加治将一の精神スペース

このページは、作家でセラピストの加治将一さんによるコラムページです。加治さんは、『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)などの歴史4部作が大反響を呼ぶ一方で、『アルトリ岬』(PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(ビジネス社)などのカウンセリング関連の著書も好評です。そんな加治さんが、日々の生活で感じること、皆さまにお伝えしたいことなどを書き綴っていきます。

2012.10.07(第21回)
異次元の異人類

 僕は若者が好きで、機会を作ってはよく話します。
 というわけで、今回のスペシャルゲストは若者ですが、彼らに共通しているものに気付きました。
 まるで異人類でありまして、だからこそ面白く、それをこれからぼちぼち話しますが、今の若者はどうだとか、年寄りはこうだとか、一つの形に括ってしまうのはあまりにも乱暴、僕の好むところではありません。
 ありませんが、しかしそれでも、あえて言います。
 最近の若者は、考えることが苦手なのだと。
 自分の将来さえ、ろくに考えていないフシがあるのですね。

 「どうして深く考えないの?」
 訊くと、なにをどうやって考えたらいいのか、さっぱり分からないのだそうです。
 学校でも習わなかったし、親も教えてくれなかったから知らないのだと。
 むろん違う子もいますが、昔と較べりゃ、おしなべて知らんのでありましょう。
 ではどうやって、やることを決めているのか? さらに話を訊いてみると、答えは不甲斐なくもホンワカするものです。

 「何に、幸せを感じるの?」
 僕の質問に、戸惑ったような答えが返ってきます。
 「なにって・・・ゲームとか・・・仲間といっしょに・・・」
 この若者は仲間と一緒にいればホノボノと幸福で、さらに好きなゲームに熱中して、ランクアップなんぞいたせば、ことのほかご機嫌らしい。
 断っておきますが、彼らはまぎれもなく、清、露、米と勇猛果敢に世界三大強国と戦い、最後の血の一滴までお国に捧げた大日本帝国軍人を祖に持つ同じ民族なのであります。
 「だって、好きな物を呑んだり食べたりしながら、気の合った仲間とシャベって、ゲームしてたら幸せじゃん」
 プライバシーが保てる部屋で、仲間とツルみ、ゲームを楽しむ。
 「温室育ち」とはよくいったものですが、若者はこのちんまりとした小世界で完結してしまっているのです。

 僕の幼稚園の時は、どうだったか?
 つらつら思い返すに、将来は博士だとか、大臣になりたいってな子はごろごろといたし、浮世離れしていた僕などは「皇太子になる」と、罰当たりなことを公言していたくらいで、ハチャメチャでした。
 まあ、幼稚園のころは、ほんとうに皇太子になれると信じておりまして、今の子供たちがアンパンマンになりたいというのと同レベルだったのだと思いますが。
 それに引き換え「何になりたいの?」と今の若者に問えば、食いっぱぐれのない公務員かサラリーマン。大いなる夢は不人気です。
 「弁護士? 政治家? どうして苦労しなきゃならないのですか?」
 と逆に質問された日にゃ、やれ受験地獄だ、通勤地獄だと、あまたの地獄を生き抜いて、志だけは大きかった団塊世代は、このギャップに力が抜ける思いであります。
 なんというエネルギーのなさ。
 夢、希望、思考、意志・・・そんなものが微塵も感じられないのですよ。
 では、若者はなぜ考えなくなってしまったのでしょう。

