加治将一の精神スペース

このページは、作家でセラピストの加治将一さんによるコラムページです。加治さんは、『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)などの歴史4部作が大反響を呼ぶ一方で、『アルトリ岬』(PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(ビジネス社)などのカウンセリング関連の著書も好評です。そんな加治さんが、日々の生活で感じること、皆さまにお伝えしたいことなどを書き綴っていきます。

2011.10.11(第10回)
見聞旅行三日目

 横井小楠は、熊本が生んだ天才です。
 熊本城を見聞し終えた僕は暑い日盛りの中、日除けのパナマ帽をかぶって小楠が籠った旧居、「四時軒」まで足を延ばすことにしました。
 熊本駅からは約10キロの距離。しかしタクシー運転手は場所を知らなかった。
 行ったことがないという。
 みなさん、横井小楠の名前は知っていますが、何をした人かよく存じ上げないのでしょうね。

 小楠の武器は頭脳です。
 人間には与えられた環境があって、その中で精一杯頑張って一生をまっとうすればよし、とするのが一般人の無難な考えです。
 ましてや封建社会、家柄という絶対的な壁があり、規則、規則で、がんじがらめでありました。
 小楠は、その壁を破壊しなきゃだめだと唱えたのです。
 完全な能力主義者です。
 「能力ある者なら、たとえ下層の者でも待遇を良くしてどんどん権限を与えなさい。そうすれば万人に恩恵がある」

 士農工商の時代、分かっていても、なかなか口にできぬことです。
 「欧米と渡り合うには日本が一つにまとまらなければだめだ。一つになって開国し、じゃんじゃん貿易で儲けて軍備を整える。そうやって外国と対等な関係になりなさい」
 明治になって小楠が夢見た日本をまがりなりにも目指します。とはいえ、ここまでなら開明的な人であればだれでも朝飯前に主張するでしょう。しかし強烈なのは次の思想です。
 「たとえ君主であっても、無能ならば取り替えろ。そうでなければ国は滅ぶ」
 君主とは天皇、藩主、みな含まれます。
 早い話が、藩をなくして議会を作るべきだと提唱したのです。
 あの時代にあって、天皇や藩主を取りかえろとはぶっ飛んだ思想信念です。
 この大胆な思想に吸い寄せられて集まった面ツが凄い。
 勝海舟、坂本龍馬はじめ、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛……綺羅(キラ)星の多士済々、福井藩の藩主松平春嶽(まつだいら しゅんがく)にいたっては、ついに小楠をヘッド・ハンティングで顧問にしてしまったほどです。
 春嶽もまた偉い。
 本人は世襲で殿様になったのに「莫迦(ばか)な血統など断ち切れ」と平然と口にする小楠を登用したのですから、器の広さは半端ではありません。
 この世は頭脳次第なのですね。小楠を見ているとつくづくそう思います。

 それにしても僕が驚くのは、情報の伝達です。
 すなわち、九州という遠く離れた小島、いや大島の、しかも熊本という決して都会とは言えない辺境のそのまた片田舎に、横井小楠なる天才が暮らしているということが、なぜ全国津々浦々に知れ渡ったのか、ということです。 
 考えてみてください。
 あなたは、自分の名を全国に知らせることができますか?
 テレビも新聞もない時代です。
 どうやったら有名になるか?
 仮にインターネットを駆使したとしても、親戚や友達くらいは読んでくれますが、赤の他人には太平洋で泳ぐプランクトンのごとく、眼に入りません。
 連日の街頭演説作戦はどうでしょう。これとて通り過ぎる人は顔すら覚えてくれますまい。
 簡単に名前が売れるなら、政治家は苦労しません。
 ことほどさように、名前を全国に売るというのは、今日でも不可能に近いのです。
 さらに当時は封建武家社会です。
 封建武家社会といったら全国には300を超える藩があって、無数の関所が立ちはだかり、なにからなにまでそこで遮断されます。
 通過できるのは天下御免のお伊勢参りの旅人だけで、それ以外は、みな領地を預かる恐そうな役人に頼んで通行手形を貰わなければなりません。
 噂話だって、関所を超えるのは大変な時代でした。
 それなのに、小楠の名は全国区に轟(とどろ)いている。
 不思議といえば、あまりにも不思議な話。なぜ可能だったのか?
 そう、スパイ網です。

