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国家防衛の勤めの最後の日に

21世紀 ヤマトごころの部屋

このページは、元幹部陸上自衛官で、2010年の12月に40年間に及ぶ自衛官生活にピリオドを打った池田整治さんによるコラムページです。池田さんが自衛官在任中に書かれた著書『マインドコントロール』(ビジネス社)は大変好評です。このコラムでは主に、“社会の真実”“家族愛”“自然との共生”をテーマにお届けします。

2012.02(第16回)
江戸蘇り富士紀行…明治維新再考

 1月22日旧暦の大晦日に、顧問をしている東藝術倶楽部の「江戸勉強会富士初夢編」に参加して、久しぶりに富士山と向かい合いました。そして改めて、歴史再考、つまり明治維新の再評価の必要性を痛感しました。
 また、このような現地勉強会を行ってくれる同倶楽部の黒木代表の企画・実行力に感動しました。さすが、元自衛隊幹部で、現職時代に「現地戦術教育」の教官として何度も場数を踏んでいるだけあります。
 水を得た魚のように現職そのままの活躍でした^^。

 彼が今回1回限りの「ツアー・コンダクター兼インストラクター」を行なうにあたり、どれだけ準備したか、私の体験に基づき「推察」してみます。

@昨年12月4日に行った「江戸勉強会屋形船からの隅田川橋めぐり編」終了後から、新年にふさわしい「富士」編を立案・企画。
A企画案に基づき、現地での教官を調整して依頼。教官との事前偵察計画策定。なお、教官として、地元で「曽我物語」も出版している郷土研究家の高橋さんに依頼。もちろん東藝術倶楽部会員。同会にはこのような方が多い。
A1ヵ月ほど前に、偵察計画に基づき、実際に高橋さんと現地ルートを偵察、予行。配布資料のための現地の資料収集及び写真撮影。
B予行に基づき、細部計画を策定。収集した資料、写真に基づく現地「配布資料」作成。
C当日、ツアー・コンダクター。全般統制兼盛り上げ担当。
D終了後、HP「東藝術倶楽部」 http://www.azuma-geijutsu.com/
  に同勉強会記事投稿。

 彼がいかに緻密に計画したか、参考のために一例を紹介します。
 ツアーは、都内から20人乗りのマイクロバスを使いました。ドライバーもプロの同会会員です。ところが、最初の目的地の薩た(さった)峠には乗用車でないといけません。そこで、興津からは4台の乗用車に乗り換えて、薩た峠に向かいました。ここで、さらに問題が…
 実は、前日、私と黒木君は名古屋にいました。私が副代表を勤める新たな国民運動「美し国(うましくに) http://umashikuni.co.jp/ 」の池田整治特別講座第2回講演があったのです。黒木君は、講演終了後、翌日のツアー・コンダクターとしてただちに帰京しましたが、私は地元の方々との交流会に残り名古屋泊。翌朝、講演会にも参加して頂いた名古屋の水田ご夫妻と、指定された列車で興津に移動しました。
 すると、駅に自家用車で高橋さんが迎えに来て下さっていたのです。
 駅からは、同市内のレンタカーショップに行き、ツアー本体と合体。レンタカー3台プラス高橋さんの車4台に分乗し、まず薩た峠に向かったわけです。しかも3台のレンタカーは、この峠の研修1時間だけですから、経費も僅(わず)かです。万事がこのような素晴らしい企画・調整・実行でした。

 さて、その薩た峠は、東海道随一の富士山景勝地として有名です。皆さんも安藤広重の浮世絵「由比薩た嶺」で何度かお目にかかっていると思います。左手の崖から駿河湾越しに富士山を見る旅人の構図です。右手には駿河湾に4艘の帆掛け船。ところがその奥にあるはずの伊豆半島がありません…。実は、ここにも明治維新からの、市民には絶対に尻尾を見せない、今も覆っている「闇」が垣間見えてくるのです。