 犯人は、メディアの発達ですね。

「どこでもドア」が想像力を削ぐ
 55年前、普通の家には電話はおろかテレビすらなかった。
 札幌郊外に住んでいた僕の回りは畑だらけで、舗装道路はなく、小っぽけな店でも1キロは離れていました。まして書店など夢のまた夢、メディアと言えば新聞とラジオだけであります。
 つまりビジュアルは、唯一新聞写真だけですが、それだって中央の大新聞はまだ北海道には到達しておらず、北海道新聞というローカル紙と、北海タイムスというさらに小さな地域新聞だけ。まあ北海タイムスはすぐに倒産してしまいましたが。
 昔の新聞ですから、ページ数が少ない。
 せいぜい6ページ。おのずと写真の点数は少ないのですが、その写真にしたって恐ろしく粒子の荒い、見れば見るほど1ミリ大の点点が強調され、人の眼と鼻すら識別できないほどのものでした。
 つまり映像伝達能力が、格段に乏しかったのです。
 そんなある日のこと。
 窓際のラジオから「東京ではダッコちゃんが流行っている」というニュースが流れてきました。
 折しも、野球バットの素振りをしていた幼い僕はぴたりと手を止め、敏感に反応します。
 ラジオから得た情報では、「ダッコちゃんはクロンボの人形で、柱でも鴨居(かもい)でも、どこにでもくっつくため、若い女性は腕につけて歩いている」というだけです。
 驚きました。どこにでもくっつくというイメージが湧きません。このニュースは、さっそく悪ガキどものかっこうの話題となります。

 「聞いたか、ダッコちゃん。どんなもんだべなあ?」
 「うん、どこにでもくっつくというから、磁石がついているんだよ」
 通学の途中でも、道々考えたものでした。
 で、だれかが学級会〈ホーム・ルーム〉で先生に訊いたのですが、先生の答えはこうでした。
 「うん、先生も見たことがないが、たぶん人形に吸盤と磁石がたくさんついているのであろう」
 とんでもない答えです。
 が、まだ恩師の影は踏まずという道徳が残っていた時代ですから、だれ一人として「それはオカしい」など口が裂けても言い返せず、生徒は釈然としないまま、押し黙ったままでした。
 また考え込むと、吸盤と磁石が身体中にくっついている人形がさんざん頭に浮かんでくるのですね。
 けっきょく、未消化のまま二月くらいが過ぎ、とつぜんクラスメイトの一人が札幌のデパートで手に入れたというダッコちゃんを学校に持ってきて、はい、ゲームオーバー。

 「なーんだ、ただの空気の入ったビニール人形だべや」
 ジ・エンドですが、それまで想像力、つまり考えるという能力がたっぷり鍛えられているのであります。

 ゲームもテレビもない昔、子供の敵は「空腹」と「暇」でした。
 どんな障害も解決策はただ一つ、「我慢」です。
 「我慢は立派」というのが担任の口癖でした。
 空腹を水で満たし、暇を持て余した近所の悪ガキが集って、森に秘密基地を造ったり、それに飽きたら野球や相撲でさんざん暴れ回っての帰り道、一人の子が、自分の親父が東京に行ったなどと得意げに話します。
 鈍行列車で26時間、あこがれの特急だって13時間くらいかかるので、行っただけで「スゲー」ってことになるのですが、「エスカレーター」なるものに乗ったなんて話が飛び出したときには、もうみんなわけが分からない。
 「階段が自分で動くんだ」
 「どうやって?」
 一同腕組みするが、想像がつかない。
 「階段が、どんどん上に登って行くって、どうなったらそうなるんだべか?」
 「だから、階段がそのままつーっと動くんだって」
 「だったら一番上の階段は、どうなるんだよ」
 「ジャックと豆の木みたいに、天に向かってニョキニョキ生えていくんだべさ」
 想像外の一言。
 いくら想像しても、分からないので仕舞いには「いい加減なこというもんでねえべ」となる。
 「父ちゃんが言ってたから、ほんとうだってば」
 「なら、おまえの親父は嘘つきだ」
 と、たいがい喧嘩になって誰かが泣く。ここで想像力と防衛力と攻撃力が磨かれますね。

 「腹減ったなあ・・・」
 と
 「東京に行ってみたい・・・」
 は、合言葉みたいなもんです。
 「東京は電車だぞ」
 当時の北海道は電車がなかった。汽車オンリー。
 「電気で走るって、ラジオにモーターくっつけたら走るんだべか」
 「莫迦こけ! 東京の電車は自動的に走ったり止まったり、扉だって自動的に開いたり閉ったりするんだ・・・それにおまえ、地下を電車が走っているんだぞ」
 「地下トンネルを走るってどんなんだかなあ・・・」
 夕日に照らされて悪ガキどもは、尽きることのない思いをはせるのでありました。
 ようするに僕らの幼年、少年期は身構えなくとも、メディアが未発達だったために思考や想像が、毎日毎日、かってにむこうから繰り返し押し寄せてきたのですよ。
 妄想が、子供のカネのかからない遊びだったのです。

