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船井幸雄注目の “本物”に携わる人たち

このページでは、舩井幸雄が注目していた、医療、経営、農業、未来予測、占星術などあらゆる分野で活躍する“本物”と言っていい方々を紹介します。それぞれの方に毎月1回、3回ずつコラムを書いていただき、順番にいろいろな方を紹介させていただきます。

2017.04.10(第76回)
★今回の執筆者★
アイ・ケイ・ケイ株式会社 代表取締役
伊藤 好則さん(1回目)
(伊藤さんの詳しいプロフィールはページ下にあります。)
出会いと気づき

 私は人生の財産は、「出会い」から始まるものと信じて出会いを大切にしてきました。
 出会いとは、「人」、「もの」、「ものごと」、との出会いです。

 2017年2月20日、こちらのコラムへの寄稿依頼のメールがありました。翌日、電話をすると担当者は香川県の出身で当社のホームページにより、私が3月12日に高松市で講演することを知っていました。
 「人・地球・木の命」(あなたの日常は木があることで、こんなに変わる)。

 これが、高松市の山奥、大福院での講演会のタイトルでした。
 この度の寄稿に際しては基本的には自由とのことですから、木製木材乾燥装置「愛工房」のこと、その「愛工房」から産まれる「ほんもの」の製品のこと、できごとなど、講演で話したことなどを含めて書き進めることにします。
 なお、今年1月発刊の『木造都市の夜明け』、それと5年前発刊の、『樹と人に無駄な年輪はなかった』(何れも三五館)からの引用もあります、興味のある方は冊子をお読みいただければ幸いです。
 
 (本コラムの寄稿依頼の)メールをいただく2日前の2月18日にあることに出会いました。
 数か月前に依頼され、試作を幾度か重ね、数日前に最終の試作品を渡していた杉の小箱、その杉の小箱を使った商品を紹介する写真を依頼主が持参し、「この本に掲載します」と言われて覗き込んだ冊子の表紙には『月刊船井本舗 ほんものや』と書かれていました。
 2010年2月号に月刊『ザ・フナイ』「森」特集の中で私の寄稿文「日本の杉に思う」が掲載されたこと、月刊『ザ・フナイ』に連載中の船瀬俊介氏とは30年来の心友として氏の事務所を引き受けていた話しなど、何かの縁を感じることを依頼者に話しました。その2日後にこの度の寄稿依頼です、誰か何処かで操作したのでしょうか。……ありがとうございます。

 「木・人・地球」の命。このテーマで進めて参りますが、その前に大地震が起きた熊本を書かせていただきます。私を育ててくれた熊本です。
 私は1941年に東京の杉並区に産まれ、強制疎開で母の郷里大分県の日田へ、その後三重県の松阪で終戦を迎え、父の郷里、熊本へ。
 熊本に住み始めて間もないころに出会った出来事は子ども時代の生きる原点となりました。それは、向かいの家で数日前までは見かけていた小学生のお姉さんがその日は違うお姉さんに変わっていたので、その家のおばさんに聞くと、「熊本駅で拾ってきた。働きの悪うて飯ばかり食うけん、捨てに行った。また、拾ってきたと」と言います。
 それを聞いて、親のいる自分は幸せだと思いました。そのことがあってからはどんなことに出会っても、どんな目にあっても自分が不幸だと思うことがなかったことは幸せでした。
 あの時のお姉さんたちはどうなったのか、子ども心にもずっと気に掛かっていました。戦争の一番の犠牲者は弱い立場の人です。戦争は絶対にダメ、ずっと思い続けています。
 
 私が小学校4年生になった初夏、弟が生まれ、兄と2人の妹、生活は益々苦しくなりました。母は生まれて間もない弟を抱いて職業安定所へ行き土木作業に(日当240円のニコヨンと言われていました)、母が働いている間は、木陰で休憩時間になるまで、まだ首のすわらない弟を抱いて立っていました。
 職業安定所へ行くには早朝、通学する小学校の横を通ります。母に聞こえるような小声で「学校行きたくなかもん」、母は聞こえないふりをしていたが辛かったと思います。職安で仕事にありつかない日は、もっと辛い日となりました。
 その頃は、食べるため、生きるために、皆が必死になって命を守りました。今の人たちの方が命を粗末にしているのではと思うことが多々見受けられます。
 すぐに夏休みとなり出席日数は何とか満たして進級しました。

 5年生になり、人生の宝となる言葉に出会いました。その頃は夜も明けない暗いうちに起き出して熊本駅へ行き、有明海で獲れたアサリ貝を仕入れて朝餉用に売り歩きました。
 前後のザルの中に担げる限りのアサリ貝、と言っても小学5年生が担げる量は限られています。前後のザルに入ったアサリ貝を天秤棒で担いで大きな声を出しての商いでした。
 ただ、通学する学校の生徒たちに出会いたくないので学校とは反対方向に売り先を求めたため、帰るための時間がかかり、出席しても大遅刻となり欠席することが多くなりました。目算通りには売れない日については登校するのは不可能でした。
 そんな中、たまたま出席した日に教わった言葉が、「天知る、地知る、我知る」でした。
 先生は、誰かが嘘をついたことへの説教だったのですが、私には別の意味として捕え、この日から、この言葉にどれほど励まされ、救われたことか知れません。アサリ貝のシーズンが終わると、魚市場で、ふかしたサツマイモ(熊本ではカライモと言います)を早朝から市場で働く人たちに売ってまわりました。
 出席日数が少なく6年生への進級が危うかったことは当然で、そのことは、後年、東京の青梅市に居を移されていた先生からも伺いました。私が東京で暮らすようになってから、近郊に住んでいる級友や上京してきた級友を誘って伺うと先生は大変喜ばれていました。
 6年生からは新聞配達の仕事に就き、毎月固定した収入があることに喜びを感じました。