 まず、薩た峠の由来を説明しておきましょう。
 薩た峠は、東海道の興津宿から由井宿までの3キロ余りの間に位置する峠です。古来より箱根などとともに、東海道の難所でした。しかしそれ故に、富士山の絶景ポイントの名所としても有名でした。
 いまなら東名高速道路下り車線の由井パーキングエリアから同じ構図で富士山を見ることができます。もっともこの場合は、海岸線ですから、薩た峠のような立体感はありません。しかし、右脳で「想像・創作」することはできます。実は、これこそ、浮世絵の画法であり、日本人が世界に誇る「美的右脳創作感性」なのです。西欧人にはこの右脳的「創造」ができない、わからないのです。
 名の由来は、鎌倉時代に下道(旧東海道)の「親知らず子知らず」の海岸(由比倉沢)の海中から漁夫が網で薩た地蔵を引き上げ、それを上道(新東海道)の旧岩城山に地蔵堂を建てて安置したことに始まります。それ以降この山を薩た山(峠)と呼ぶようになったわけです。
 なお、「薩た」とは、「菩提薩た」の略で、「菩薩」と同じです。

 ところで、ここに薩た峠から同じ構図で描いた歌川国貞の浮世絵があります。
 こちらは歌舞伎役者の背景に峠からの富士山が描かれています。隣に置いて比べれば、広重の画家としての「へたっぴ」が浮き彫りになります。
 まず、左手の峠から富士を眺める旅人。国貞の絵では、空際線上に浮き上がり、峠の上から海越しに富士を眺める構図がよくわかります。ところが広重の方は、富士との間の崖が幕として遮断しており、角度的に旅人からは富士山が見えない構図となっています。旅人が立っている崖も最後まで急峻で、今にも海に滑り落ちそうな感じです。
 そして右手の駿河湾の奧。国貞の方は、画面の右までずっと伊豆半島が描かれています。但し、最後は帆掛け船で隠れています。ところが、広重の方は、半島が海の途中までしかありません。というよりも、駿河湾が伊豆半島に囲まれていることを理解してないとしか思えません。半島そのものがない構図です。
 写すときに、帆掛け船の奧は陸地が終わって海だと「解釈」したのでしょう。
 これは、現地に立てば一目瞭然です。そうなのです。広重は、一度も薩た峠を訪れたことがなく、当時の浮世絵の大家であった歌川派の絵を描き写したのです。広重の有名な浮世絵の絵は、このような写し絵が多いのです。なぜ、このようなへたっぴの広重のそれも写し絵が、明治維新以降、浮世絵の大家として有名になったのか…。そこに明治政府の闇があるのです。

 江戸時代に、浮世絵と言えば、「歌川派」そのものでした。江戸幕府公認の最大出版会社と言えます。当時は、「自然との一体感」のヤマトごころと、「誠実」な武士たちが統治する、訪れた外国人も感嘆した「この世のパラダイス」でした。その市民生活を描いた浮世絵がフランスのゴッホに届き、印象派となり、そこから始まった意識革命を通じて、自由民主主義運動が欧州で起こったのです。結果、世界の虐げられた人々を解放したのです。
 その江戸を完全否定して、西欧金融支配体制者たちの後ろ盾でできたのが、明治政府です。間違っても江戸を称賛することはできません。江戸の礼賛がイコール彼らの否定になります。
 だから、「歌川派」自体は、明治政府に廃絶させられました。但し、浮世絵を通じた日本の素晴らしさは、既に欧州に行っており、浮世絵自体の存在は否定できません。そこで無名だった「歌川」広重を、「安藤」広重と名乗らせ、浮世絵=安藤広重と、太鼓を担いだわけです。それ故、本来の芸術性の高い歌川派の浮世絵を、広重にせっせと描き写させて、オリジナルと詐称したのです。ここに明治維新の一つの暗闇があります。文化的マインドコントロールです。
 ちなみに、その「真実」をあきらかにして、歌川派を復活させたのが、五井野正画伯・博士なのです。つまり、五井野博士が、日本本来の江戸ユートピア市民社会を歴史上世界に再登場させたのです。その流れで、東藝術倶楽部という勉強会が黒木代表の提唱で起こったわけです。江戸の士農工商、老若男女が同じ人間という平等の立場で楽しく仲良く行っていた「江戸勉強会」の再現です。ここでは、年齢・身分・階級などを聞くのは無粋ものと思われました。


