img

みんなでひとつ命を生きていく〜宮ぷーこころの架橋プロジェクトから〜

このページは、特別支援学校教諭で、作家でもある「かっこちゃん」こと山元加津子さんによるコラムページです。
かっこちゃんは障害を持った子どもたちと、かけがえのない一人の友達として触れ合い続けています。その様子は『1/4の奇跡』という映画にもなりました。このコラムでは、かっこちゃんの同僚で、2009年2月に突然脳幹出血で倒れ、奇跡的に命をつないだ宮田俊也さん(通称・宮ぷー)との触れ合いの様子を中心にお届けします。

2013.08.20(第33回)
ロベン島で感じたこと

 今年の夏は、南アフリカへ出かけました。
 南アフリカは、ライオンや象、鯨、ペンギンなどさまざまな動物たちが暮らしている場所です。そして、もうひとつは、人種差別が行われたアパルトヘイト政策と、すべての人種差別からの解放を目指した、ネルソン・マンデラさんたちの勇気ある行動についても知られるところです。
 私たちは、ケープタウンにあるロベン島にも出かけました。ロベン島には、反アパルトヘイト運動の反逆罪として逮捕された政治犯の強制収容所として使われたところで、ネルソン・マンデラさんもここに、長く収監されました。それから、ロベン島は1999年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
 私たちは船着き場から船に乗って、ロベン島に向かいました。その日の波はとても静かでした。私は「マンデラの名もなき看守」の映画を思い出していました。黒人の方が、手を縛られて、乱暴に扱われて、この船着き場から、無理矢理船に乗せられるシーンです。罪は、身分証明書を持っていなかったり、銃を持っていたりしたという罪。でも、白人の人は誰でも銃を持っていたのに、黒人が持っていたら、それは大きな罪になったのです。たまたま身分証明書を持っていなかったわけではないのだそうです。わざと捕まるためにということもあったそう。自分たちの「何の差別もない国にしたい」という主張のために。そしてそのために、終身刑という刑が下った人たちがたくさんいて、本当にどんな思いで、船の中におられたことでしょう。

 この島は、オットセイやペンギンもたくさんいるという島で、ここにもたくさんの美しい花が咲いていました。
 南アフリカの旅をガイドしてくださったアンジェラさんが「私たちはすごくラッキーです。ここのガイドはみんな、昔ここに囚われていた人たちですが、囚われたのが、それほど昔でない人は、詳しいことを知りません。でも、私は年に50回以上この島に来ますが、一番素晴らしいガイドさんがガイドをしてくれるのだそうです」とおっしゃいました。
 ガイドはトーザさんという方でした。マンデラさんと同じ時代に、長く囚われていた人で、マンデラさんが、ロベン島を出て、演説をされるときに、運転手をされた方でもあるそうです。
 トーザさんは、ロベン島の収容所の前に立って、大きなドアを閉めて、話を始められました。みんなが静まると、ドアについた、真鍮のノッカーを、打ち付けると、驚くほど大きな音がしました。「ここについて、私たちは看守がまずドアをこうしてノックしました。

 私はまるで、自分が捕まってここに来たような気持ちになりました。重いドアをあけたすぐのところに、昔、中へ入るためのチェックをする場所がありました。
 ロベン島は、囚人たちの待遇だけでも、時代によってずいぶん違っていたそうです。部屋は独房と雑居房とがあって、独房の中にはバケツがひとつと、マットが二枚、毛布が4枚。あるものはそれだけでした。マットと言っても、私はそれを観て、昔小さかったころみた、体育館にある、麻で編んだ固い足ふきマットのように見えました。寝る場所は旅の仲間のなおことちゃんが教えてくれたけれど、22.5センチの足で、9.5歩かける8.5歩の大きさだったそうです。だから、大きな人だったらベッドから、足は外に出てしまうと思います。独居房には、高いところに、小さな窓がありました。そこからは、囚人の人たちが作業をしていた広場が見えました。
 最初の頃は、作業はロベン島の石を切り出して、収容所の建物を作ったりしていたそうですが、だんだんと作る必要がなくなると、石をある場所からある場所へ、またその逆へと移動させるような、意味の見いだせない仕事になったそうで、意味がない仕事をさせられるというのは、精神的にはとてもつらいことだから、そのことで、精神を病んでしまう人もたくさんいたそうです。それから、囚人はA、B、C、Dとグループが分けられていて、待遇も違っていました。
 たとえば、受け取ったり出したりすることのできる手紙の数も、年間12通だったり、45通だったり……けれど、手紙は検閲が行われて、少しでも思想や社会的なことが書かれてあると、黒で塗りつぶされたり、窓のように切り取られたりしたそうです。
 トーザさんも「僕も窓だらけの手紙を受け取っていました」と言っておられました。トーザさんは、最初はCグループだったけれど、最後にはAのグループになり、そうすると、ラジオなども聴けたけれど、ラジオは検閲がむずかしいからねというお話でした。
 それから月に一回の面会も許されているグループと、面会も許されないグループもあったそうです。その面会の仕方も、別々の部屋でガラス越しだったり、実際にお部屋で会えたりというような違いがあったそうです。