 中学校では卒業後もお世話になった大恩人、素晴らしい恩師との出会いがありました。そのことについは、前記2冊の本に記しました。
 中学を卒業した翌年、工場で働いていた際に病院で出会った32歳の方の一言で人生が変わりました。
 「君には若さという財産がある。私が君ほど若かったら大阪で丁稚修行をして、その経験を東京で活かす」と。それはまるで天の声のように聞こえました。
 さっそく、準備といっても何もない、16歳の体と夢があるだけでした。大阪へ出立する前日、3人の友人と熊本城で会いました。熊本城は卒業した西山(せいざん)中学校からも近く、一新(いっしん)小学校からからはもっと近くて遊ぶ場所でもありました。その頃には天守閣はなく、だだっ広い敷地をただ黙々と歩き廻りました。
 帰るための汽車賃の持ち合わせもない、肝心の就職先は大阪に着いてから探す、そんな身では何を話すこともなく、「天知る」「地知る」「我知る」を忘れず、自分に正直に生きて精一杯働く、絶対に何とかする、決意と希望だけは胸一杯に膨らませ、熊本城と自分に誓ったことは忘れられません。
 大阪駅に着き、大阪市役所へ行ってから奇跡的な経緯で丁稚になれたことは、拙著『樹と人に無駄な年輪はなかった』で詳しく述べています。帰熊の折は、再建された天守閣のある熊本城に、報告すること、それが希望のともし火でした。

 今年1月出版の『木造都市の夜明け』を、2016年夏の出版予定で進めていた矢先に起きた熊本の大地震です。自分が育った熊本の大事です。何か自分にできることはないかと考え、出版社に出版を延期していただくようにお願いしました。
 地震発生より3か月後に熊本を訪れ、熊本で見たこと、感じたこと、想いなどを第3部に記しました。この本の私への印税は全額 (といっても僅かな金額でしょうが) 熊本の復興に役立てていただくことにします。
 前作の『樹と人に無駄な年輪はなかった』の出版の折には本の完成を間近にして起きた2011年の3・11の大震災でした。出版を延期していただき、南三陸町に「愛工房」が設置されるまでの経緯を記しました、その本の印税は全額、南三陸町に持参しました。

◆第1章 木(杉)と命
杉の学名はクリプトメリアジャポニカ(日本の隠れた財産とも訳されています)。


 地球上から、人類がいなくなっても木は生きているが、木がなくなったら、人類は生きてはいけない。
 樹木は、地球上の生物の先輩で最高の長寿、水を貯え、田畑を潤し、川から海へ、地球上の全ての生きものへ命を与えます。
 樹木は、生きものが生きるために、一番大切な空気を、木材になっても呼吸し与え続けます。が、高温で乾燥した木材、新建材などにはその働きは望めません。
 杉は、日本の気候風土に適していたので多く生息し、先人たちは育て、住まいに使った。

●拡大造林で植えられた杉たち
 山に、木に、特に杉に対して関心を持つきっかけとなったのは1992年九州、大分地方を襲った台風がもたらした出来事でした。多くの杉の群れが山の斜面から滑り落ちている姿を何か所も目にしました。その倒木を目にした大分県の日田地方は母の先祖の地です。終戦の年の始めに東京の杉並から疎開して一時お世話になった所です。

 そのころは、電気工事業として前年の1991年には全社員(社員20名程の)非喫煙の職場が実現していました。学卒求人で九州各地の高校を訪問すると、高校、中学校で生徒たちの喫煙が問題になっていて、禁煙教育の講演依頼が多くなっていたころでした。
 これより7年ほど前、社員の喫煙問題と戦っていた頃、「タバコ問題情報センター」の会合で船瀬俊介氏と出会い意気投合、以来取材や講演活動に同行することも多く、健康、環境問題を一緒に取り組み、その後、船瀬俊介東京事務所を開設しました。環境問題として森林の問題、森林の問題は戦後植え過ぎた杉の問題が危惧されていた頃です。
 その頃、杉は根を下方へは伸ばさないので山崩れを起こすと教えられました。また、杉の乾燥が非常に難しいので困っていることも知りました。

●挿し木苗と実生の苗そして花粉症
 『木造都市の夜明け』を執筆中に、戦後植林した杉の殆どが挿し木によるクローン苗であることを知りました。杉の枝を切り取って川で水に浸して枝に水を十分に吸わせて畑に植える、その枝から根が出たら山に植える。挿し木の根は元々が枝なので根が地中深く入る性質ではなく、地面を横に張ることと知りました。一方、実から生まれる根は地中へ向かって根を伸ばす。どちらが環境に、木の命に良いか誰にでも分かることですが、経済優先で現在に至っているようです。経済に都合の良い木をつくった結果、大雨による山崩れ、風による倒木などで人命も失われ経済も打撃を受ける皮肉な結果になっています。