 ところでゴッホに初めて浮世絵を見せたのは、娼婦であった奥さんと言われています。当時のフランスでは女性の6人に一人が娼婦と言われ、ずっと社会の底辺にいたわけです。ところが、日本では花魁(おいらん)に代表されるように、お姫様にもなれる。そういう意味でも、ゴッホは、天国日本に仲間を引き連れて奥さんともども来たかったのです。
 その日本への夢の「ツアー」を象徴的に描いたのが、ゴッホの「雨の橋」(広重の浮世絵「あたけの夕立」の模倣と言われている)なのです。描いた川は三途の川でもあり、橋の手前がこの世のフランス、向こう側が彼岸・天国の日本なのです。ゴッホは、日本のわび・さび、そして輪廻転生もわかっていたのです。
 ゴッホがついに描けなかった「6本の向日葵」とは、そのツアーの絵で橋の上に描かれているゴッホ自身も含む6人を意味します。橋の上で、ゴッホが仲間5人を日本に連れて行っているのです。
 もちろん、ひまわりは日本であり天国も意味します。その「六本の向日葵」をゴッホの代わりに、ゴッホの魂とともに描いたのが五井野正画伯作の「六本の向日葵」なのです。
 その五井野画伯の絵は、印象派を超えた心情派として世界で評価を受け、エルミタージュの美術館でも個展がひらかれました。生存画家で個展をひらいているのは、世界で五井野画伯だけです。これだけでも外交の切り札になるのに、日本では、為政者たちにつながる某組織によって封じられて来ました。
 先日、米国UCLAに留学したこともある知人からメールを頂きました。米国の友人宅に行くと、ロシアの孤児院から18歳と16歳の二人の姉妹が3年前から養女できていました。彼女たちの孤児院には、小さいときから篤志家からのエルミタージュ美術館の招待券がよく届き、そのため彼女たちも説明係並に詳しく話せるようになったそうです。その彼女たちに、五井野画伯のことを聞くと、「もちろん知っています!小学校3、4年の教科書でも習った!」と即座に答えたそうです。
 博士が世界初の大量生産に成功した夢の新素材・ナノホーンを使った未来型のノキアの携帯電話とエアーバスの飛行機のYouTube映像も既に彼女たちは知っていました。知らないのは、マインドコントロールを受けて情報封鎖されている日本人だけです。

 明治維新の前と後で日本のユートピア社会がいかに劣化していったか。吉原等「花魁」で証明します。
 吉原等遊女と聞くと、小さいときに貧しい農家から身売りされた可哀想な少女たちと連想します。それは、「女衒(ぜげん)」という映画や、ドラマ、そして大衆小説家たちの作品を通じて、私たちの先入観として「刷り込み」されているからです。
 実は、これらの作品群すべてが、明治維新以降のものだと改めて考えたことがありますか? つまり、明治維新以降の実態を表現しているのです。それを、江戸時代はもっと酷かったと、かってに想像しているに過ぎません。万事が全て同じです。
 江戸時代は、子どもを「預けた」のです。しかも25歳までと決まっていました。その間、読み書き、躾、お茶、生け花、琴、三味線、社会常識、花鳥風月の情緒教育等々一流女性としての教育を受けます。さらに一番上の太夫になるには、思いやり等の「人間性の高さ」が決定的に重要でした。
 このような女性としての最高の資質と知識教育を受けた女性たちは、非常に人気でした。今で言う大手プロダクションのスターたちと言えます。しかも教養も人間性など心の中味もトップクラスです。だから25歳で卒業すると、ほとんどが武士の妻になっていったのです。中には3000石の大名のお后になった花魁もいます。
 フランスの一生涯人非人として蔑(さげす)まされた貧しい娼婦とは天国と地獄の差です。だからゴッホは、娼婦であった妻とともに日本に行くことが生涯のかなわぬ夢だったのです。
 ところが、明治維新以降は、悪しき西欧を見習ったお金第一主義の社会となりました。文字どおり、貧しい家庭から少女を「買って」きたのです。そこには、日本文化の自然との一体感の「情緒」は消え、人をも商売のモノとして捉える「エゴ」しかありません。江戸時代は人を「人間性の高さ」で評価していました。ところが明治維新以降は、「お金」で判断するようになりました。それがさらに劣化したのが、現代日本社会と言えるのではないでしょうか。


 さて、今回のツアーでもっとも心配だったのが天候です。名古屋を出発するときも雨模様で傘を差していました。東京も朝から雨だったようです。日本の天気は西から変わりますから、富士は予報も一日中雨で、諦めていました。でも、何とか姿を見せて欲しいと、「願」かけしていました。もちろんツアー参加者全員の祈りもありました。
 すると、雲が高くなり、すっかり富士山の全容が峠から見えるではないですか。さらに、マイクロバスで麓を回るうちに、青空も見えるようになりました。驚くことに、なんとまるで富士山にUFOが降りたような雲まで出現しました。今回私と同じ顧問の縄文の歌姫・ボイストレーナーのキリロラさんが仕事の関係で急遽こられなくなりましたが、「キリロラさんがUFOで来た!」とバスの中で盛り上がりました^^