 各藩は情報収集に血眼です。
 なにせ、藩は上場企業ではないからぜんぶ非公開。そのうえ実体の偽装、水増し、やらせメールなんでもありです。
 底知れぬ深い闇。
 隣が軍備を密かに増強しはじめているかもしれないし、幕府に胡麻をすって、甘い汁を吸っているかもしれない。そうなれば対抗手段が必要です。
 つまり世の中、どう展開するのか、まったく油断がならないから、自前で収集する以外にありません。すなわち特派員、連絡員、通信員、いい換えればスパイが必要不可欠でした。
 スパイ網は、あらゆる分野、あらゆる所に張っておかなければならず、重要な藩組織の基幹装置でした。
 お庭番、大目付、目付、徒目付、隠れ目付、行商人、俳人、茶人……やたらめったら日本全体がスパイ社会だったといっても過言ではありません。
 このスパイ、下級武士が、唯一出世できるポジションです。
 ポジションによっては藩の雲上人と直接接触でき、機密に触れられたからですが、莫迦にスパイは務まりません。
 せっかく横取りした密書に、なにが書いてあるか分からなければ話にならず、したがって読み書きソロバンを教える藩校、寺子屋が雨後のタケノコのようにあちこちぼこぼこ建ったのも、優秀なスパイ育成に重点が置かれていたからで、日本人が勉強熱心だからだというのは、誉めすぎじゃあござんせんか。

 西郷隆盛、坂本龍馬、伊藤博文、井上薫……みな下級武士ですが、どんどん偉くなった理由がこれで分かると思います。
 そのスパイ、「天才」に接近するのも重要な仕事だったのですね。
 藩のメリットはたくさんあります。

一、 天才をスカウトして抱えれば、点滴が必要なほど体力が弱っている藩の財政を救ってくれるかもしれない。
一、 他藩を出し抜いて優位に立つ戦略を練ってくれるかもしれない。
とまあいろいろありますが、天才のサロン化もその一つです。
つまりどういうことかと申しますと、天才は他藩も目を付けるので、優秀なスパイが集まってくるのです。
天才がいる所、人が集る。サロンです。
サロンには情報が行き交いますから、天才の弟子、書生となってまとわりついていれば、他藩のスパイと情報意見の交換ができる仕掛けになっておりました。


 そんなわけで天才捜しは、スパイの大切な仕事であったのです。
 「熊本に天才あり!」
 網にかかれば様子を見に馳せ参じる。時間との勝負、争って小楠の居場所を目指したものです。
 それであっと言う間に横井小楠が全国区になったという理由、合点していただけたでありましょうか?

 行ってみると「四時軒」は、人っ子一人いなかった。
 畳部屋に座って、しばらく瞑想です。
 僕の見聞旅行には、もれなく現場での瞑想が付いているので、自動的にモードが切り替わってそうなります。
 見聞先で瞑想しておけば、書斎に戻ってキーボードの指先がその場面に及んだとき、なにかこう、生き生きとした文章が天から舞い降りてくるのですね。
 この時も瞑想中に、たくさんの知られざる歴史が身体に刷り込まれたようでした。

博多
 その日のうちに熊本を離れ、いよいよ博多です。
 目的はただ一ヵ所、太宰府の天満宮。
 そこはもともと903年に亡くなった菅原道真公の墓でした。すなわち廟(びょう=先祖を祭る建物)です。
 それから菅原公の祟り封じに天原山安楽寺が建てられ、明治になって廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という寺狩りが行われ、天満宮という神社に変化します。

廟→寺→神社 つまり 儒教→仏教→神道

 なんと無節操な! などいうのは無粋です。
 僕は外国ではありえない、このほのぼのとした大らかさが平和的で好きです。

 名前は出せませんが、だれでも知っている福岡のドンみたいな人の紹介で、西高辻さんという天満宮の宮司を訪ねました。
 座っているだけで、その場がふわっと和やかになる人がいますが、そんな感じの宮司で、歳のころは50代後半。裏表がなく、ユーモアもあり、人間の機微を心得ている。
 さすがは菅原道真の子孫だけあって頭の回転もすばらしい。
 まあ難があるとすれば、女難でありましょうか。
 こんなことを言っても本人は歓びより、戸惑いの方が多いですね。よけいなことです。
 面白い裏話を、過分に聞かせていただきました。
 見聞した歴史的裏話は、来春3月ころ発売の『西郷の貌』にどっさり盛り込みますので、期待していただきたい。
 そうはいっても、一から十まで全部有料というのはセコイので、読者のためにちょこっとだけ漏らします。

 忌まわしいことを避ける時、よく「クワバラ、クワバラ」と言いますね。
 なぜそんなことを言うのか、ご存知ですか?