 皆さんもスギのことを調べてみては如何ですか、そこに書かれているスギは“深根性であり、根を深くまで伸ばす。根系直径10mmの引き抜き抵抗力は、スギ、ヒノキと広葉樹(ナラ類)は100kgf程度、アカマツはその半分、カラマツは4割程度であり、スギは土砂災害に強い森林づくりに好ましい。しかし、植林するスギやヒノキの苗は挿し木によるクローン栽培が多く、挿し木は地中深くに伸びる直根が出てこないため(種から生産する実床苗には直根がある)、台風や大雨などによって簡単に倒れやすい”とあります。 
 “ほんもの”の杉のことを知りました。
 日本中で、ご神木の多くがスギであることも納得しました。

 杉の代名詞に花粉症があります。花粉症は、果たして杉だけのせいなのか、疑問がわきました。今より50年、60年前に各地で植えられた杉は、何処で育った杉のクローン苗を何処へ植えたのか、記録が残っていれば知りたいものです。杉は昔から花粉を出していました。それでも人々は花粉症にはならなかった、お互いに生き合っていたのです。
 遠い地域でつくられたクローン苗が新天地で成長し、子孫を残すためにその地域になかった花粉を出す。すると、前から住んでいた杉たちも対抗するのではと思います。戦争です。
 杉を植林した地域でも花粉症の人がいないと聞いた地域では、実生苗、挿し木苗の違いはあっても共通しているのは、その地域で育てた苗を植えていたことです。

 2016年11月、テレビで観た「スギ薬局」の女性の役員、杉浦さんのインタビューでは、スギ花粉症で困っている人が多いのに、なぜ名前を「スギ薬局」と付けたのですかとの質問に、「スギ薬局の名称は40年前に創業した際に付けた名前です。そのころ、花粉症はありませんでした」と、明快な杉浦さんの答えでした。杉が花粉を出すのは、植えられて30年頃からだそうです、ピッタリ合います。花粉症は、杉だけのせいでしょうか。

 石原慎太郎氏が東京都知事時代に花粉症になり、杉憎しとばかりに伐採して、そこには花粉の出ない杉の苗を植えることを指示しました、現在は花粉が99%削減された苗をつくることに成功して植えているそうです。ただし、今日植える杉は花粉を出すのが30年後、木材として使用するには50年後、今日産まれる子どもたちが使うことになるのです。
 子孫への命の継承を絶たれた生きものが、将来どのように作用するのか誰にもわかりません。誰も責任はとれません。とりません。私たち大人は子どもたちのために、50年後を心配する必要はないのでしょうか。それには、50年前を検証する必要があると思います。

●木材乾燥「愛工房」と、乾燥した杉と矢山利彦先生
 木材は乾燥が大切、特に杉の乾燥は難しいことを知りました。木材を乾燥する装置は100℃以上の高温蒸気が殆どで、船瀬氏に講演依頼をしてきた乾燥機の開発者から、講演後に180℃で乾燥することを自慢されて、驚きました。木材乾燥の目的を間違えています。

 2004年の春から夏にかけ、木の部屋で木材を乾燥する木製木材乾燥装置を開発しました。
 この開発について、偶然にも同姓の当初の協力者、伊藤隼夫(しとお)氏は、温度は80℃が必要、風は強い方が良い、床はヘドロが出るから掃除のためにコンクリートに、この三つが必須条件と教えてくれました。また、価格が安いからとの理由で灯油を薦めます。
 木材乾燥機を製作するにはこの本を読むようにと、専門書を持ってきましたが、1ページもめくりませんでした。そして、教えられたことの全く逆の方法で製作しました。彼のアドバイスが杉の乾燥に適しているのなら、すでに良い乾燥機は産まれているはずと思ったからです。
 こうして生まれた乾燥装置で来る日も来る日も杉の板材の乾燥試験を重ね、杉に聞きながら辿り着いた温度が45℃でした。

 稼働温度を45℃と定めて間もない頃、九州から旧知の薬草関係メーカーの社長が見えて、薬草を乾燥する際の温度と同じだと驚いていました。この温度での乾燥は、変色しない、酵素を損なわない、薬効を失わない温度です、と。草も木と分けたのは人間たちで、同じ土からの命なのだと確信しました。この装置を超天然乾燥装置「愛工房」と命名しました。
 振り返ってみますとこの乾燥装置、私が作ったのではなく作らされたのではと思います。
 これまで、この装置の売り込みは一切していません。設置先については非常に厳しい条件を付けています。興味のある方は拙著をご覧くだされば納得していただけると思います。

 2005年、佐賀の矢山クリニックさんの入院病棟が完成して間もないころ船瀬俊介氏と伺いました。その時の様子は月刊『ザ・フナイ』2010年2月号の特集「森」の中で書きましたので、その一節を紹介します。
 “矢山先生の病棟が出来上がったときに船瀬氏と「愛工房」で乾燥した黒心の杉板を持って伺いました。すると矢山先生は杉板を手に取ったとたん興奮して「これを病院の中に使えばもっと良かった、凄い、気が出ている」と、離さないのです。私は何のことか良く理解できませんでしたが、離さないから差し上げて帰ってきました。数日後、入院患者さん用と食堂用のお盆が欲しいので指定する家具屋さんに杉板を送って欲しいとの連絡がありました。そこは、家具づくりで有名な福岡県大川。吟味して杉板を送ったところ、先方より電話があり、「杉の板目は、あばれてお盆はできない、作っても後でクレームが来るのは目に見えている」と即座に送り返されてしまったのです。困った末、指定されたサイズのお盆を電気工事が本職の当社の職人が作って矢山先生にお送りしました(記念に1枚残してありますが、3年経った現在何の変化もありません)。”とありました。