 次に富士宮市内の富士山本宮浅間神社参拝後に、富士高砂酒造の見学に行きました。富士山麓の自然環境の中で麹菌と白米と湧水と、さらに受け継がれた蔵人の「勘力」で醸し出すお酒は、まさに自然と共生してきた日本文化そのものだと改めて感じました。不用となった古紙も全て樽の密封用紙に使うなど、完全リサイクルしています。
 酒は百薬の長と言われるのも、実はこの酵母を体内に大量に取り込むお陰と言えます。放射能のキレート効果もあると言われています。もちろん酵母の生きた活性酒のことです。本来、日本酒とは、発酵酒のことだったのです。
 ところが戦後の商業主義で、発酵を薬で止め、1本で10本分にアルコールで薄める。味の落ちた分、化学添加物で味付けする。サルチル酸などが入っているので、二日酔いや頭痛は当たり前です。もうこうなると百害あって一利なしと言えます。ここにも、現代日本の劣化が見て取れます。是非、健康のために、発酵酒、発酵ビールのみ飲みましょう!

 見学途中、発酵している樽にハシゴをかけて上から覗かせて頂きました。記念に携帯写メールで撮影もさせて頂きました。後でその写真を見てビックリ。なんと表面に「母」という文字が浮かんでいるではないですか。母なる地球。その上で微生物たちが母となってあらゆる生物を生み出してくれました。そのもっとも大事なことを忘れないように、彼らがメッセージをおくってくれたのです。何故なら、私たち人類はいま、その命を奪うことばかりしてきているからです。このままでは、あなた達自身がこの地球上から亡くなりますよ。母の思いに帰りなさい、というメッセージに私には見えました。

 最後に貯蔵タンクの上にのぼりましたが、そこで改めてこの国の嘘で固められた有り様を考えさせられる「証人」に会いました。貯蔵タンクの上には、「廃仏毀釈」を生き抜いた8体の仏像たちが安置され、酒造りを見守っていたのです。
 まるで、ナチの虐殺から屋根裏に逃れていたアンネを想像してしまいました。
 また、タリバンが仏の石像を爆破したニュースを見て、なんて野蛮なことをと思っていましたが、近代国家を作った英雄と思われている明治維新の志士たちが、全国の仏像やお寺をめちゃめちゃに壊していたという事実に、改めて現代の日本の病理の原点を見た思いでした。
 全てのものと「和を持って貴し」とする日本では、仏も神様もみな大自然の中で仲良く共存していました。それなのに、江戸を完全否定した明治政府は、仏をも外来文化として破壊していったのです。その仏さえも、ムーの末裔である日本の縄文文化から出て行って、やがてブーメラン効果で日本に帰って根付いていたものだったのです。自己否定の愚行でした。
 日本の象徴である富士山の山頂や登山道などのいろいろなところに、かっては仏像がありました。それが明治維新の廃仏毀釈で、山頂の仏像は火口に投げ捨てられ、登山道途中の仏像は首をはねられて沢に捨てられました。
 でも、心ある真の日本人である蔵人たちが、富士の山頂からこっそりと酒造の蔵の上に「匿(かくま)った」のです。
 今でも、酒造りが手詰まりになったときに、神頼み・仏頼みすると、お酒もうまく作れるとのことです。出した波は帰ってくる。波動の法則のとおりです。
 日本は本来、八百万(やおよろず)の神々と共生してきた現代地球文明発祥の国なのです。人も役割は違っても、皆平等の文化です。だからこの世を卒業すると善人も悪人も元の魂に還るので、皆仏として祀っているのです。その本来の自然との共生、誠の生き方に日本人が立ち帰った時に、大難を小難に変えて、大いに発展する道が拓かれることでしょう。


 富士山麓には、たくさんの浅間神社がありますが、
 その原点が富士宮にある「山宮浅間神社」です。ご神体は火山弾と思われます。その上に社を建てようと何度か試みても必ず失敗したようです。その根元のご神体にお祈りしてその意味がよくわかりました。ご神体に向かって祈ると、その延長線上に富士山の山頂が拝めます。社などあったらそれができません。思わず、縄文時代から地元の方々が祀っている出雲の磐座(いわくら)と同じだと感じました。
 その鬱蒼とした原生林のトンネルの間から眺める富士山は、まさに数ある浅間神社のご神体そのものでした。

