船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる

このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。

書:佐野浩一
船井幸雄グループ社員の日々もの思ひ、考へる あの社員の一日を公開!
歴史は続くよどこまでも(2)
2011.9.27(Tue)
社名:イリアール(株)
名前:多久島 猛

天智天皇(626年〜672年)。即位前は中大兄皇子と言い、「大化の改新(645年)」では、中心的な役割を果たす。最期は行方不明となり、現場に沓(くつ)が遺され、そこに墓(沓塚)が建てられる。

天武天皇(?〜686年)。歴代天皇の中で、唯一生年が不明な天皇。「日本書紀」の編纂を命じる。「天智の弟」と言われるが、彼の生い立ち、その後の行動から見て「疑わしい」とする説がある。

日本書紀。天武天皇が編纂を命じ、その妻、持統天皇のときに完成(720年)。日本初の正史(国が編纂した歴史書)だが、天武のプロパガンダ的要素を含む。

泉涌寺。創建年は856年頃と伝えられる。1224年に天皇家の祈願寺と定められ、江戸時代には菩提寺と定められ、現代に至る。

桓武天皇(737〜806年)。第50代。天武系の血脈が絶え、673年に天武が即位してから、実に108年ぶりに天智系天皇として即位した。実績には、平安京遷都や東北征伐がある。

明仁天皇(1933年〜)。第125代。

 みなさん、こんにちは。イリアール(株)の多久島です。
 毎回書いていますが、私は大の歴史好き、日本史好きです。
 早速ですが、今回も前回に引き続き、「なぜ、天皇家は現代まで続くことができたのか?」について書きたいと思います。繰り返しになりますが、これは一介の「歴史好き」が書くことなので、「そういう見方もあるんだな」程度に読んでいただければ幸いです。
 
 前回は、天智天皇と天武天皇について書きました。
 この2人のミステリアスな関係やその後の出来事は、古代史の中でもクライマックスの一つに数えてもいいと思えるくらいのストーリー(?)ですし、またその影響は現代にもつながっていることなので、今回はその点について書きたいと思います。

 このストーリーのメインキャラクターは天智天皇と天武天皇です。そして、ヒーロー役は天智、悪役は天武です。歴史に善悪はありませんが、それでも、役柄を決めたほうがわかりやすいし、面白くなると思うので、敢えてそのようにして書いていきます。

 2人が生きていた時代は7世紀前半から後半まで。そしてこのストーリーの終わりは、「鳴くよウグイス平安京」で有名な794年(8世紀後半)までです。

 前回でも書きましたが、天智の後を継いだ天武は「天智の実弟」とされています。しかし現在では、「天武は天皇の弟ではない。皇族ではあっただろうが、少なくとも有力な皇位継承者ではなかった」とする説があります。これが、このストーリーのポイントとなります。

          ◆  ◇  ◇ 

 そもそもなぜ天武の「実弟」説が疑われるかといえば、次のような謎があるからです。
1)「日本書紀」に記録されている歴代天皇の中で、天武だけが「生まれた年」が不明。したがって「天智の弟」という確証がなく、その皇位継承の正当性が疑わしい。
2)天武から称徳天皇までの8代は、天皇家の菩提寺(泉涌寺)に祀られていない。


 正直、1)の事実を知ったときは衝撃的でした。
 文字の読み書きができる人間が圧倒的に少なかった当時でも、さすがに天皇の年齢については、何らかの形で記録されていました。しかも国家事業として編纂された「日本書紀」にその記述がないのです。極めつけは、「日本書紀」の編纂を命じたその人が天武であるにもかかわらず、その人の「生まれた年」が書かれていないのです。

 当時の日本は天皇の独裁国家です。例えは悪いですが、そういう意味では現代の北朝鮮と同じなわけです。金正日が、金一家の自伝の編纂を国家事業として命じ、完成した書籍には「金正日の生まれた年が書かれていなかった」となれば、明らかに怪しいでしょう。

 そもそも、なぜ天武の「生まれた年」にこだわるのかと言うと、彼は「天智の弟(天智より年下)」という立場を最大限活用して、天皇になり、政治力をふるっていたからです。

 そもそも天武は、「天智の次は私」とスンナリと即位できたわけではありません。実際は、「次は(天智の息子の)大友皇子」とされていたところを、天智が亡くなった後、天武は大友に戦争をふっかけてこれを殺し、即位したのです。
 かなりの暴挙に思えますが、「天智の弟」という立場があればこそ、世間的には「叔父が甥と相続争いをし、叔父が勝った」とすることができますが、「天皇の弟」ではないということになれば、その評価はまったく違ったものになります。だからこそ、天武の「生まれた年がわからない」という事実は、古代のミステリーのひとつに挙げられるわけです。