 この頃より7年経過していますが、お盆には何の変化もなく、使用者からのクレームもありません。杉は乾燥が完全なら何を作っても心配ないことを教えてくれました。
 乾燥機の中に杉たちと入る「杉浴」をされた矢山先生は“「この乾燥室にいたら、どんな病気でも改善する可能性がある」と絶賛してくだいました。現在行っている杉を使った商品開発にしても、先生との出会いがなければ進めていたかどうか疑問です。”これも、その時の一節です。出会いの大切さ、有りがたさを改めて痛感します。

●野中家の杉と「ほんものや」そして森林ツアー
 熊本県山鹿市に住む、父親と二人で林業に従事している5人姉妹の4番目の22歳の娘さん野中優佳さんからのメールをいただき、人の、山の、杉の、運命が動き出しました。
 2013年9月11日のメールで、船瀬俊介著『奇跡の杉』(三五館)を読んだ野中優佳さんから
“いてもたってもいられずメールした訳です”と、本を読んだ感想が書かれていて、
“ぜひ、お目にかかる日がくればいいなと思います。そして、父の大切な木々達が愛工房の乾燥機に入れられて、生きた木材のまま誰かの、お家になることを私も父も願うばかりです”とありました。

 この親子、それに親子が大切にしている山に、木々たちに会いたいと思いました。幸い2か月後にはバイオレゾナンス医学会の九州大会が佐賀で行われ、船瀬氏に同行するのでその時に会いましょうと言って会場に来ていただきました。その翌日、その山の杉に会いに行きました。そのときの印象は『木造都市の夜明け』で、“野中さんの山に行く車中から目に入る山は右も左もずっと普通の杉山でしたが、途中から景色が、がらっと変わったんです。ちょうどその辺りで車を停めて、歩き出したら、小さな川沿いにある2本の大きな杉が、「よく来たな、お前」というような顔をして、あの素晴らしい杉は、夫婦杉ですよね”と、また、別項では、“野中家が代々大切に守ってきた山を見に行ったのですが、身震いするほどすごい、初めて見るような素晴らしい山でした。こんな山を育てた人のためにも、この山を活かさなければ「愛工房」を作った意味がない。そう感じたほど、見事な山なのです”と、その時の気持ちを表しました。
 「愛工房」を使って頂きたい当方と、使いたい先方の気持ちは一致するものの、経済的にはかなり難しい状況でしたが、アニーグループ代表の二枝たかはる氏の協力もあって2014年12月に「愛工房」の設置が実現し、株式会社「ゆうき」が誕生しました。

 この地方の杉は「あや杉」と呼ばれる歴史のある杉、それが野中家自慢の杉たちです。
 私にしても、これまで付き合ってきた、赤身、白太、源平の色合いのある関東や関西の杉たちと違い、当初は多少戸惑いましたが、全体に油性分があり、乾燥してもずっしりとした重量感に強度も感じました、色合いはほぼ白に近く気品さえ感じます。接する機会が多くなるほどに「あや杉」の素晴らしさが伝わってきました。
 この「あや杉」を、当社が「ものづくり」を始めた当初から製作している、オリジナル商品「置き板パネル」の製作に使いました。このパネルは賃貸マンションの部屋などで釘を使えない状況などにおいてよく利用されています。出来上がった「あや杉」のパネルは予想以上の商品です。これから「あや杉」から何が生まれるのか楽しみが膨らんできました。

 そんなある日、前から依頼されていた杉の小箱の発注主が現れました。当社は他の人が扱う商品のためのものづくりはしていません。今回もあまり気が進みませんでした。が、なぜか試作品を作っていました。ただし、当初聞いていた浴槽に沈めて使用するなら生産はお断りするつもりでいました、生きた杉を浴槽に沈めての使用は薦められません。試作品を見るなり、依頼者は、「これは、浴槽には使いません」。この一言に、この箱が、杉が言わせたなと思うと無性に嬉しくなりました。
 私は、この小箱をなぜか「あや杉」で作りたいとの衝動にかられ、野中さんへ電話して、資材を送ってもらい最終の試作品を、自信を持って依頼者にお渡ししました。
冒頭の2月18日に『月刊船井本舗 ほんものや』を目にしたのはその数日後でした。

 3月4日に第1回目の「ゆうきの森ツアー」「森で感じるいのちの会話」が開催されました。
《古くから林業の町として栄えた、熊本の最北端、山鹿市鹿北町。その地で代々受け継がれてきた、100歳を超える杉林の中で五感をフル活用しながら、森に学び、森で遊びませんか!杉の女王「あや杉」、森のいきもの、清流、空気たちがみんなを迎えてくれます。》