 分からないでしょう? 気持ちよくギブアップしてください。
 お答えします。
 はげしい稲妻。でも、菅原道真の桑畑だけ落ちなかったので、雷が鳴るたびに「桑原、桑原」と、呪文を唱えるのが流行ったのですね。
 なに知っていた? それは御見それいたしました。
 ならば名誉挽回に、もう一つ。
 天満宮に行ったことのある人なら、手水舎(ちょうずや)の横にある大きな麒麟(きりん)の像を覚えていると思います。
 ふっくらとしたお腹などは、思わず触りたくなるほどの見事な出来栄えの銅像。

 「聖人が世に出現するとき、天から麒麟が舞い降りる」
 というチャイナの故事にちなんでの像ですが、この像、長崎の商人、グラバーがたいそう欲しがったそうです。
 天満宮は断りました。
 よほど悔しかったのかグラバーは、自分でレプリカを手に入れます。
 で、後にグラバーが造ったのがジャパン・ブルワリー、すなわち今の麒麟ビールです。
 初代の麒麟ビールのラベル・デザインをよく見れば、天満宮の麒麟と瓜二つです。これだけでもへーと驚きですが、しかしこんなのは序の口で、グラバーの胸の内は二重底になっていた。
 さらに深い意味が秘められていて、麒麟に、なんと明治天皇を重ね合わせていたというのです。
 むろんこれは口伝ですが、つまりどういうことかといいますと、麒麟は立派な髭を生やした明治天皇というのですね。
 明治天皇は代々続いた天皇ではなく、どこぞ天から麒麟のごとく舞い降りたのだ、というメタファー(隠喩)だというのです。
 大胆過ぎて、知らない人にはアホみたいな話しですが、すごいです。
 なにがすごいかお分かりでない方は、僕のベストセラー『幕末 維新の暗号』(祥伝社文庫上下)を、お読みください。たちどころにグラバーの隠喩、明治維新の隠された闇が解けます。

                              続く

《追伸》
 総理になって、一番資産を増やしたのは中曽根元総理です。それはもうぶっちぎりで、小沢などママゴト遊びに見えるほどですね。
 原発をがっと推進し、ロッキード事件、天皇金貨事件、リクルート事件……数ある事件をギリギリでかわし、莫大な資産を築きました。

 僕は、その中の一つ、天皇金貨事件に挑みました。
 それが『陰謀の天皇金貨』 (祥伝社)です。
 事件は、一人のコイン商の事情徴収から始まります。
 ロン・ヤス会談。
 会談場所は中曽根の別荘「日の出山荘」ですが、その会談はまさに日本の日没でした。
 どうやって中曽根のヤスはレーガンのロンに取り入り、中東に手を突っ込んだのか……そしていま、世界は夕暮れを通り越して完全に日は没し、深い闇に包まれております。
 その原点は『陰謀の天皇金貨』にあり、一読していただければ解けます。
 是非お読みください。
 驚愕のあまり、椅子から転げ落ちること受けあいです。

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 世界初のメンタル・セラピー小説です。
 癒されてください。と同時に、セラピーとはどういうものか、手に取るように分かる作品です。
 読んで感動したら、是非ブログやツイッターやフェイスブックで広めてください。
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Profile:加治 将一(かじ まさかず)

作家・セラピスト。1948年札幌市生まれ。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る。ベストセラー『企業再生屋が書いた 借りたカネは返すな!』(アスキー)、評伝『アントニオ猪木の謎』、サスペンス小説『借金狩り』、フリーメーソンの実像に迫った『石の扉』(以上三作は新潮社)など多数の著作を発表。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)の歴史4部作は大反響を巻き起こし、シリーズ 50万部の売上げ更新中である。その他、カウンセリング小説『アルトリ岬』(2008年 PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(2010年 ビジネス社)などがある。
2011年4月に最新刊『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)が発売。

★加治将一 公式音声ブログ: http://kajimasa.blog31.fc2.com/
★加治将一 公式ツイッター: http://twitter.com/kaji1948

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