周目:「『Wonderful Opportunity』」
85周目:「価値観を繰り返すこと」
86周目:「理解」
87周目:「SNSの世界」
88周目:「『根っこ』」
89周目:「二極化、分断を防ぐ方法」
90周目:「究極のハッピーエンド」
91周目:「ベースライン」
92周目:「周りを見ること、自分を見ること」
93周目:「無畏施(むいせ)」
94周目:「あそび」
95周目:「自身の行くべき道」
96周目:「『先にあるのは、今この瞬間の連続』」
97周目:「『UNITE』」
98周目:「「そもそも」から考える」
99周目:「核心」
100周目:「『自分が打ち震えるのは』」
101周目:「隣の芝生はパラレルワールド」
102周目:「『思考と配慮と想像と』」
103周目:「被害者意識の中の盲点」
104周目:「意図をすること」
105周目:「先人の言葉から考えることを始める」
106周目:「意味の分からないことはあるけれど、意味のないことはない。@」
107周目:「意味の分からないことはあるけれど、意味のないことはない。A」
108周目:「意味の分からないことはあるけれど、意味のないことはない。B」
109周目:「意味の分からないことはあるけれど、意味のないことはない。C」
110周目:「『フラットか、ボールか、みたいなことで』」
111周目:「『自分を信じると、求めているものがわかる』」
112周目:「『望むものが何か』」
113周目:「『恩師という存在』」
114周目:「『どれもどうでも良くて、そうでもなくて』」
115周目:「“手のひら返し”に直面したとき」
116周目:「noteを読み返して」
117周目:「『良いことをしている気になって』」
118周目:「時代の流れを読む “ベジのいま”」
119周目:「『自分を信じると、求めているものがわかる』」
120周目:「『そもそもなぜ、私は痩せたかったのか』」
121周目:「『ベジと精神世界はひとくくりなのか』」
122周目:「料理をする男を育てる方法」
123周目:「『右に習えで来たのなら、ちょっと振り返ってみるのもあり。』」
124周目:「『15年前の感覚』」
125周目:「“めし”は“頭”で食べるのか」
126周目:「“ベジ”を簡単に楽しむ方法」
127周目:「『ベジをはじめて、いまだ体験できていないこと』」
128周目:「人生まで美味しくなる料理の神髄」
129周目:「菜食を強制してくる人の言葉は無視」
130周目:「『私たちの望むものは』」
131周目:「映画『ヒポクラテスの盲点』『WHO?』」
132周目:「ポイントをどこに置くか」
133周目:「物事が変わるのは一瞬」
134周目:「ベジをはじめて、いまだ体験できていないこと」
135周目:「ベジと感情」
136周目:「人生まで美味しくなる料理の神髄」
