 これが、呼びかけの案内文です。今年はあと3回、夏、秋、冬と季節ごとに行われます。
 主催 : ゆうきの森、共催 : 一般社団法人日本社会連帯機構、協力 : 熊本県森林インストラクター協会、協力 : 道の駅鹿北小栗郷、協力 : アイ・ケイ・ケイ株式会社、後援 : 山鹿市役所農林部農村整備課、熊本県水とみどりの森づくり活動支援事業、となっています。
 20名の募集に対して子どもたちを含めて30名の応募があり、賑やかな1日でした。

 私も特別ゲストとして「杉と愛工房」の話しと、「愛工房杉浴」にお付き合いしました。
 この主催者は20歳半ばの、(株)「ゆうき」の社長とパートナーの若い2人です。
この地域では花粉症の人がいない、野中家の山では風倒木がないと聞いていました。大地に根を深く張る「ほんもの」の杉が育っているのでしょう。非常に興味が湧きました。

 私はこの地域で杉の苗を作っていた人、できれば作っている人を探してはと話しました。
 その両方の方たちに出会えたこと、話しを聞けたこと、興奮を抑えきれない声で電話がありました。文書で送ってもらうことにしました。
 その報告書を紹介します。

 2013年9月に『奇跡の杉』という本に出会ってから、はやいもので5年目になります。
 縁があり念願の愛工房導入を実現してから丸2年。右も左も分からない現実に慣れ、ただ日々の仕事をこなしている自分に気づき始めていた2016年12月の事でした。伊藤さんが山鹿にいらっしゃった際に、突然、疑問を投げかけられました。「優佳さんところのあや杉、鹿北の杉の苗はどこから来て、どうやって育てられたの?」
 毎日、山で目の当たりにしているあや杉たち。しかし、彼らのルーツを知ろうとまで考えもしなかった自分にハッと気づくことになったのは言うまでもありません。
 本当にここにあるあや杉たちのルーツを知っている人がいるのだろうかと、少しの不安をいだきながらも、探してみたい、と思い、調査してみることにしました。
 私の不安をよそに、何かに導かれるような速さで、「その人」は見つかったのです。

【松本則行さん(86) カズヨさん(81)】
 私が住む自宅の隣部落に住むこのご夫婦は、半世紀以上前に鹿北一杉苗を育てていた杉苗のスペシャリストでした。則行さんは3代目。当時は私の曽祖父との交流も深かったそうで、これは曽祖父が導いてくれたと心から感謝しました。林業を職業としている私ですが、苗木のことについてはあまり勉強をしていなかったので何もかもが新鮮でした。
 杉苗のシーズンは12月から4月。挿し木を取る方法としては、精英樹となる10〜15年の杉の木から直径7ミリ前後の枝を切り取り10〜15本の束にして川まで運び、雨降りの日に限り川に浸けておくとの事。川に浸ける作業においては、昼も夜も関係がなく天候次第。
 その後、苗から芽がではじめて、苗畑に移し、1年をかけ発根させるということ。聞けば、私がよくお客さまを案内していた夫婦杉のある所に挿し木をとる枝を取りにいかれていたそうですから、驚きました。
 お二人の労力に感服すると共に、お二人をはじめ、昔の方々の努力苦労の甲斐あって今の立派な木が育ち山の仕事を私たちができる喜びを伝えました。すると、喜んで涙ぐむお二人の姿。これは決して忘れてはいけないと心に誓いました。

【最上多須男さん(93) 盛男さん(67)】
 なんと去年まで現役で苗木を生産されていた多須男さんは2代目の苗木職人。現在は息子の盛男さんが3代目で、昔のままを受け継いで生産されているとのこと。苗木作りのやり方や時期に多少違いはありますが、基本は変わりません。
 「昔からのやり方が間違いない」とおっしゃる盛男さん。苗畑の傾斜の影響で掘り起こす機械を入れられない最上さんの畑では現在も、三又鍬で1本1本大切に掘り起こされていらっしゃいます。「なんでも根が大事」とおっしゃる盛男さんに、今度、苗堀のお手伝いをさせてください、というと、それはダメ。見学だけならいいよ、と、他から手を入れる事により根に傷をつけて欲しくないという苗を大切されている強い想い、そしてこだわりが感じられました。
 苗木の植え方においても、昔はお客さんのところまで行き無償で指導に行っていたというから驚きでした。苗木は植林すると、だいたい1割くらいは上手に活着せずに枯れたりするそうです。それなので今現在では、個人のお客様に対し枯れてしまった苗木を自ら交換しに山へ登られています。自分の娘を嫁にだすようなもので、その山でしっかり立派に育ってほしいという盛男さんの願いに、ただ、ただ嬉しく感じました。
 今のように植えればいいってもんじゃない。弱っている根だけを切り、根を広げた状態で植えることができる大きさの穴を掘り、葉の下まで土をかぶせ、倒れないようにしっかり固めること。自分の育てた大切な杉苗をできるだけ立派に育てたいという、親が子を思うような思いを感じることができ、私たちへ託されたこの木々たちを守る責任を痛感しました。
 現在では植林前に「根切り」という作業がおこなわれます。長く伸びた根を短く切る事により、より効率的な植林が可能になるのです。今回の調査で疑問が浮かびました。根切りにより浅い穴で植林が可能になりますが、本当に元気な根を切る必要があるのか? 先人も同じ事をやっていたのか? と。近年、杉山は土砂崩れを起こす山として人々から嫌われています。ですが、その事実を知った時、わたしは唖然としました。
 なぜなら、自分の山での土砂崩れを見たことがなく、昨年の九州豪雨では斜面の上は大量に剥がれ落ち、作業道も崩れ落ちたのにも関わらず、杉の木達は立派に「私は大丈夫」と言わんばかりに凛と立っているのです。杉は土砂崩れを止める力があると思います。確かに、手入れの状況なども理由にあげられるかもしれませんが、もっと昔にさかのぼり苗や植林になにか違いがあったのではないか、といささかの疑問を持ちました。大地に強く伸ばした木々達の根のように、私たちもまだまだ根を伸ばし調査する必要があると思いました。
 もしかしたら、知らぬままに終わっていたかもしれない、この見えない命のバトン。
伊藤さんの一言をきっかけに、先祖の力に導かれるように繋がれた命のバトン。このバトンを受け継ぐ私たちにできることは、この想い、技術を受け継ぎ、繋いでいくことだと思いました。

