加治将一の精神スペース

このページは、作家でセラピストの加治将一さんによるコラムページです。加治さんは、『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)などの歴史4部作が大反響を呼ぶ一方で、『アルトリ岬』(PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(ビジネス社)などのカウンセリング関連の著書も好評です。そんな加治さんが、日々の生活で感じること、皆さまにお伝えしたいことなどを書き綴っていきます。

2011.7.7(第7回)
作家デビュー

 こんにちわ、連日の猛暑ですがお元気ですか?
 僕は罪になるくらい元気です。
 あなたが人生の主人公、ケチな使い走りにならぬようどっしりと構え、魂を隔離せず、幾つになっても無限の可能性に心を開いてください。
 今回は、誰も知らない出版界の秘密について書きます。

 手塩にかけた原稿は完了した。
 読み返しているうちに、だんだんと本になったらなぁ、それはかなわぬ夢かなぁ、かなえたいなぁと、心が動き始める。
 人間として自然な想いです。
 しかし次のステップが分からない。
 本は読むが、だいいち出版社などこれまた付き合ったこともない。
 どうすればよいか思案投げ首、うむむむむ・・・と腕を組んだまま固ってしまうばかりです。

 出版社とは何か?
 出版社は、文化的な組織ではありません。
 財布の重さで成功を測る、営利が目的の会社です。
 商品は本。しかし本を書くのは作家ですから、売れる作家こそ商品なのです。

 タレント事務所を想像してみてください。
 売れっ子さえ囲っていれば、事務所にはザクザクおカネが舞い込みますね。
 それと同じですから売れっ子作家には、血眼になりますし、逆に売れない作家、落ち目の作家は鼻もひっかけない。
 売れるか売れないかは確率の問題でありまして、基本法則は単純です。
 有名作家の本は売れ、無名は売れない。
 世の中、だいたいそうなっております。
 山のものとも海のものともつかない新人に、経費を掛けるのはリスクですから、てっとり早く売れっ子へ、売れっ子へと殺到するわけです。
 なにせ100万部売れれば、10億円以上の儲けですから、仁義なき売れっ子作家争奪戦が日毎夜毎に繰り広げられる。
 その陰で新米作家は、見向きもされない。
 昨今の出版不況とあいまって、ますますデビューは絶望的です。
 そこで、どうあっても本を出したいとなれば、自分の預金を総動員して無理やり自費出版を強行するのですが、僕はその分野の経験がないので、ここでは触れないことにします。

 出来たてのほやほや、自分の作品はかわいいものです。
 しかしあなたがいくらこれは自信作だ、最高傑作だと、丁寧な説明文を添え書きし、ありとあらゆる出版社に原稿を送りつけても、万が一つも読んでくれません。
 音楽と違って、原稿読みは時間がかかるからです。
 いちいち読んでいたら、仕事の妨げになるばかりか、次々と送られてくる原稿に埋もれて窒息するのがおち。これって、なにかに似ていませんか?

 そう、銀行の融資課です。
 有名な企業には、断っても断ってもしつこくおカネを借りてくださいと銀行の方からやってきます。
 しかし、設立したての零細企業には絶対来ない。
 残念ですが、世間の仕組みはそうなっています。

 とはいえ、新人デビューは必ずあります。
 あたり前ですが、どんな有名作家でも、新米時代はあったのですから。
 ではどうやって、突破するのか?
 幾つかのパターンがあります。

 @新聞記者、週刊誌記者をやりながら出版部門と太いパイプを造った。
 Aその道で有名になって本を出した。
 Bテレビ・タレントとなってタレント本を出した。
 C犯罪で有名になり、獄中で本を出した。
 D売れっ子作家にかわいがってもらい、力添えで本を出した。
 E有名な文学賞を受賞した。
 F偶然。

 @は新聞記者や週刊誌記者ならOKですが、そうでない限り不可能。
 A船井幸雄先生に代表されるデビュー方法です。経済評論家、政治評論家、医師、建築家など、その筋で有名にならなければなりません。
 B作家になるより、タレントになれる確率の方が若干高い気もしますが、それにしても絶望的でしょう。
 C、問題外です。
 Dは、大作家と知り合いになるのが難しい。
 また、たとえ親しくなっても、出版社につないでくれるとは限らず、逆にうざったがられて遠ざけられるというリスクもあります。