 それから少し、大きくなります。
 中学生くらいになれば、家に白黒テレビくらいはありますから、情報はいくぶん改善されたとはいえ、それでもまだまだ子供には届きません。
 なにせテレビは家の長である親父がでんと占領しており、定番は難しげなニュースです。
 続いてチンプンカンプンの時事放談、囲碁、将棋、大相撲、それにせいぜいアメリカのホームドラマのたぐいでありまして、番組自体も今のように中学生向けはなかった。テレビと電話は大人のものだったのです。
 僕はすることがないので、アメリカ人の中学生と文通なんぞをしておりました。
 女の子です。いまでも名前を覚えてますが、フロリダにいたその名もレベッカ・ファーマン。今頃どうしているかなあ、よけいなことですが。

 で、辞書を片手に手紙を書くわけです。
 届く返事はミミズの這ったような手書き。手紙は嬉しいのですが、読むというより暗号解読官の心境でした。
 ある日の手紙に「私はビートルズに夢中です」とあったのです。
 歌が上手くて、なかでもリンゴスターが好きとある。
 辞書で調べましたよ。
 するとビートルはカブトムシと出ていた。
 アメリカの女は変ってるなあ、カブトムシが好きなんだ。と思ってしまったのであります。
 しかもアメリカのカブトムシは唄うらしく、それがたぶんリンゴスターなんていう不思議な種類ではないかとか、ドラマーっていうことは、バンバンとドラムのように鳴くんだろうな、と妄想をふくらませ、わざわざバスに乗って、札幌市立図書館まで足を運んで調べたものです。
 当たり前ですが、リンゴスターなんてぜんぜん出ていない。
 レベッカにリンゴスターの大きさはどのくらいですか? 写真を送ってください、なんて返事を出しました。
 それにしても不思議で、てっきりカブトムシだと思っていた僕は、頭が爆発しそうなくらい謎が謎を呼んでおりましたが、それから四カ月後くらいですね、札幌にようやく四人組のグループサウンズ、ビートルズのニュースが伝わったのは。
 やり場のない莫迦野郎! ですが、やはり想像力と思考力がつきますね。 

 思春期です。
 普通なら気持ちは女性に向くのですが、僕の高校は男子校でしたから女性と知り合うチャンスもなく、唯一の暇つぶし、スポーツと読書に明け暮れておりました。
 それでも、文化祭で奇蹟的に女学生と知り合ったのです。後日電話をかければ、おっかない親が出て、取りつくすべもなくガチャンと切られた。
 で、作戦を練るのですよ。
 「恐ろしげな親をクリアーするには、どうしたらいいのか?」
 この時、企画力が鍛えられます。
 文通はどうだろうかとか、幼なじみのAちゃんに頼めないかとか・・・。
 交際と言っても、どこかの野原に座って話をするだけですが、それでも週に一度会えればいい方で、その間はやはり想像を巡らせる他はありません。
 「今頃なにしているのだろう。彼女、将来なにしたいのかな? 今度会ったら、あれも訊こう、これも訊こう・・・」
 恋心というより、異星人へのインタビューみたいなものです。
 企画、プレゼン、リハーサル、想像、思考、夢想・・・そしてまた企画と、脳みそは使いっ放しで、幼年期から思春期までの間に、こうしてけっこうな思考癖がついたのだと思います。

 で、現代です。
 様相ががらりと違います。
 たいがいスマホを持っていますから、疑問があればなにも考えずに検索。するとわずか2、3秒で答えが出ます。
 答えを求めて何日も頭を抱えるとか、どうやって調べたらベストだろうかとか、考える必要がないのです。
 「月までの距離は?」
 「はい、答え」
 「カーネギー・ホールの内部は?」
 「はい、写真」
 「ナポリの街並みは?」
 「はい、ストリート・ビュー」
 時間と距離は、ほぼゼロの「どこでもドア」です。
 「憧れ」は、手間と暇とカネをかけたものに対する、自分の手の届かない感情とも言えますが、それには分不相応というあきらめもある。今の子の「憧れ」と、僕らの「憧れ」の質も度合いもまるで違うと思います。