 今年の3月に第一回目の森林ツアーを行います。森林の中で学び、森のいきもの、清流、きれいな空気が迎える場所へ少しでも多くの方に感じていただきたいと想い企画しました。のちのちは、このツアーの中に最上さん方のノウハウ、技術をそのままに生かした植林体験も交えていけたらと思います。この機会が、命のバトンをつなぐ第一歩になることを信じています。
 日々の仕事の中で、少しだけ、願い、夢を考える機会が少なくなっていた頃、松本さん、最上さんとの出会いの中で、もう1度最初の想いを思い出し林業という職業の中で、私たちにしかできないことを考えるきっかけになりました。
 この話しを伊藤さんに報告すると「間に合ったねー」と言われました。本当にそうだと思いました。本当に、本当に間に合ってよかった……と。
 今、私たちの目の前に、まっすぐに力強く生きているあや杉たち。私たちは、この森林を当たり前に思ってはいけないのです。先人の方の並々ならぬ労力、命がけの努力。膨大な時間をかけ脈々と受け継がれてきた命がここに生きていることを忘れてはならないと。
感じることができる私は幸せ者だと思います。      
                              2017・1・18 野中優佳


 苗を大切に育てている現役の方との出会いで、若い2人と、(株)「ゆうき」の将来、あや杉の将来。それは、全国各地の林業を継承する人たちにも刺激を与えることと思います。

●母校・西山中学校創立70周年
 私が入学する前年の1952年に杉と桧、1万本を近くの山に先輩方が植林しました。私も下草刈りに行きましたが、その想い出を、創立50周年記念誌で同級生、村上俊輔氏の寄稿“60年後には、この木で”一節を紹介します。
 “先生が「60年後には、この学校林の木材で、熊本市の全中学校の建て替えが出来るよ」と言っておられました。その60年後も、あと20年ほどになりました。市内の中学校の数も増え、校舎はコンクリート化し、学校林の木材は使えそうにありませんが、現在、うっそうと茂る学校林の一本一本に、植林当初に関係した方々の夢と想いが込められているはずです”。
 全国で起きている問題です。50年、60年先のために、汗を流した人たちに報いるためにも何とかしたい思いです。

 「ゆうきの森ツアー」の翌日3月5日、140年以上の歴史がある熊本一の老舗書店、長崎次郎書店で「木造都市の夜明け」と「樹と人に無駄な年輪はなかった」のサイン会を行いました。これが実現したのは、11月初旬に予定されている母校、西山中学校の創立70周年同窓会の幹事で連絡先になっている事務局の長崎次郎書店2階の喫茶部のオーナー長崎圭作氏と電話連絡を取り合ううちに、氏の好意で実現しました。

 この書店は、小、中学生時代、学校で使う教科書の販売をしていましたが、新しい教科書を使うことのなかった私、書店の前を通ることはあっても中に入った覚えはありません。
 サイン会の二日前の3月3日に打ち合わせした日が初めての訪問かと思います。
 70周年のプレ同窓会が3月26日に開催されました。80名近い参加者でしたが、当日渡された資料には校歌斉唱のあとの万歳三唱の項に私の名前が記載さていて驚きました。
 最終の学び舎である西山中学校の校歌は素晴らしい歌詞です。辛いとき、頑張るとき、嬉しいとき、夢を追いかけるとき、いつの間にか口ずさんでいました。それだけに、校歌斉唱にはこみ上げるものがあり、それを引きずっての一言は、幹事の方々への感謝、学校への感謝、そこで出会った大恩ある先生への感謝の気持ち、言葉になりませんでした。
 11月の創立70周年の本番では大勢の卒業生の方々との「出会い」を楽しみにしています。

 私を支えてくれた、素晴らしい校歌の歌詞を紹介します。

1 新しき 国の夜の明け   よろこびの 緑の空に 
西山は うぶ声あげぬ   この朝(あした) 歓喜にどよむ
学び舎に 光さんたり
2 不知火の 燃ゆるはたてに   見はるかす 西の山群(やまむら)
名において いそしむ子らは   若たかの 天(あま)かけるごと 
高くあれ 羽ばたき強く

 翌日の27日も同書店でサイン会を行いました。
 長崎次郎書店2階の喫茶部の一角に、船瀬氏と私の書籍コーナーを設けてくださいます。
 そこには、船瀬俊介氏著書のサイン入り本40種ほど、と、拙著、それに5月に発刊予定の2人の共著本も置いていただく予定です。
 熊本に住まいの方、熊本へ行かれた方も、お気軽にお立ち寄りください。
 美味しいコーヒーが待っていますよ。