 僕はこれまで、本を出したいという新米さんを三人、出版社に紹介したことがあります。
 すべて本になりました。
 ただし出版社の条件は、たいがい僕と共著で、単独著者名は一冊きりでした。

 さてEの文学賞は、王道だと思うでしょうが、そこがもう素人です。
 というのも、フェアではないのです。
 サンプルとして「某賞」で説明しますと、まず「賞」の担当編集者が作品を読み込みます。
 しかし、想像してみてください。
 一年間に出版される文芸作品点数を。
 500点以上です。気の遠くなる作品群で、しょせん全出版物の評価は不可能なのです。
 で、どうするか?
 卒倒するかもしれませんが、97パーセントくらいの本はガッツリと切り捨てます。
 有無も言わさず、門前払い。なんの落ち度もないのに、欠席裁判の死刑執行ですね。
 で、何点かに絞ります。
 むろんその時、大手出版社の意向というフィルターがかっている。
 前回は譲ったから今回は頼むなどという大手出版社間の☆の貸し借りもあり、政治力もあり、調整が図られます。
 選ばれた数点が、候補作品として残り、次は審査員に読まれます。
 審査員は、誰がどう規定するのか大御所作家などと呼ばれる摩訶不思議な人たちが数人で固めています。
 彼らは大手出版社にとって愛(う)いやつでなければなりません。内情を暴露されたり、意向に反逆されては大変ですから、屈辱を受け入れ、折り合いのつく人でなければ審査員にはなれない。
 ですから僕のように決めごとを知らず、ただひたすら己の信じる道を歩む、という仁義なき作家にはオハチは回ってきません。
 審査員は仕事なので有料です。結構な金額をいただくわけです。
 お分かりですか?
 「某賞」など、てっとり早く言わなくとも、大手出版社と審査員との談合ですね。
 週刊誌が、相撲八百長を叩く度に「あれまぁーよく相撲のことを言えるなぁ」と、首を捻るのは僕だけでしょうか。

 とっくの昔に見切りをつけていた僕は、出版社の「某賞」担当役員に「候補作品は、作家名は伏せたまま審査しないとフェアではありませんね。なぜそうしないのですか?」
 と訊いたことがあります。
 この役員は真っ赤な顔で「そんなことは意味ありませんよ」と意味不明のことを口走って取り乱しました。
 昔ジャイアント馬場に「レスリングは歌舞伎と同じですね」と訊いた時と、ほぼ同じくらいの慌てようでしたが。
 文学賞など、そんなレベルです。
 メディアも共犯、いや失礼、〇〇映画賞とか〇〇音楽賞なども出来レースですから「某賞決定!」と大々的に持ち上げてくれます。
 持ちつ持たれつです。
 すると多くを知らない善良な人が本を買います。
 「某賞」効果は最低20万部、あわよくば60万部と言われているので、この手をもっと利用しない手はありません。
 欲のために文化を捨てたのか? それともハナっから文化がなかったのかは知りませんが、年に一回から二回に増え、それでも足りなくて、受賞者も一度に二人のダブル受賞にした。
 「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」
 数年前から「受賞作家」乱造期に入り、実力のない受賞者が世に排出されます。
 いってみれば薄めたワインですから、味音痴でない限り呑んだ人は二度買いを嫌います。打ち止め。
 かつて年端もいかぬ二十歳前後の二人の女の子が、そろって受賞したことがありましたね。
 出版社は、タレントっぽく売りだして一儲けを企んだのでしょう、自社の月刊誌、週刊誌を動員してプロパガンダに励み、あまつさえテレビにも登場させました。
 タレント事務所も顔負けの売り出しでしたが、慣れぬことはせぬことです。
 あえなく失速、可哀そうに娘さんたちはどこへ行ったのか、「あの人は今」状態です。
 これも実力ではなく、出版社の思惑だけで賞を取らせた悲劇ですが、青春期、「某賞受賞作家」と勘違いさせられた娘さんたちこそ大迷惑、罪造りな話です。
 「某賞」が、どれだけ出鱈目であるのかは、受賞者のその後を追えば分かります。
 いったい何パーセントが作家として生き残り、印税だけで年収千万円を超えているか?
 あれだけ宣伝して、大手出版社がワッショイ、ワッショイと応援した挙句でも、10パーセント以下でしょう。

