加治将一の精神スペース

このページは、作家でセラピストの加治将一さんによるコラムページです。加治さんは、『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)などの歴史4部作が大反響を呼ぶ一方で、『アルトリ岬』(PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(ビジネス社)などのカウンセリング関連の著書も好評です。そんな加治さんが、日々の生活で感じること、皆さまにお伝えしたいことなどを書き綴っていきます。

2011.8.7(第8回)
取材について

 まったく現地取材をしない作家がいます。
 有名作家のA氏がそうです。
 地図とガイドブックで済ませ、たちまち場面をさらりと仕上げてしまうのですが、実によくまあリアルに描けるものだと感心するほどの腕の冴えです。
 想像力乏しい僕は常に現地主義、例外はありません。
 足を運びそこの空気を吸い、特有の磁場を感じなければ霊感が働かないのです。
 むろん費用は出版社持ちです。
 よく編集担当者が一緒ですかという質問を受けます。
 同行するかしないかは、その担当者が希望するかどうかにもよりますが、こっちにも選ぶ権利があって、僕はほぼ独り旅を選択します。
 なぜなら、編集担当者は限りを尽くして作家に気を遣うので、そうされればされるほど、かえって気を遣ってしまう僕としては、疲れるからですね。
 互いのために、のびのびやりたい。
 まつろわぬ作家は、取材までも自由でいたいのです。

 さて、現在執筆中の本は、『幕末維新の暗号』(祥伝社文庫上・下)から続く、望月先生シリーズ第四弾、タイトルは『西郷の貌』です。
 毎回日本のタブー、歴史のタブーに挑戦しては、危ない目にあっている主人公ですが、歴史作家、望月先生のエネルギー源はなんといっても粒餡豆大福。そして霊的エネルギーの源は、毎朝呑む蜂蜜紅茶なのですね。

 『西郷の貌』
 西郷隆盛は幕末維新の英雄です。
 そんなことは誰でも分かっていますが、しかしその顔となると、知る人はトンとおりません。
 写真が現存しないからです。
 巷間そう言われて久しいのですが、本当にそうなのか?
 坂本龍馬、大久保利通、桂小五郎、岩倉具視・・・名だたる人物はみな写真があるのに、なぜ西郷だけないのか?
 不思議といえばあまりにも不思議、不自然といえばあまりにも不自然で、本当はどこかにあって、我々の想っている顔とは、あまりにも印象が異なるため気付かないのではないか?
 そこに隠された大いなる陰謀の影を見ているのですが、そう思っているところへ、これが西郷だという写真が、見知らぬ読者から届けられたのです。
 実際の話です。
 眺めたとたんに、僕の霊感がただならぬ気配を感じ取りました。

 ―なにかある!―
 はたしてこれは本物なのか?
 旅支度は自然の流れです。
 取材旅行は、写真検証の旅でもあります。
 足はとうぜん西郷の古里、鹿児島へ向く。
 地元との渡りは、出版社の知人を介し、段取りよく南九州全域をカバーする南日本新聞社のOBと付けてもらいました。
 地元紙ほど強い味方はありません。

 自宅、四時半起床。
 双眼鏡、コンパス、デジカメ、地図、歩き疲れたときに塗るゴールド・クリーム・・・取材七つ道具の準備万端おさおさぬかりはありません。
 鹿児島の天気予報は、ときどき雨。
 「晴れ男」の誉れ高き加治将一としては、沽券にかかわるので、傘を持たずに出発。
 傘くらいで、沽券もへったくれもないのですが、足手まといの傘が嫌いなのです。
 服は全部ユニクロ、靴はABCマートですから、ずぶ濡れになったところで知れています。
 そして鹿児島は曇天でした。
 朝九時、宿泊ホテル到着。すぐさまH氏が現れます。
 荷物だけを預けて、皮切りは西郷南州顕彰館です。
 さすがは西郷、敬慕する20万人の寄付金をいっきに集めて建てた、威風堂々の専門資料館です。

