加治将一の精神スペース

このページは、作家でセラピストの加治将一さんによるコラムページです。加治さんは、『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)などの歴史4部作が大反響を呼ぶ一方で、『アルトリ岬』(PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(ビジネス社)などのカウンセリング関連の著書も好評です。そんな加治さんが、日々の生活で感じること、皆さまにお伝えしたいことなどを書き綴っていきます。

2011.5.7(第5回)
本は誰にでも書ける。 その4

 新米エッセイの落とし穴の一つは、ほのぼのとした風景をだらだらと描いてしまうことです。
 本人は里山を美しく書いたつもりですが、ちっとも魅力がない。
 文章力がないからです。
 叙情文のたぐいは、偉大なる川端康成大先生に任せておいて、新米エッセイストは対象を変えるべきです。
 美しき情景はあきらめ自分の思考、主張を織り込んだエッセイに臨んでみてください。
 いくらそう薦めても、これが苦手なのですね。
 日本人は頭の良い民族ですが、不思議なことに、自分の頭で考えるということがもっとも不得意です。
 疑問を持たないのですよ、なにごとにも。
 たとえば日本人はワビだ、サビだといって枯山水を好むのに、繁華街にワビ・サビは存在しません。頭抜けて猥雑です。
 統一性のない建物や看板は空間を出鱈目に占拠し、あちこちはみ出していて、汚さといったら先進国随一です。
 しかし、なぜだろうか? とは考えない。で、日本にはワビ、サビがあるか自慢します。
 ようするに、なにごとも自分の外にあるのです。

 たとえばランドセル。
 幼年期の骨格に悪い。それに気付いているのか、いないのか、いまだに使用についての議論はなく、あまつさえ大人たちはテレビでのランドセル、 コマーシャルさえ許してまう罪深さです。
 小学生低学年の持ち物のブランド化など、児童の心にどういう葛藤が起こるか想像できるはずで、考えただけでもおぞましい商法ですが、だれもなにも言わない。

 日本人の最大の悲劇は、なにも考えず「全体に合わせるのが当然」という思いが広がってゆくことです。
 口を酸っぱくして述べますが、この漫然とした「無思考受け身モード」からさっさと抜けだし、疑問心を持って世間を眺めることが、エッセイのコツなのです。
 あとは書き手の持ち味です。
 作業としてはこうなります。

 観察→ 疑問→ 思考→ 整理→ 文

文を書く
 「起承転結」
 学校で、文章の書き方をそう習いましたよね。
 その通りです。
 「起」は、事実に基づく骨太なテーマを持ってくるのがよろしい。
むろんチマチマした事象でもかまいませんが、なんども言いますが儚(はかな)さを追う場合は、華麗な文の味付けがなければ、読むに耐えない作文になるので気をつけることです。
 新米エッセイイストはそのリスクを避け、森羅万象に眼をくばり問題点を選出してください。それが「起」です。
 ではサンプルです。
 起承転結の「起」として、日本列島が「自粛」ムードに覆われている状況を綴ってみましょう。

 お祭りが中止になった。
 何某イベントが取りやめになった。
 結婚式を延期した。
 歓迎会を流した、云々です。
 ざっと見渡し、そこまでやるの? と想定外の自粛をちりばめてズラリと並べます。
 これが「起」です。

 で、なぜ自粛するのか、その理由を綴るのが「承」です。
 「悲しみを被害者と共有する」など、巷間言われている一般的な常識的なことを述べます。

 次が「転」。
 ここです、腕の見せ所は。
 一般とは違う自分の独創的な、見方、考え方で、意外な切り口で転じてみせます。
 多くの人命が奪われた場合「自粛」するのは当然ですと「承」で述べた後、しかしと切り返す。
 たとえば、こんなふうです。

 日本の死者は、100万人から120万人。
 これらは病死、事故死、殺人、自殺者の合計です。老衰も、厳密には病死か事故死なので含めてありますが、多い年もあれば少ない年もあって、毎年数万人単位で増減している。
 死は死です。なんら変わりはありません。
 あの死は悲劇で、こっちの死は悲劇ではないなどと、他人に押し測れるわけもなく、受け止め方は個人的です。
 死は万人が背負った宿命で、それぞれがとても重いものです。
 しかし私たちはこれまで、今年の死者の数が、3万人増えたからといって、「自粛」したことがあったでしょうか?
   考えてもみなかったはずです。
 なぜ今回に限って「自粛」なのでしょう?
 目立っているからですか? 目立たない他の年の死は「自粛」に値しないのでしょうか?
 死は平等なはずで、やるなら毎年やるべきです。しないなら毎年しない。
 それが平等ではないでしょうか。
 とまあ、こんなふうなのが「転」です。

 最後に「結」です。
 「自粛」は根拠も、期間も、時期もすべてが曖昧です。
 あなたはご自分が死んで、他人に「自粛」を希望しますか?
 私なら天国から「みなさんどうか悲しまないで、私の分まで楽しく暮らしてください」と心から願います。
 文字通り「結」んで終わります。