 実際に私たちはマンデラさんが、入っていた独房を観ることができました。独房の中でトイレはバケツにしたそうで、それは、体を洗う役目もあったのだそうです。
 こんな狭い空間に、囚人として厳しい待遇を受けながら、マンデラさんが27年もの長い間(ロベン島以外でも囚われていたのだけど)、強い信念と優しい気持ちを持ち続けていられたのは、なぜなのだろうと思いました。
 ひとつひとつの独房にはそこに入れられていた人の番号と名前とどんな人だったかが書かれてあって、私たちは自由に、いろいろな人の独房に入ることができました。ある人のところでは、トランペットがおかれていました。文字にはトロンボーンが好きだったと書いてあって、音楽がなっていました。その中で、いつもラッパを吹くことがはたしてできたのでしょうか? ラッパの響きが、とても切ないものに聞こえました。あるお部屋には、ラグビーの写真がありました。ひとりひとりの写真や、人物紹介があることで、ただ独房があるというようなことだけでなくて、そこで過ごされた人に思いをはせることができました。

 ロベン島のことが外国の人たちに知られるようになって、外国から圧力もかかって、少しずつロベン島の待遇も変わってきたそうです。自分から言い出せば、学ぶことができたり、それから、そのうち、独房にも本や家族の写真も持ち込むことができるようになっていきました。雑居房では、その当時のメニューが書かれてありました。その中でも、白人と黒人ではメニューが違っていました。ここは、黒人の収容所だったけれど、白人もいたことがあったのだろうか? それともここだけでなくて、この国の収容所のメニューだったのかそれはわかりませんでしたが、食事のメニュー一つにしても差別があったのです。それから、食事の量も違っていました。それから、来ている洋服も、黒人では、下着はなしで、裸足で、短パンだったそうで、黒人以外は、長ズボンで、裸足ではなかったそうです。短パンで裸足にしたのは、人間としての自信とか尊厳を失わせる目的もあったのだそうです。
 雑居房は、それほど広くなかったのに、ここで多いときには80人がいたと聞いて驚きましたが、雑居房はその中にトイレもシャワーもあったし、何よりおしゃべりをすることができたのが、トーザさんは救いだったということでした。
 トーザさんに私はとても聞きたいことがあったので、トーザさんに質問をしてもらいました。
 「どうして、捕まれば、一生出られないかもしれないし、つらい思いをしなければならないとわかっていたのに、わざと捕まるようなことをされたのですか? そんな思いをすることがわかっていても、通したいという思いがあったからですか?」
 トーザさんは、イエスと言われました。
 「物事を変えていくためにはどうしても犠牲が必要。でも、そのために、未来の子どもたちの生活が変わっていくなら、その犠牲はいとわない。」

 未来の子どもたちというのは、私はきっと、トーザさんが黒人の人たちだけのことを指しておっしゃっているわけではないとそのとき、感じました。白人の人も黒人の人もカラードの人も、誰もが分けられない社会になるために、みんなのためなら、犠牲になってもいとわないとそう言われたのだとわかった気がしたのです。もちろんそれは確かではありません。でも、子どもたちと話していても、誰かと話していても「わかった」と感じる瞬間はあるものですね。そして、きっとそれが本当のことのように思いました。
 そして、実際、あとで、英語のわかる順子ちゃんが教えてくれたのは、「かっこちゃん、あのとき、トーザさんは確かに世界中の未来の子どもたちと言ったよ」ということでした。
 それから、「なぜ、そんなにもつらい過去があるのに、ここでガイドをされているのですか? つらいことを思い出すのではないですか?」という質問もありました。
 「確かにここですごしたことは楽しい過去ではない。でも、自分が望まれてここで仕事をすることが、世界の人の癒やしにつながるのなら、それは自分にとってもうれしいことだ。

 順子ちゃんはその答えを聞いて、胸がいっぱいになって、トーザさんに抱きつくようにして、「ありがとう」とお礼を言っておられました。私も涙がとまりませんでした。そして思ったことがあります。
 突拍子もないことのようだけど、私は、「1/4の奇跡」の映画の中身と、トーザさんがおっしゃることが重なるように思ったのです。
 「1/4の奇跡」の映画では、病気や障がいの方がおられるからこそ、みんなが元気に明日に向かって歩いて行くことができるのだ、病気も障がいもとても大切な存在なんだということを言っているのですが、そのことトーザさんのおっしゃるすべての人の幸せにつながるなら、自分の犠牲もいとわないということが重なるように思ったのです。
 病気や障がいをお持ちの方は自分が多くの人の幸せのために、「犠牲」となって、病気や障がいを引き受けたのだということは意識して感じてはいないかもしれません。けれど、私たちの住むこの宇宙はきっとすべてのことに意味があって、マンデラさんもトーザさんもきっとわきあがるように、自分のなすべきことを感じられて行ってこられたのだと思いました。
 左の脳で思うだけなら、損か得かとかを考えたり、つらいことに自分から飛び込むようなことをしないだろうけれど、私たちは原始脳や右脳で、宇宙とつながったときに、強い心で、宇宙全体のために、みんなの幸せのために、たとえ命をかけて行動をすることができるのかもしれないと思いました。みんながトーザさんの言葉に涙が出るのも、私たちの中に、マンデラさんやトーザさんと同じように宇宙につながる思いがあって、同じ思いの中心が揺さぶられるのだろうかと思いました。
 ロベン島に来て、トーザさんからも、アンジェラさんからも、この島は「和解の島」だという言葉が何度か聞かれました。とらえた白人の人たちをみんなが恨むのではなくて、これからは仲間として、歩いて行く和解の島なのだということにも涙がこぼれます。
 たった少しの時間一緒にいただけなのに、私たちはもうトーザさんが大好きになって、お別れが淋しくて仕方が無いのでした。