 歳のころは70は過ぎているだろう館長は、これまた南日本新聞社出身だという。
 歴史館の館長など、歴史好きからみれば羨むべき第二の人生、西郷ドン一筋、愛情はなまなかではない。
 「大久保利通は、幼馴染みでありながら、我らが英雄西郷ドンの抹殺をずっと企んでいたとんでもないやつでして・・・」
 はっきりした理論展開は、饒舌かつ説得力があります。
 歯切れがよい。どんどんと話が進んでゆく。
 西郷は楠正成を戴く南朝派だという史感は、僕の考えとぴったりで、鋭い洞察力はどこにでもいるお飾りの館長ではなく、立派な西郷隆盛研究史家です。
 取材というより、講演を拝聴しているふうで転がりがいい。
 一時行方不明になった西郷ドンの首もちゃんと墓に安置されていると聞く。
 興味は尽きず、あっという間に昼を回り、時間が押してきます。
 まだ聴きたい話をしぶしぶ切り上げ、慌てて昼飯をかき込み、次のアポへ。

 車に乗った途端、突然の豪雨。
 フロント・ガラスに叩きつける熱帯性スコールを、せわしないワイパーがシャッ、シャッと掻きわけます。
 じっと見ていると催眠術にかかりそうなので、ハンドルを握っているH氏としばし西南戦争談議で過ごす。

 到着。
 雨がぴたりと止む。天を仰げば嘘のように青空が広がっている。まだ油断はならないが、一応晴れ男の面目躍如です。
 空き地の駐車場からかなり離れた家まで、濡れず、ぬからず、辿り着く。

 次は加治木町の島津さんです。
 薩摩藩主、島津家は、古来よりの薩摩土着豪族ではありません。
 全国の殿様のほとんどが、元をただせば近畿出身であるように、島津家も近畿から鎌倉に移り、そして鎌倉から、九州に渡った余所者(よそもの)であります。

       近畿→鎌倉→九州

 そのずっと先の祖先は渡来人の秦氏らしく、あるいは源頼朝だという説もあって、けっこうぼけているのですが、鎌倉から後は事実です。
 薩摩、大隅、日向の南九州三国を守護せよ!
 鎌倉幕府のお達しにより、家来を引き連れはるばる海を越えてやってきたのですが、その後多くの分家を排出します。
 その分家の一つが、加治木町で宮司をされている島津さんというわけです。
 加治木町は、さほど広くはありません。
 だがエリアとしては別格で、上級武士の御屋敷街でありました。
 いまだにその子孫は多い。
 驚くのはこの辺一帯での西郷への思いです。がらりと引っくり返る。
 考えてみればそれも道理で、西郷が士族制度を解体し、代りに役人を採用する『廃藩置県』などという大改革をやらかしたおかげで、録は奪われ、飯の食い上げになってしまったのだから、いいわけはありません。
 「おのれ西郷!」
 この雰囲気は、加治木町に蔓延しているのだといいます。
 アイ・ラブ西郷!
 西郷憎し!
 両極端の感情が、鹿児島に同居しているのは新発見です。

 「西南戦争のスポンサーは誰だったのか、ご存知ですか?」 
 僕の質問です。たしか鹿児島銀行の設立は、西南戦争直後なので該当しません。
 「そりゃ、グラバーですよ」
 島津氏は、よどみなく言う。
 「グラバーは西郷札を大量に持っていましてね・・・」
 これも仰天です。
 維新でカネ儲けを目論んだ黒幕グラバーが政府側に付かずに、こっそり薩摩側に加担していたなど、はたしてありえるだろうか? と自問し、そして即座に、グラバーならさもありなん、きっと両天秤にかけていたのだと独り合点し、検討材料としてノートにメモります。

 移動、インタビュー、移動、インタビュー、あっという間に夕刻です。
 一端ホテルに戻り、シャワーを軽く浴びる。と、もう夕食の時間が迫っていた。
 僕も常識人ですから、お礼の食事を誘ったのですが、H氏はガンとして首を縦に振りません。
 あまりしつこいと、老境に入っているとはいえ薩摩示現流の遣い手かもしれないので、郷に行ったら郷に従え、つまりはお言葉に甘えH氏の自宅へ招かれたわけです。
 桜島が一望できるクラッシックな居間。
 奥様の心づくし、薩摩料理の数々に舌を打ちます。もちろん芋焼酎。
 好きなくせにアルコールに弱い。とりわけ焼酎にからきしダメな僕は、ふがいなくも一時間強で酔っぱらい、8時半には、タクシーの後部座席で白川夜船の夢に水没。