 熊本日日新聞社発行の『住StyleBook2017−2018』が3月30日に発売されました。書店が紹介する家づくりに役立つ本として、『木造都市の夜明け』も紹介されています。

 これからの、「もの」や「ものごと」を考える基準は、今と、将来の、「命に良いか」「命に悪いか」で決める、それが当たり前の世の中になることを信じています。
 30年、50年後からの今を考える、これが大切なことだと思います。

 人生の財産は、「出会い」のあとの「気づき」から産まれ、気づいたら「築く」ことが大切。
 次回 第2章は 人・住まいと命 です。

Profile: 伊藤 好則(いとう よしのり)

伊藤 好則さん(日本初、KES構法による国産材の木造4階建てビルをバックに。ビル外装の板は無塗装の杉無垢材「木造都市の夜明け」)
木製木材乾燥装置「愛工房」の発明者。
アイ・ケイ・ケイ株式会社代表取締役。

1941年 東京都杉並区に生まれる。
4歳を前に、強制疎開で母の郷里大分県日田市へ。
その後三重県松阪市へ移り終戦を迎え、父の郷里熊本市へ。
1956年 中学を卒業、即、職業安定所へ、魚市場の仲買に就職。
寮生活の必要に迫られ、半年で転職、製糸工場の工員となる。
1957年 大阪で丁稚修行。
1960年 一度目の上京。独立可能な仕事を求めて転職を重ね体調を崩す。
療養所行きを薦められるが無保険、帰郷療養を目的に有保険の
土木会社で肉体労働に就く、3か月後の検査で完治、目的を失う。
1961年 再出発先として、航空自衛隊入隊。
自衛隊生活3年間で身体を鍛える。航空機無線修理に就き知識技術を習得。
1965年 二度目の上京。現住所近くの、家電販売及び電気工事会社へ就職。
1970年 電気工事会社、アイ電機設備株式会社を設立。
1972年 大坂千日前デパート火災の原因が同業者のタバコの不始末と知り、断煙に挑戦。
1977年 卒煙。
1982年 社員へ非喫煙手当ての支給を開始。社員とタバコの戦い始まる。
1985年 たばこ問題情報センターの渡辺文学氏と出会う。そこで、船瀬俊介氏と出会う。
アイ・健康と環境を考える会を発足、環境問題・喫煙問題に取り組む。
44歳、子どもを授からないことを受け入れ、88歳まで働くことを決める。
1991年 全社員(20名)非喫煙会社実現。
1993年 埼玉県大宮市で開催された、第3回アジア太平洋たばこ対策会議において、「人財育成と職場の禁煙効果」を発表。
2000年 船瀬俊介 東京事務所開設
2001年 電気工事業を卒業。
アイ・健康と環境を考える会を、アイ・ケイ・ケイ株式会社とする。
2004年 木製木材乾燥装置「愛工房」を発明。
2015年 74歳、防火地域に、日本初KES構法による国産材の木造4階建てビルを建築。
93歳まで「はたらく」ことを決める。