・「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(宮ぷー日記のメルマガです)
(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)

http://www.mag2.com/m/0001012961.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com

・メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html

著書『僕のうしろに道はできる 〜植物状態からの回復方法〜』
著書『僕のうしろに道はできる 〜植物状態からの回復方法〜』

★ 山元加津子と仲間たちとのおかしな毎日を綴る
いちじくりんHP:http://itijikurin.blog65.fc2.com/


バックナンバー
09/20

星の王子さまと私(最終回)

08/20

誰もが自分しか体験できない人生を生きているから

07/20

宮ぷーが退院しました。

06/20

本当のことの扉

05/20

新しい生活

04/20

風が吹いたみたいに思い出したんや

03/20

新しい春

02/20

くーちゃんはみんな知っていたのだと思います。

01/20

白雪姫プロジェクトに寄せていただいたメール

12/20

大好きなゆきちゃんの夢を見ました

11/20

ダウン症のお子さんを迎えられた方へ

10/20

筆談、指談でお話する方法

09/20

ごめんな

08/20

ロベン島で感じたこと

07/20

雪絵ちゃんのこと

06/20

トックリバチの巣作り

05/20

松井選手の生き方

04/20

だいじょうぶだいじょうぶ

03/20

僕のうしろに道はできる 映画ができました。

02/20

冒険の旅

01/20

傷ついた思い出も宝物

12/20

1000人集会

11/20

渡辺のおっちゃん

10/20

お二人からのメールを紹介したいです。

09/20

白雪姫プロジェクト1000人集会。

08/20

ゆうきちゃんの涙

07/20

特別に好き。

06/20

僕の歩く道

05/20

自分の事を好きでいること

04/20

白雪姫プロジェクト

03/20

12.3.11 つながっていきる

02/20

1月27日は亡くなった父の誕生日でした

01/20

いつもうれしい、いつも幸せ

12/20

明音ちゃん

11/20

学校にクリスマスツリーを飾りました。

10/20

宇宙(そら)の約束

09/20

光ちゃんとララちゃん

08/20

一生植物状態と言われた方も意識を取り戻す方法はあるのじゃないかと思います。

07/20

ありがとうの花

06/20

七夕の願い

05/20

みんな思いをもっているから

04/20

みんな優しくできている

03/20

いきていこう

02/20

回復の大きなきざしがまたありました

01/20

開いた目に自分の顔を映しこんで話したよ

01/01

宮ぷーが倒れた

Profile:山元 加津子(やまもと かつこ 愛称:かっこちゃん) 

宮ぷー(右)と一緒に。

1957年 金沢市生まれ。エッセイスト。愛称かっこちゃん。石川県特別支援学校教諭。障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、かけがえのない一人の友達としてふれあいを続けている。分け隔てなく、ありのままに受け入れる姿勢は、子どもたちの個性や長所を素晴らしく引き出している。そんな子どもたちの素敵さを多くの人に知ってもらおうと、教師をしながら国内外での講演・著作活動など多方面に活躍中。教師、主婦、作家、母親という4役を自然体でこなし、まわりの人に優しく慈しみをもって接する姿は、多くの人の感動を読んでいる。著書に『本当のことだから』『魔女・モナの物語』(両方とも三五館)、『きいちゃん』(アリス館)、『心の痛みを受けとめること』(PHPエディターズグループ)、『満月をきれいと僕は言えるぞ』(宮田俊也・山元加津子共著 三五館)などがある。2011年7月に新刊『ありがとうの花』(三五館)、2011年11月に『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)を発売。

宮ぷーこころの架橋プロジェクト メルマガ登録:  http://www.mag2.com/m/0001012961.html
同プロジェクトから生まれたHP:http://ohanashi-daisuki.com/index.html
山元加津子さんHP「たんぽぽの仲間たち」:http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/

数霊REIWA公式サイト 佐野浩一 本物研究所 本物研究所Next C nano(ネクストシーナノ) 成功塾説法 舩井幸雄動画プレゼント 高島康司先生の「日本と世界の経済、金融を大予測」 メールマガジン登録 舩井メールクラブ 佐野浩一note