          ◇  ◆  ◇

 次の2)は現代にも繋がる話です。
 先日、世界遺産に登録された中尊寺(金色堂)は、奥州藤原氏の氏寺(菩提寺)。日本最初のお寺=飛鳥寺は蘇我氏の氏寺…と同じように、天皇家にも先祖の霊を祀るお寺があります。それが泉涌寺です。
 泉涌寺には、歴代天皇の位牌が祀られているのですが、実は天武から称徳天皇までの8代、いわゆる「天武系天皇」の位牌がありません。誰かに盗まれたとかではなく、最初から「祀られていない」のです。

 話が並行しますが、天武系の子孫が天皇位を独占していた時代、天皇は「天武系の子孫」が就き、そのお嫁さんは「藤原家の娘を娶る」ことが暗黙の了解となっていました。
 しかしこれは、天皇と藤原家出身の娘との間に男子が生まれ、藤原家には女子が生まれ続けることが大前提です。結果的には、最後の称徳天皇(女帝)の時代は、男子がまったく生まれず、跡継ぎがいなくなったため、称徳天皇の次は、天武系も藤原家の血も入っていない光仁天皇が継ぎ、完全に「天智系復活!」と言える桓武天皇が即位しました。そしてそれを象徴するように、天武系の天皇がつくった藤原京や平城京を捨て、都を平安京に移したのです。

 このように、現代までつながる「天智系天皇」側から見たら、一時的とは言え、天皇位を独占した天武系一族は「憎っくき敵」と見なしていたことがわかります(だから泉涌寺に、天武系8代を祀らなかった)。言い換えれば、それまで冷や飯喰らいだった分家の一族が、「本家を乗っ取った」というところでしょうか。

 余談ですが、平成13年に、平成天皇が「日本と韓国とのゆかり」として、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」とご発言。主旨は、「当時、天皇家と百済王家は非常に親密な仲だった」ことから「日本と韓国のゆかり」について触れられたのでしょうが、今回書いてきた内容を踏まえると、敢えて「桓武天皇」を持ってきたあたりも言い得て妙です。
 繰り返しになりますが、桓武天皇は、平成天皇自身にもつながる天智系を復活させた人物なのですから。(ここまで来ると、本当に歴史オタクの領域ですね)

                         ◇  ◇  ◆

 現代に関係する話をもう一つ。
 最後の天武系天皇だった称徳天皇は、女帝(女性天皇)でした。
 通常、男子相続が基本である天皇家において、女性が即位するのは、天皇が早死にし、跡継ぎが若すぎたりした場合にのみ「中継ぎ」として即位するケースがほとんどでした。しかし称徳天皇は、日本史上初の「皇太子」から「天皇」となった人物です。つまり、初めから即位が決定されていた皇女だったのです。

 そして、なぜ称徳天皇で天武系の血脈が途絶えてしまったのかと言えば、男尊女卑の考えが強い当時、女性天皇が結婚するということは、「天皇が他者(男性)に支配される」ことになり、「天皇の権威に傷がつく」と捉えられていました。その結果、称徳天皇は結婚が許されなかったのです。当然、子孫を残せなかったわけなので、彼女の死とともに「天武系」の血脈は絶えることになりました。

 この話は、小泉内閣時代、現在の皇太子夫婦に男子が生まれないことから取り沙汰された「皇室典範の改正」につながります。今でこそ、秋篠宮家に悠仁親王(皇子)が誕生したことで沈静化しましたが、それまでは「このままだと、愛子内親王(皇女)を立太子し、天皇位に即位せざるを得ない(→そのためには皇室典範の改正が必要)」と考えられていたわけで、彼女が「第二の称徳天皇」になりかねなかったのです。

 「男女平等の現代で何をバカな」と思われるかも知れませんが、天皇家は、今でも千年以上も続く神事を継承している家であり、決して絵空事ではありません。
 もちろん、現在の皇太子殿下と秋篠宮殿下の仲が悪い…ということがあれば、これもまた「第二の天智と天武」になってしまうのでしょうが、幸いなことにそのような話は聞こえてきません。

 それにしても、ここでもまた、「1200年前に起きた問題が、今でも続いている」と思うと、つくづく歴史の不思議さを感じずにはいられません。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


1周目:「一語一句、気持ちを込めて文字を綴る」
2周目:「新燃岳に想う、20世紀最大の噴火・ピナツボ火山」
3周目:「わたし流 歴史・時代の眺め方」
4周目:「歴史は繰り返す? 実はニッポン人はお金にルーズ?」
5周目:「歴史は続くよどこまでも」

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