★アイ・ケイ・ケイ株式会社HP: http://aikobo-ikk.com/
バックナンバー
2017.05.10:働く、と、はたらく (伊藤 好則(いとう よしのり))
2017.04.10:出会いと気づき (伊藤 好則(いとう よしのり))
2017.03.10:光冷暖への歩み6 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2017.02.10:光冷暖への歩み5 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2017.01.10:光冷暖への歩み4 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2016.12.10:光冷暖への歩み3 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2016.11.10:光冷暖への歩み2 (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2016.10.10:光冷暖への歩み (二枝 たかはる(ふたえだ たかはる))
2016.09.10:老いと死を意識して“いまを生きる力”を最大限に発揮する!――いのちの管理者であるあなたこそ人生の主役 (篠原 佳年(しのはら よしとし))
2016.08.10:生死同源 (篠原 佳年(しのはら よしとし))
2016.07.10:レット・イット・ゴー(あるがままに) (篠原 佳年(しのはら よしとし))
2016.06.10:「イメージパワー」で世界を変える! (山岡 尚樹(やまおか なおき))
2016.05.10:「気」で潜在脳力を引き出す! (山岡 尚樹(やまおか なおき))
2016.04.10:「音」で右脳を目覚めさせる! (山岡 尚樹(やまおか なおき))
2016.03.10:新生地球を創るのは私たち (山内 尚子(やまうち なおこ))
2016.02.10:新生地球を生きるためのクリーニング (山内 尚子(やまうち なおこ))
2016.01.10:新生地球を楽しくスタートするために (山内 尚子(やまうち なおこ))
2015.12.10:未来の光エネルギー (末廣 淳郎(すえひろ じゅんろう))
2015.11.10:『電磁波、農業、音響への応用』について (末廣 淳郎(すえひろ じゅんろう))
2015.10.10:次元の高い波動エネルギーの原理原則の一つ 〜『バランスコントロール』について〜 (末廣 淳郎(すえひろ じゅんろう))
2015.09.10:Enex商品総仕上げ(ナノ) (大畠 昌幸(おおはた まさゆき))
2015.08.10:舩井幸雄先生との出逢い (大畠 昌幸(おおはた まさゆき))
2015.07.10:天然鉱石をEnex特殊加工 (大畠 昌幸(おおはた まさゆき))
2015.06.10:大いなる自己が言う「現在の地球の現状」 (天野 聖子(あまの せいこ))
2015.05.10:大いなる自己との対話で学んだこと (天野 聖子(あまの せいこ))
2015.04.10:本物を求めて… (天野 聖子(あまの せいこ))
2015.03.10:“本物”のテンポは人生を変える (片岡 由季(かたおか ゆき))
2015.02.10:“本物”を創りだすテンポ (片岡 由季(かたおか ゆき))
2015.01.10:本物だけが持つテンポ (片岡 由季(かたおか ゆき))
2014.12.10:つながりを知る (政木 和也(まさき かずや))
2014.11.10:明日を知る (政木 和也(まさき かずや))
2014.10.10:自分を知る (政木 和也(まさき かずや))
2014.09.10:人生を支えてくれた、思い、知恵、感情、夢。 (近藤 和子(こんどう かずこ))
2014.08.10:元気な体づくりは、電気信号から (近藤 和子(こんどう かずこ))
2014.07.10:サクラが科学の常識を変えた (近藤 和子(こんどう かずこ))
2014.06.10:ダイエットの新常識と、脳の活性化で人生は充実したものとなる (龍見 昇(たつみ のぼる))
2014.05.10:体が若返ると病気は自然に治る。 (龍見 昇(たつみ のぼる))
2014.04.10:細胞を元気にすれば、体のトラブルの9割は改善する (龍見 昇(たつみ のぼる))
2014.03.10:徒然物語 シメククリの一話 (岡田 多母(おかだ たも))
2014.02.10:徒然物語 ツヅキの一話 (岡田 多母(おかだ たも))
2014.01.10:徒然物語 ハジメの一話 (岡田 多母(おかだ たも))
2013.12.10:カルシウム不足解消こそ健康への近道 (鹿本 剛(しかもと つよし))
2013.11.10:カルシウムは食べるように摂るのが理想 (鹿本 剛(しかもと つよし))
2013.10.10:2500万年前から現代人への贈り物 〜真空カルシウム〜 (鹿本 剛(しかもと つよし))
2013.09.10:カリカから、本物を学ぶ 〜本物を知ることで、人は・・・正直になれる (今尾 充子(いまお みつこ))
2013.08.10:科学的根拠を追求することで、“本物”とは何かを知る (今尾 充子(いまお みつこ))
2013.07.10:野性のパパイアから、本物を知る (今尾 充子(いまお みつこ))
2013.06.10:綾からの発信 〜その3 母としての一筋の道〜 (郷田 美紀子(ごうだ みきこ))
2013.05.10:綾からの発信 〜その2 本ものへの道のり〜 (郷田 美紀子(ごうだ みきこ))
2013.04.10:綾からの発信 〜その1 本ものの定義〜 (郷田 美紀子(ごうだ みきこ))
2013.03.10:世界経済はなぜ不安定化したのか (力石 幸一(ちからいし こういち))
2013.02.10:500年のサイクルで世界を見てみる (力石 幸一(ちからいし こういち))
2013.01.10:情報とメディアの切っても切れない関係 (力石 幸一(ちからいし こういち))
2012.12.10:地球生態系の循環を考慮した新しい社会構想を考える (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.11.10:現在の社会構造 (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.10.10:地球生態系の中の人類 (木内 鶴彦(きうち つるひこ))
2012.09.10:触ればわかる ― 触診 (森 美智代(もり みちよ))
2012.08.10:スピリチュアル気功 (森 美智代(もり みちよ))
2012.07.10:少食は世界を1つに、地球を天国にする (森 美智代(もり みちよ))
2012.06.10:すべては心のウチに (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.05.10:体の中の森 (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.04.10:森林王国への道 (近藤 洋一(こんどう よういち))
2012.03.10:日本が誇る「メタマテリアル」技術! (清水 美裕(しみず よしひろ))
2012.02.10:過去は変わると知っていますか? (清水 美裕(しみず よしひろ))
2012.01.10:22世紀へ続く科学を求めて (清水 美裕(しみず よしひろ))
2011.12.10:医療における死生観 (池川 明(いけがわ あきら))
2011.11.10:胎内記憶 (池川 明(いけがわ あきら))
2011.10.10:赤ちゃんと会話しながらお産する(池川 明(いけがわ あきら))
2011.09.16:念ずれば花ひらく 〜「花ひらくまで念ずる」〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.08.12:外と内の世界をつなぐ大切な“お口”〜KAZUデンタルのお口の中は小宇宙〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.07.10:〜はじめまして〜(平良 和枝(たいら かずえ))
2011.06.10 :EMによる原子力発電所における高濃度放射能汚染対策と使用済燃料の高度利用の可能性について
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性B〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.05.10:EMによる地域全体の放射能汚染対策
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性A〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.04.11:EMによる被曝対策
〜放射能対策に関するEM(有用微生物群)の可能性〜(比嘉 照夫(ひが てるお))

2011.03.10:発明と愛は脳が喜ぶ(矢山 利彦(ややま としひこ))
2011.02.10:船井理論は頭をよくする(矢山 利彦(ややま としひこ))
2011.01.01:脳、気功、武道、クオンタムシフト(矢山 利彦(ややま としひこ))
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