船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる

このページは、船井本社グループスタッフによるコラムページです。 「これからは“本音”で生きるのがよい。そのためには“本物の人間”になることが大事」という舩井幸雄の思想のもと、このページでは、社員が“本物の人間”になることを目指し、毎日の生活を送る中で感じていること、皆さまに伝えたいことなどを“本音ベース”で語っていきます。

書:佐野浩一
船井幸雄グループ社員の日々もの思ひ、考へる あの社員の一日を公開!
モノを作る、手にすること
2012.11.21(Wed)
社名:(株)船井メディア セミナー部
名前:河原 朋子

 こんにちは。
 船井メディア セミナー部の河原朋子です。
 いつもコラムをお読みいただき、ありがとうございます。
 最近、思ったことを記させていただきます。
 しばし、お付き合いください。

 古来、ひとはみな生活に必要なモノは自分達の手で作り出していた。
 自分で作れないモノは、交換などを経て、手に入れていた。

 わたしたちは今、一体どれだけのモノを作り出すことができているのだろう? 自分のこの手で。
 表面だけ知ったつもりになって、モノ作りの本質を見ていないことがとても多いのではないだろうか。

 そんな風に感じたのは、今年、裁縫を再開したことと、「麻糸産み後継者養成講座」へ参加したことが一因かもしれない。

 繊維状になった麻を繋いで一本の糸にするこの作業。
 はじめはとても難しく、こんなことが出来るのだろうかと一抹の不安もよぎったが、あっという間にその面白さに没頭してしまう。

 その作業をしながら、昔の人たちは、冬の長い夜をこの労働をしながら過ごしていたのかもしれないとふと、思った。

 どんなモノも、人の手を経ないで手元にとどくことなどありえない。
 現在、デフレ経済の日本では、安いことが当たり前であり、それが善になっている。
 しかし、それは「使い捨て」の風潮をより、後押ししているのではないだろうか。
 もちろん、わたしもデフレ経済の恩恵を受けている一人である。
 使わないなら捨ててもいいとか・・・。
 捨てるために作られたわけではないのだが・・・。

 モノは「使い捨て」なのだが、食物に関しては、「破棄」が行われている。
 古来、ひとは豊作であること祈念し、喜びを以って神に祈りを捧げていたはずである。
 それが今では、豊作は祈るのだが、結果、豊作になると、値段が合わないと破棄されてしまうという事態が発生する。
 そのときの作り手の気持ちを思うと心が痛くなる。

 作られたモノが、受け取るはずの手に届かない。
 どんなに悲しいことだろう。

 どんなモノも、携わったひとは、誰かの手元に届き役に立つことを望むもの。
 それがさまざまな理由で「価値がないモノ」とされてしまい、役目をまっとう出来ないということが現実に起こっている。

 しかし、世の中には「価値がないモノ」とされた、それを必要としているひとが存在するのも事実である。
 アフリカをはじめとするいわゆる第三世界とされる地域では、モノも作物も行き渡っていないことが報じられている。
 さらにその地域で、私たちが日ごろ手にするモノを生産していたりするのだ。
 こちら側に比較して、安いと言われる人件費を使って生産されるモノたち。
 それを使い捨て感覚で消費するこちら側。
 市場にあふれ出すモノたちはどんどん売りたたかれ、企業は本来の収益が得られない
企業は買ってもらうためにさまざまな広告宣伝をする。
 新製品の発売頻度も段々と増す。その経費はモノの値段に添加されている。
 しわ寄せはどこにいくのか。言わずもがな。
 モノを作ることは価値が無いことになっているかのように、生産者の悲しい現実が垣間見えることもある。

 これはいったいどうしたことだろう。
 なぜこのような極端な不均衡が起こるのだろうか。
 資本主義経済の弊害なのか・・・。はたまた物流の問題なのか・・・。
 要因はいくつもあるのだろうが、なにかが歪んでいるとしか思えない。
 搾取にもつながるこの図式が成り立っている現実。
 その搾取は最終的にわれわれ人類を育む地球という惑星からの搾取に繋がる。

 たかがモノと思えばそれまでだが、役にたつところへ送り出すことはひとにしか出来ない事。まだまだこの経済が続くのであれば、微力でも、何かがしたいと思う。


 本当に必要なモノなのか。
 本当にもう使えないモノなのか。

 何かを得るときに、それをよく考えてみる。
 捨てる以外の、他の道をモノに見つけることが出来たら、モノは嬉しいのではないだろうか。そんな気持ちを持つ人が一人ずつでも増えていったなら、世の中のモノの流れを大きく変えていくことに繋がる事もありえると夢想するのだ。
 それは必要なモノが必要としている人に届く世界。
 モノが使命をまっとうできる世界。


 「ありがとう」

 いつもモノを処分するときに声をかけることがわたしの癖だ。
 ハタから見たら変な人なのだろうが、構わない。
 なぜなら、そのモノがわたしの役に立ってくれていたのだから。
 わたしでない誰かが手を使って造ってくれたモノだから。
 それがわたしに出来る、作ってくれた誰かとモノへの感謝の方法だ。

 ひとが一人一人、かけがえのない存在であるのと同じ、わたしたちが持っているモノはかけがえのないモノかもしれない。

 ちいさなことだが、モノを手に入れるとき、少しだけ、立ち止まることで何かが変わる。
 そんな時代の変換時期にわたしたちは生きている気がする。


3周目:「災害時に思う事」
4周目:「その次」
5周目:「愛情というものについて」
6周目:「福島にて」
7周目:「かわいい子には旅をさせよ  ホラー映画論」
8周目:「感謝すること」
9周目:「仙人は霞を食べて生きている」
10周目:「終わりよければ全て良し」
11周目:「福島にて その後の生活」
12周目:「必要なものしか手のなかには入らない 〜必要であれば与えられることの実感〜」
13周目:「縁で全てが回ってる」

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