 富士宮といえば、白糸の滝で有名です。その手前に「音無の滝」があります。その名前の由来をご存じでしょうか。私も陸上自衛隊富士学校に何度も入校や仕事で来ていますから、家族ともよく訪れていました。でも、その由来など全く理解していませんでした。今回のツアーでよくその意味がわかりました。
 今からおよそ800年前の建久4年(1193年)5月、この辺一帯の朝霧高原の草原で、源頼朝による大規模な巻狩が催されました。
 その巻狩の最中の5月28日の夜、降りしきる雨の中、工藤佑経の仮屋に押し入った曽我十郎祐成(すけなり)と曽我五郎時致(ときむね)の兄弟が、工藤佑経とたまたま同宿していた王藤内を殺戮するという大事件が起こりました。いわゆる「曽我兄弟の仇討ち」です。
 仇討ちを果たした後、兄の十郎祐成は新田四郎忠常に討たれ、弟の五郎時致も捕らえられ、翌29日頼朝の尋問を受けた後、処刑されました。
 頼朝の目の前で起きた大事件であったことと、若い二人の兄弟が父の仇討ちの本懐を果たしつつも壮絶な死を遂げたことから、兄弟の供養の意味を込め、また御霊信仰が結びつき、早くから「曽我物語」として語り伝えられて来ました。
 その曽我兄弟が、音無の滝の近くの岩陰で討ち入りの相談をしたとき、滝の音の轟音に声がかき消され、相談が進まなかったのです。その時、兄弟が「心なしの滝よ、我ら兄弟の辛苦を知らざるか」と嘆くと、兄弟の一念が通じたのか滝の音がぴたりと止まりました。討ち入りの相談がすむと滝は元のように轟音を響かせました。これ以来、この滝を「音無の滝」と呼ぶようになったのです。

 白糸の滝のすぐ近くに、この曽我神社や、曾我兄弟の隠れ岩、霊地があります。また日本文化の特徴は討たれたもの・敵をも同じ仏として平等に祀りますが、工藤祐経の墓もあります。
 この「曽我物語」は、僧侶たちの手によって、写本として寺院でずっと明治維新まで伝えられてきました。江戸時代の浮世絵にも「曾我兄弟」を題材にしたものが数多くあります。しかし、明治維新以降封じられた形になっています。
 今回、曾我兄弟の史跡を巡ったのは、もちろん浮世絵を現地で勉強するという会の目的どおりなのですが、秘かな「願掛け」もあります。
 それが曽我=蘇我の復活なのです。
 蘇我一族は、大和王朝をひらいた最大の貢献部族です。実は、蘇我一族こそやまと民族の本流なのです。それが渡来系の藤原一族に制圧され、日本書紀や古事記などの文献上も日本の歴史から抹殺されています。
 実は、この歴史上の「マインドコントロール」を解くことが、日本の本来のヤマトごころ復活のポイントとも言えます。
 そういう意味で、「そが(蘇我)」兄弟の復活を、「願かけ」したわけです。
 是非、皆様も次回観光で白糸の滝に行かれる時は、この曾我兄弟いわれの史跡をお参り下さい。

 実は、山宮浅間神社のご神体から富士山を眺めた後、曾我兄弟の史跡を巡るうちにだんだんと雲が出て、富士山もまったく見えなくなりました。まるで曽我兄弟の討ち入りの夜のようでした。
 そこで、最後に「曽我兄弟の隠れ岩」から白糸の滝に向かう前に、富士山に「もう一度姿を見せて下さい」と願掛けしました。
 すると、白糸の滝を見るために階段を降り、暫くして上がってみると、雲が全く消えて、暮れゆく夕闇に富士山が浮かんでいるではないですか!
 しかも、後光のような雲が富士山の後ろに二重にでかかっています。
 思わず「五次元の雲」と心に浮かびました。


 白糸の滝も、昨年の震度6弱の地震で、左側が崩れ、その水の流れが右にきたのか、静かな音無の白糸の滝から、音のする滝を含む白糸の滝に変わっていました。
 私には、明治維新以降の日本人のエゴ化への警告として、「自然の流れを失っている」と教えている気がしました。このままでは、白糸の滝どころか、日本の藝術、美の象徴、そして魂の源・富士山自体も形を変え、失うかも知れないと。
 つまり、銚子沖又は東京直下型地震、あるいは東海・東南海・南海連動大地震に連携して日本統合のシンボルである富士山が大噴火し、列島も分断。人間が手をこまねいているフクシマを太平洋の海の中で封ずるようにする…
 1万3千年前のムーも核動力源の暴走を止めるために、太平洋に沈めたと言われます。ということは、東日本のかなりが水没・・?!