 この度の原発事故でいみじくも露呈しましたが、東電―官僚―学者―政治家と、裏で仲良しグループがつるんでいるのが日本です。
 この国は、どの分野でも裏談合で物事が決まっているのですよ。
 ということで、長くなりましたがEはペケです。
 こうして考えると、僕のデビューはFの偶然ですが、実はこれこそ新米作家デビューへの近道ではないでしょうか。
 なにかのヒントになるかもしれないので、僕の実例を正直にお話します。

作家加治将一誕生

 僕はアメリカに15年暮らしていました。
 日本に戻ったのは1993年。あれれ、94年だったかな? いずれにせよバブル崩壊後です。
 仕事の傍ら、たわいない雑文をメモ的に書き溜めはじめたのがきっかけです。
 スタート時は、ただ思ったことをだらだらと書くだけでした。
 中身は日本とアメリカの違いです。
 意気揚々と帰国した僕は、理解不能な制度の数々に行く手を阻まれ、たちまちにして崖っぷちです。
 どうなったらこうなるのか? 
 へんてこな制度に直面する度、出るのは溜息と文句です。しかし口で文句を言ってもすっきりしないので、それを拾ってはノートに書いていました。

 すると思いのほかすっきりし、溜飲が下がった。
 たとえば帰国直後、日本国民でありながらアパートが借りられなかったのですよ、僕は。
 日本に基盤がないというのが理由です。
 帰国したてですから、無職は当たり前です。
 その上に保証人がいなかった。北海道からアメリカに渡って15年、さらなる新天地の東京ですからこれまた当たり前です。
 親戚はアメリカや札幌で、東京の保証人と地域を限られるともうアウトです。
 「一年分の家賃を積むから、お願いします」
 と言っても、そういう問題じゃないと、ホテル以外は住めなかった。

 カリフォルニアでは保証人はいりません。
 というより要求してはいけないのです。
 なぜなら保証人のいない人は、どこにも住めないことになって、生存権が脅かされるからです。
 分かりますか?
 基本的人権に反するのですよ。
 日本では当たり前の保証人制度は、欧米先進国ではまことにもって犯罪的制度の象徴です。
 なにが犯罪的かというと、保証人は被保証人の収入や財産を実際にチェックできませんね。
 眼に見えないリスクです。にもかかわらず借りなければ暮らせないという弱みに付け込んで、無理やり誰かに、しかも不見点(みずてん)で引き受けさせろ、というわけです。
 そうなれば情に絡めるか、なんらかのパワーに訴えるかしかありません。
 こんな滅茶苦茶な制度は、民主国家としてありえないわけです。
 連帯保証は、江戸時代の年貢取り立てや切支丹(キリシタン)を監視させる五人組の延長線上にあり、ぜんぜん正当ではない。
 僕は、日本経済の弱さと悲劇は、弱い立場の人に補償を強要する理不尽な保証人制度にあると思っているのですが、そんなことを面白可笑しくどんどん書いたわけです。

 むろん、それまで文を書いたことはありません。
 ですから読み返してみると、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだり、途中でなにを書いているのかさっぱり分からなくなって、???の文だらけ、 これ以上ないというほどの駄文でした。
 それでも書くのが楽しかった。
 一行、一行、誇りを取り戻すように、文が整ってゆくのは快感でした。
 その気持ちのよさといったら、マッサージを受けながら眠りにつくほどのもの、病みつきです。
 シャープ・ペンシルを握っては、幾度も幾度も原稿用紙に向かったものです。
 おそらく35回は書き直したでしょう、そのうち飽きて書棚の上に置きました。
 そうやってほんの一時寝かしておいたのですが、しだいに誰かに読ませたいという気持ちが夏の入道雲のようにもくもくと湧き上がってきました。
 で、渡したら、その知り合いが文藝春秋社に持っていったという流れです。