 好きな相手とは、携帯電話でパピポッ・・・お手軽です。
 「ねえ、なにしているの?」
 24時間いつでも話せるコンビニ交際。
 そこには声が聴きたくとも聴けない、会いたくても会えないという、じれったさ、もどかしさといったものがありません。
 欲しくて欲しくてたまらないのに手に入らない。じりじりと身を焦がすほどのタメ。
 このタメは一見無駄のように思えますが、これがなくては、その反動で爆発する恋の醍醐味なんてもんはあなた、現在の若者には金輪際味わえない相談なのです。
 恋の敵は二人の隔たった距離であり、時間であり、頑固な親であり、厳格な身分の違いでありました。真剣度、本気度が違います。命懸けでもありました。
 現代には、それが薄い。
 相手を思う、慮(おもんばか)る、戸惑う・・・そんな間もなく、当の本人がさっさと眼の前に登場する。瞬間移動で向うから現われたんじゃ、想像力は鍛えられませんわね。
 同時に、じっと時を待つとか、堪(こら)え忍ぶ、といった我慢力もつかないわけで、「ダメなら、いいよ、ほかを当たるから」お手軽に代用品が、手に入る時代のようで、妙にあきらめのいいアッサリ型が増えているのもそのせいでしょうか。
 小説家は、手に手をとっての「駈け落ち」恋愛小説など、スマホ時代の現代人には、てんで理解できないということに気づくべきでありましょう、よけいなことですが。

 考える前に、瞬時に答えが出る。
 食べたけりゃいつでも食べられ、会いたければすぐに会える。
 この「どこでもドア」が、若者から思考を奪ったのではないかと思っているのですよ。

不思議なことにおばさん、おじさんも考えない
 ならば、僕ら団塊の世代が思考人間かというと、残念ながらそうはならなかった。
 せっかくメディア未発達という絶好の環境で育ち、思考能力が磨かれかかっていたのに、それをダメにした要因があります。
 丸暗記詰め込み式のスパルタ教育です。
 つべこべ言わず覚えろ!
 丸暗記は思考を奪いますね。
 それに縦社会です。縦社会は自由闊達な議論とは対極にある服従社会ですから、思考を殺します。古株というブランドに身をつつんだ大先輩に、ただひたすら付いてゆくだけ。
 丸暗記と服従社会が、思考の芽をぜんぶ摘んでしまったのです。
 仮に独自の発案が浮んでも、そんなものは組織の邪魔ですらあるので、アップルやサムソンにはなりえず、ぜんぶおしゃか。どうしたってシャープやサンヨーになってしまう運命なのですよ。
 しかしまあ、これほどあっさりと思考能力を奪われたとは、同年代ながらほとほと愛想がつきました。

 僕は、これからの日本を担わなきゃならない若者に期待したいのですが、今述べたとおり、丸暗記と服従社会がまだまだ根深い日本にあって、さらにこれからくるであろう思考の敵、スマホ時代の本格的な到来が、将来を暗くしているというのが結論なのです。

障害を与えれば、脳は働く
 では、スマホ人間を思考人間に変えるにはどうしたらいいのか?
 目障りなスマホを取り上げる?
 そりゃ無理です。
 が、しかしそんなことをしなくとも、ちゃんと思考力欠乏症から脱却できる方法があります。

 障害を与えればいいのですよ。
 人間は、身に降りかかる障害をクリアーしてゆく、という能力を秘めています。生き残るための原始的本能ですね。
 これぞイチオシ! 障害を与え、本能を呼び覚ましてやればいいのですね。