 そうなると富士に集まっている霊的な存在が住めなくなるので、その前にいなくなるよ…日本の護り神がいなくなる!!

 その後、日本民族は流浪の民となり、闇の支配者たちに列島は植民地化される。もっとも、さらにそれが現代地球文明の破滅への第一歩となります。
 ムーが沈んだように…

 言うまでもなく、1942年のロスアラモス研究所でのオッペンハウマーの実験に引き続き、1945に広島に原爆を落とした時からのウラン235の人為的核分裂こそ、このような人類滅亡のシナリオへと進むスタートでした。
 それまで、人工放射能問題は、この地球上になかったのですから。
 実は、それこそ自然の摂理に反する宇宙レベルの最大の罪だったのです。

 それを世界の雛形である日本人に気づかせるために、せっかく3.11フクシマで警告を与えたのに…
 今回その最終的な警告を雲の姿で見せてくれたのかも知れません。

 そうならないために、富士山自体が、磁場をあげ、五次元レベルに移行して、意識の覚醒を日本人に促す。私には、そのようなメッセージにも見えました。
 ただし、その次元に上がる人だけが、地球とともに銀河の旅を引き続き歩める…
 いずれにせよ、この辺で、真剣に明治維新から嘘に固められた日本の歴史を再考するときかも知れません。




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◆池田整治 公式HP: http://ikedaseiji.info/
東藝術倶楽部顧問
『超マインドコントロール』(マガジンハウス刊・アマゾン総合第2位を記録)
『原発と陰謀』(講談社)
『マインドコントロール』(ビジネス社)
『マインドコントロール2 〜今そこにある情報汚染〜』(ビジネス社)
『転生会議』(ビジネス社)
『心の旅路』(新風舎)(新日本文芸社:改訂版)
◆「現代のサムライ」DVD http://www.c-consul.co.jp/dvdbook/shigakudvd030.htm
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バックナンバー
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目覚めし、ヤマト魂たちよ!(最終回)

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滅びから永久(とわ)の道へ

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12/09

奇跡を信じて・・・目指せ、第2のヤパンインプレッション

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北朝鮮ミサイル発射によせて

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12/02

江戸蘇り富士紀行…明治維新再考

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11/09

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アセンション最終章…一人からはじまる霊性ルネッサンス

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11/02

磨かれた一足の靴

11/01

最終章開幕!

Profile:池田 整治(いけだ せいじ)

1955年、愛媛県生まれ。元・陸上自衛隊小平学校 人事教育部長で陸将補(2010年12月に退官)。防衛大学校国際関係論卒業。空手道8段、全日本実業団空手道連盟理事長。90年代半ばの第一次北朝鮮危機における警察との勉強会、それに続くオウム真理教が山梨県上九一色村に作ったサティアンへの強制捜査に自衛官として唯一人同行支援した体験等から、世の中の「本当の情勢」を独自に研究。2009年12月の自衛官在任中に著書『マインドコントロール』(ビジネス社)を出版。北海道での単身赴任時代、太古から残る大自然に感動し、4人の子どもたちへ、万が一の場合、父の想いを残し伝えるためのエッセイ『心のビタミン』(メルマガ)を始める。エッセイや写真は江戸の日本人が感じた『自然との一体感』をテーマにしたものが多い。著書に『心の旅路』(新風舎/改訂版:新日本文芸協会:2011年1月発売)もある。月刊『ザ・フナイ』(船井メディア発行)にもたびたび登場。2011年1月に新著書『転生会議』(ビジネス社)が発売。
超マインドコントロール2011年3月に『マインドコントロール2 〜今そこにある情報汚染〜』(ビジネス社)を発売。2011年9月に『超マインドコントロール』(マガジンハウス)と『原発と陰謀』(講談社)を発売。大好評発売中。
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