 まあざっと述べましたが、「結」は堂々と主張なさることです。
 姑息にコソコソは駄目っ!
 あくまでも大地にしっかりと両足をつき、不退転の気持ちを込めて、大袈裟に言えば天下万人にむけての命懸けの主張です。
 ただこの場合、上から目線はいただけません。
 読者というのは傷付きやすく、簡単に反発心を起こしてしまいます。
 世間的に大物だと認知されているならいざ知らず、新米エッセイストに傲慢さがちらつけば、二度と再び読んでもらえなくなります。

 「はばかりながら僕の意見はこうです。君は君、僕は僕、されど仲良し」
 この路線をお勧めします。

感動を文にする
 なにが感動を呼ぶか?
 打ち込む姿ですね。
 漁師が網を引く風景などは典型です。一心不乱に網を手繰る。損も得もなく「ひたすら」打ち込む。
 その漁師が殺人犯であるかどうかは問いません。
 名もなきというより、人格なき自然風景の一人として「ひたすら」に感動があります。
 ひたすら鉋(カンナ)をかける。ひたすらトンネルを掘る。
 窓口の役人に感動しないのは、住民票のコピー取りには、額に汗して「ひたすら」の姿が、影も形もないからです。
 「ひたすら」の肉体労働者や芸術家は、職に感動があります。
 「ひたすら」に加え、彼らには自然との対話が必ずあるからです。
 自然にかなう感動はありません。損得抜きで今を生き抜く自然そのものが感動もので、それにかかわる人は、その恩恵を受け、傍目にも感動的に映ります。
 感動は、エッセイの素材です。
 つまり自然や自然に関わる人々も素材になりうるのです。
 いくら自然がいいといってもただ野原に出て天気がいいなあ、山が素晴らしいなあと書くだけでは駄目で、感動的エッセーであっても、ゆめゆめ起承転結を忘れてはなりませんぞ。
 起承転結はセオリーです。
 新米エッセイストは、このセオリーを踏襲するがよろしい。
 この基本がしっかりと根付かないと、自分流崩しは不可能。なにごとも基本です。

文を整える
 一定程度書いたら、読み返してください。
 文に詰まったら、すぐに読み返すことです。
 途中半端でも結構、いつ、どこの行からでもよいのですが、時々は最初から読み返してみるのがコツです。
 詰まったら読み返す。躓(つまず)いたら読み返す。
 するとあら不思議、どこからともなく自然に言葉が湧いてきます。
 脳に描かれたものが言葉に置き換わり、楽しく指先が動けば、ボケ防止どころか、若返りの秘訣ですね。
 山崎豊子さんは86歳、宮尾登美子さん85歳、曽野綾子さん79歳、瀬戸内寂聴さんなんて88歳です。
 みなさん、そろって艶々しています。
 もう亡くなられましたが、宇野千代さんなどは98歳まで生き生きと書いておられましたなあ・・・あれ? 全部女流作家かあ。恐るべし女流作家。

 それはさておき、読み返せば読み返すほど文章に磨きがかかります。
 文の流れがスムーズになるのです。

 10年くらい前に、とある高名な作家から、本を書き終えた後に10回は読み返すと聞き、青くなったものです。
 高名な作家が10回なのに、三流作家の僕が5回でしたから。
 しかし今でも、5回です。
 時間に追われていることもありますが、根がいいかげんなでしょう、これでいいやと、すぐ妥協してしまうのですね。

 僕はパソコンで書いています。
 そして三度目の読み返しからは、紙にプリント・アウトしたものに眼を通して、赤字を入れることにしています。
 おおかたの作家は、同じようにいったん紙に印刷して読んでいます。
 奇しくもアメリカの作家と会ってそんな話題に及んだとき、大半のアメリカ人作家も同じことをしているとのこと、その不思議さに驚いたものです。
 パソコンのスクリーンと紙では、なにが違うのか?
 読むリズムが違ってくるのです。
 確実に違います。
 人間にはリズムがりますが、そのリズムに、個人差はあまりないようです。
 五、七、五。五、七、七。気持ちよいリズムは、万人に共通していて、おそらく宇宙の根源的なリズムだと思われます。
 もしかしたらパソコン・スクリーンは自然界に存在しないので、波動が狂っているかもしれません。とにかく紙に書かれたものとリズムが違うのですよ。

 最後の仕上げは、朗読です。
 声を出して読んでください。
 黙読だと、脳はどうしても言葉を読み飛ばしがちで、声を出すことによって、脳のごまかしを防ぐわけです。
 ゆっくりと愛情を込めながら朗読する。
 むろん、この連載文も、声を大にして朗読しているのですよ。

                                              完
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Profile:加治 将一(かじ まさかず)

作家・セラピスト。1948年札幌市生まれ。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る。ベストセラー『企業再生屋が書いた 借りたカネは返すな!』(アスキー)、評伝『アントニオ猪木の謎』、サスペンス小説『借金狩り』、フリーメーソンの実像に迫った『石の扉』(以上三作は新潮社)など多数の著作を発表。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)の歴史4部作は大反響を巻き起こし、シリーズ 50万部の売上げ更新中である。その他、カウンセリング小説『アルトリ岬』(2008年 PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(2010年 ビジネス社)などがある。
2011年4月に最新刊『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)が発売。

★加治将一 公式音声ブログ: http://kajimasa.blog31.fc2.com/
★加治将一 公式ツイッター: http://twitter.com/kaji1948

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