 僕は、世界で二番目に腕利きのセラピストなので、ときどき引き籠りの子供を持つ親が相談に来ます。
 引き籠りの原因は、たいがい親にあります。
 暴力的な子供も、親が原因です。
 愛情=甘やかせることだと勘違いしている親が問題なのですが、そういう親を持った子供は、おしなべて社会へとけ込めない。
 子供同士で、けつまづくのですよ。
 甘えさせない。実に単純明解な方法なのですが、親の方には自分は甘いのだ、という自覚がありませんね。
 たいがいは、自分こそちゃんと厳しく接している親だと思っています。
 ほれ、今、うんうん、そうだ、そうだと頷いているあなた。
 あなたは、そういったその他大勢とは違うと思いたいのでしょうが、しかし、たいていの親は、その他大勢の中の一員だと思って間違いない。
 よけいなお世話だ? すみません。が、人間、己の思い込みとの決別は必要です。
 なんの話しでしたか?

 そうそう、ポイントのずれた甘やかしが一番いけないという話です。
 その証拠に、親が破産して路頭に迷うと、それまでうだうだと引き籠っていた子供は、やおら物分かりのいい子になって、自ら仕事を志願したりします。
 子供なりの危機を与えてやればいいのです。
 危険に面した場合、だれでも脳のどこかにスイッチが入ります。尻に火が点き、たちまち、それを克服してゆく本能を持っているのです。
 役人が思考しないのは、解雇という危機がないからです。
 「自分で生きろ! 家賃も、食事も、スマホも自分で払え」
 と豪快に突き放せれば、間違いなく子供はしゃんとなって思考人間になります。
 若者が考えれば、人生の価値の測り方が僕らとはまったく違う人類ですから、スマホ片手にとんでもないアイディアをひねり出すかもしれないと期待するのは、僕の希望的な観測でしょうか?
 でも若者を見ていると、やはり僕らの若い時と同じキラキラ輝く瞳を持っているし、いつしかワクワクしてくるのですね。
 「ラ・マンチャの男」の歌です。

   見果てぬ夢を見て
   最後の敵と戦おう
   耐え難き悲しみに耐え
   勇者も避ける道を進もう
   不正な誤りを正し
   清らかな人をひそかに愛そう
   疲れ果てた腕で
   届かぬ星に手を伸ばそう

 これからも若者に歌い継がれていくことを信じたい。
 なんだか分かったような分からないような話しになりましたが、なにを考えているのか心の読めない若者が、そうならざるを得なかった理由と、それからの脱却法、少しはご理解いただけましたか?

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『ビジュアル版 幕末 維新の暗号』(祥伝社)が8月1日に発売されました。
『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』『西郷の貌』(すべて祥伝社)を全部まとめた写真集です。
 この写真集は、支配者の日本史偽装を許さないぞ、今後とも真実を暴いてゆくぞという私の確固たる意思表示であります。
 各方面からの圧力がひどく、潰れそうです。どうか1冊でも10冊でも買って応援してください。よろしくお願いします。


『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済新報社)は、おかげさまで三刷りになりました。ありがとうございます。
 この本でコインが売れ、日本中のコイン・ディーラーはコイン品薄に陥ったとか。コイン関係者の嬉しい悲鳴が聞こえてくるようですが、その割にはこっちに足を向けて寝ているらしいのです(笑)。

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Profile:加治 将一(かじ まさかず)

作家・セラピスト。1948年札幌市生まれ。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る。ベストセラー『企業再生屋が書いた 借りたカネは返すな!』(アスキー)、評伝『アントニオ猪木の謎』、サスペンス小説『借金狩り』、フリーメーソンの実像に迫った『石の扉』(以上三作は新潮社)など多数の著作を発表。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)の歴史4部作は大反響を巻き起こし、シリーズ 50万部の売上げ更新中である。その他、カウンセリング小説『アルトリ岬』(2008年 PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(2010年 ビジネス社)などがある。

西郷の貌(かお) 『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済新報社)

2011年4月に『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)を、2012年1月に『倒幕の紋章』(PHP文芸文庫)を文庫版として発売。2012年2月に『西郷の貌(かお)』(祥伝社刊)を、2012年4月に新刊『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済新報社)を発売。

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