 快眠快便、二日目も早朝はばっちりと目覚める。
 ヨガとセルフ・セラピーと瞑想を終え、朝食は蜂蜜紅茶で心身を整えます。
 向かった先は、尚古集成館。
 島津家の資料館なので、東京で目撃した同じ西郷らしき写真があるとしたら、ここだろうと目星をつけていた所です。
 館長、副館長など三名が応対してくれました。
 案の定、分厚い島津家の歴史本に載っていました。
 で、この侍は西郷ではない、とあっさり否定。
 そんなことは常識であって、あまり初歩的なことで引っ掻き回せんでいただきたいですな、といった口調で、にべもない。
 心をときめかせて、鹿児島くんだりまでやって来た僕の落胆は隠せません。
 しかし、これでも作家の端くれ、浮足立つどころか、転んでもタダでは起きない。
 その資料には写真が撮られた街と年月が載っており、それをあざとく見つけた僕はコピーをお願いしたわけです。
 ここです。このコピーお願いしますの一言が、作家加治将一の加治将一たる由縁ですね。
 つまり、後々素朴なる一枚のコピーが、ストーリーのとんでもない鍵になるのですが、その時はまだ気がついていません。
 ようするに傑作が書けるかどうかは今回の場合、たった紙っぺら一枚を手に入れるか入れないかが分かれ目でありまして、なんの気なしに依頼した行為は、僕自身ではなく、もはや神の領域なのです。

 集成館を出た我々は、鹿児島湾沿いに南を目指します。
 桜島が左に見、首にかけた双眼鏡をあちこち向けながら一時間半もドライブしたでしょうか、半島の最南端に辿り着く。
 そこからH氏はハンドルを山の方に切り、木々に覆われた田舎道を分け入って、しばらく走るとひょっこり池に出る。
 池にしては大きく、湖と呼ぶには小さすぎますが、池の脇をさらに進めば、鄙びた温泉に突き当る。
 西郷隆盛が逗留(とうりゅう)した、かの鰻(うなぎ)温泉です。
 下品な看板や、きらびやかなネオンとも一切無縁で辺りは静かすぎるほど静かです。
 これぞ本物の湯治場でありましょう。
 街は枯れてはいるももの、自然の、したたかなる命の息吹が様になっています。
 僕は、かなりの間見とれていました。
 佐賀の乱で追い詰められた江藤新平が、助けを求めてやってきた悲しい地でもあります。
 鰻池を正面に、座りました。
 眼を瞑(つぶ)って西郷、江藤、二人の心境に思い馳せたのですが、それを掻き消すように霊感の扉が開き、ある情景が映画のスクリーンのように立ち上がってきました。
 ―ほう、なるほど・・・そうか・・・―
 天からストーリーが降りた瞬間です。
 こうして天が本を書くのです。加治将一の作品を侮るなかれ、それはとりもなおさず、神を侮ることになるのですね。
 僕はその晩、満ち足りた気持ちでベッドに疲れた身体を伸ばしたものです。
                        続く。

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Profile:加治 将一(かじ まさかず)

作家・セラピスト。1948年札幌市生まれ。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る。ベストセラー『企業再生屋が書いた 借りたカネは返すな!』(アスキー)、評伝『アントニオ猪木の謎』、サスペンス小説『借金狩り』、フリーメーソンの実像に迫った『石の扉』(以上三作は新潮社)など多数の著作を発表。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)の歴史4部作は大反響を巻き起こし、シリーズ 50万部の売上げ更新中である。その他、カウンセリング小説『アルトリ岬』(2008年 PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(2010年 ビジネス社)などがある。
2011年4月に最新刊『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)が発売。

★加治将一 公式音声ブログ: http://kajimasa.blog31.fc2.com/
★加治将一 公式ツイッター: http://twitter.com/kaji1948

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