 大当たりでした。
 渡った先はA氏ですが、社員約650名中、A氏以外の誰に渡っても陽の目を見なかったであろうまさに確率650分の1の人物の眼に、ずばりと触れたのです。

文芸畑でないのが幸いした。

 出版社の新入社員は数年たつと、文芸畑と雑誌畑に分かれての配置になります。
 後は、文芸は文芸、雑誌は雑誌とほぼ同じ畑を歩きますね。
 二つの畑の性格は、ぜんぜん違います。
 文芸編集者は作家一筋です。
 課長、次長、部長、取締役とポジションが上がれば上がるほど、付き合う作家もランク・アップしますから、ますます有名作家との交流がステイタスという「文芸シェルター」に引き籠るようになります。
 当然新米作家は近づけません。
 可能性があるとすれば、若いペイペイの編集者です。
 しかしペイペイは、権限が極端に小さい。
 本の製作は上司二人くらいの許可を必要とします。
 で、たいがいリスクを避けたい上司に、「駄作だ」「見る目がない」「出版不況」・・・など五つくらいのお定まりの台詞でやり込められて却下です。

 それに引き換え、雑誌畑は特ダネを目指します。
 したがって守備範囲は広く政治家、アスリート、芸能人、学者、犯罪者・・・ネタ持ちなら有名無名をあまり問わない。
 中身で勝負です。つまり嗅覚が鋭くて面白いか、面白くないかに敏感なのです。
 A氏も行動力のある、いかにもという人だった。
 したがって、一冊も出したことのない新米作家の僕を門前払いすることもなく、どれどれと好奇心一杯に読んでくれたのですね。
 結果、面白いと感じた。
 その後A氏は、自分の上司週刊誌編集長のOKを貰ったというわけです。
 夜8時、友人と焼き鳥屋で乾杯している僕の携帯電話が突然響き渡りました。
 「はじめまして、文藝春秋のAと申します。御著書を出版させていただきたく・・・」
 よく意味が分からなかった。
 「はあ・・・」
 よもや、そんな展開になるとはぜんぜん思ってもみない僕は、馬鹿みたいに焼き鳥を串ごと咥(くわ)え、しばし呆けておりました。
 その夜は全部僕のオゴリにしたのは言うまでもありません。

 帰国→カルチャー・ショック→メモ→雑文→知人→雑誌編集者→出版

 このどれか一つでも欠けていたら、作家加治将一は誕生していなかった。
 文才ゼロの男にでも、愛情エネルギーをいっぱいにして、人として神を信じ、仕事として科学を信じていれば奇跡は降ってきます。
 我力ではなく、天の力によって難関を突破する。これが一番楽で確実な方法です。

★加治先生の新著『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)が好評発売中です。ぜひお読みください。

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Profile:加治 将一(かじ まさかず)

作家・セラピスト。1948年札幌市生まれ。1978年より15年間、ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事し、帰国後、執筆活動に入る。ベストセラー『企業再生屋が書いた 借りたカネは返すな!』(アスキー)、評伝『アントニオ猪木の謎』、サスペンス小説『借金狩り』、フリーメーソンの実像に迫った『石の扉』(以上三作は新潮社)など多数の著作を発表。『龍馬の黒幕』『幕末 維新の暗号』『舞い降りた天皇』『失われたミカドの秘紋』(すべて祥伝社)の歴史4部作は大反響を巻き起こし、シリーズ 50万部の売上げ更新中である。その他、カウンセリング小説『アルトリ岬』(2008年 PHP)や『大僧正とセラピストが人間の大難問に挑む』(2010年 ビジネス社)などがある。
2011年4月に最新刊『陰謀の天皇金貨』(祥伝社刊)が発売。

★加治将一 公式音声ブログ: http://kajimasa.blog31.fc2.com/
★加治将一 公式ツイッター: http://twitter.com/kaji1948

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